2008-04-01
『魔法にかけられて』(ケヴィン・リマ)と『ミスター・ロンリー』(ハーモニー・コリン)
『白雪姫』『シンデレラ』『眠れる森の美女』『リトル・マーメイド』『美女と野獣』の5本のプリンセス・ストーリーのパロディでありオマージュである『魔法にかけられて』(2007)は、おとぎ話アニメーションの世界から魔女によって現実のニューヨークへと追放されてしまったジゼルという名のお姫様の話。
ジゼルを演じる主演のエイミー・アダムスがかなりすごいです。怪演と言ってしまっていいくらいのディズニー・アニメーション的演技。驚異的なことに、嫌みにならなずにきっちり朗らかに演じきっています。朝のお掃除やセントラル・パークのシーンは本当に感動的です。30歳超えてるのにこれができるって逆にやばい感じもしますが。
彼女はストーリーが進むにつれて、だんだんと浮世離れしなくなり、現実のニューヨークに馴染んでいくのですが、それに従ってだんだんと魅力的でなくなっていく(おそらくアメリカ人にとっては魅力的なんでしょうが)のが泣けます。
ジゼルは、魔女の言葉によれば「永遠の幸せなどありえない国」であるところのニューヨーク(現世)に送られ、実際、永遠の幸せなどありえない現実の姿を見せつけられ、その現実に次第に順応していくわけですが、ラストシーンというか後日談にて彼女はまたディズニー・アニメーション的天真爛漫さを取り戻したような演技に戻っています。
すべてがハッピーエンドに向けて収束していくおとぎ話は、その世界のなかだけを探求させる場合、面白くないものです。でも、もしそれが現実の世界で起こったとして、すべてが幸せに向かっていくその世界をちょっと離れたところから眺めると、その幸せそうな様子に少し寂しい気持ちにさせられます。この現実において、永遠に幸せであることがありえるのかもしれない、という可能性をみせつけられたような気がしてしまうので。
夢見ることができる頃であれば、この映画の世界に没入することができるでしょう。でも、そうでない人たちにとってみれば、ハッピーエンドを迎える彼らはどうしたってスクリーンを隔てた世界にしか思えず、でもまったく関係ないものだとも思えない。この映画が涙を流させるとすれば、その涙には二種類あるでしょう。ハッピーエンドゆえに流す涙と、ハッピーエンドを目撃してしまったがゆえに、そこに自分がいないがゆえに流す涙。
ハーモニー・コリン『ミスター・ロンリー』(2007)とあわせて観てほしい映画です。
マイケル・ジャクソンとマリリン・モンローのモノマネ芸人の恋物語です。
キャラクターは死なず、永遠に幸せに暮らすことができます。
ディズニー映画のプリンセスは、さまざまな作品においていつでも戻ってきます。不死なので。そして設定がすこしずつ異なる同じ物語を生きます。
『ミスター・ロンリー』についていえば、マイケル・ジャクソンやマリリン・モンローは死にません。憧れ、真似しようとする人たちに取り憑いて戻ってきます。
マイケルは老人ホームに慰問にいき、滑稽なパフォーマンスとともに「若くいれば、そう信じれば死なない!」と踊りながら叫びつづけます。老人たちも嬉しそうに、マイケルとともにできるかぎりに身体を動かします。涙が出てくるシーンです。
キャラクターという実体のないなにかは決して死ぬことがなく、そのキャラクターになれると信じることのできる人もまた、自分たちは死なないと信じることができます。
『ミスター・ロンリー』にはサイド・ストーリーがあって、ヘリコプターから落ちても死ななかったパナマの尼僧たちの物語です。キリストという奇跡を信じることができた人たちの物語です。彼女たちは、奇跡を証明したことを報告するためにバチカンへと向かい、そのヘリコプターが墜落して死にます。この映画において、パナマとはおとぎ話の国だったわけです。その外では、死が待っています。
本当のところ、キャラクターを自分に取り憑かせたりしたとしても、人間は最終的に死にます。永遠に幸せに暮らすことはできません。
『ミスター・ロンリー』では、「人は変われると思う?」という問いを発したあと、マリリンは自殺します。キャラクターは死にませんが、人は死にます。変わります。
その事件のあと、マイケルはマイケルであることをやめ、匿名の人物へと戻っていきます。死すべき人間へと。(主人公の彼の役名はマイケル・ジャクソンであり、本当の名前を与えられていません。)パリの街中で、サッカーの試合で熱狂する人々のあいだをふらふらと歩く彼の姿を映して、映画は終わります。(ラストシーンではなかったかもしれませんが。)
『魔法にかけられて』は、そのときの彼の気持ちを味わうことのできる貴重な映画です。
キャラクターとは、実体をもたない幽霊なのではないでしょうか。
いつしかやってきて、取り憑いてきます。
取り憑かれているあいだは、死のことなど忘れてしまえるのでしょう。
プリンセスであること、モノマネをすること、スポーツに熱狂すること、神さまを信じること、永遠に幸せであると信じること……
それらはすべて実体のないなにかに取り憑かれることなのではないでしょうか。
それを完全に信じることができれば幸せになれるのでしょうが、
なかなか難しい。
『魔法にかけられて』公式サイト
『ミスター・ロンリー』公式サイト
土居
ジゼルを演じる主演のエイミー・アダムスがかなりすごいです。怪演と言ってしまっていいくらいのディズニー・アニメーション的演技。驚異的なことに、嫌みにならなずにきっちり朗らかに演じきっています。朝のお掃除やセントラル・パークのシーンは本当に感動的です。30歳超えてるのにこれができるって逆にやばい感じもしますが。
彼女はストーリーが進むにつれて、だんだんと浮世離れしなくなり、現実のニューヨークに馴染んでいくのですが、それに従ってだんだんと魅力的でなくなっていく(おそらくアメリカ人にとっては魅力的なんでしょうが)のが泣けます。
ジゼルは、魔女の言葉によれば「永遠の幸せなどありえない国」であるところのニューヨーク(現世)に送られ、実際、永遠の幸せなどありえない現実の姿を見せつけられ、その現実に次第に順応していくわけですが、ラストシーンというか後日談にて彼女はまたディズニー・アニメーション的天真爛漫さを取り戻したような演技に戻っています。
すべてがハッピーエンドに向けて収束していくおとぎ話は、その世界のなかだけを探求させる場合、面白くないものです。でも、もしそれが現実の世界で起こったとして、すべてが幸せに向かっていくその世界をちょっと離れたところから眺めると、その幸せそうな様子に少し寂しい気持ちにさせられます。この現実において、永遠に幸せであることがありえるのかもしれない、という可能性をみせつけられたような気がしてしまうので。
夢見ることができる頃であれば、この映画の世界に没入することができるでしょう。でも、そうでない人たちにとってみれば、ハッピーエンドを迎える彼らはどうしたってスクリーンを隔てた世界にしか思えず、でもまったく関係ないものだとも思えない。この映画が涙を流させるとすれば、その涙には二種類あるでしょう。ハッピーエンドゆえに流す涙と、ハッピーエンドを目撃してしまったがゆえに、そこに自分がいないがゆえに流す涙。
ハーモニー・コリン『ミスター・ロンリー』(2007)とあわせて観てほしい映画です。
マイケル・ジャクソンとマリリン・モンローのモノマネ芸人の恋物語です。
キャラクターは死なず、永遠に幸せに暮らすことができます。
ディズニー映画のプリンセスは、さまざまな作品においていつでも戻ってきます。不死なので。そして設定がすこしずつ異なる同じ物語を生きます。
『ミスター・ロンリー』についていえば、マイケル・ジャクソンやマリリン・モンローは死にません。憧れ、真似しようとする人たちに取り憑いて戻ってきます。
マイケルは老人ホームに慰問にいき、滑稽なパフォーマンスとともに「若くいれば、そう信じれば死なない!」と踊りながら叫びつづけます。老人たちも嬉しそうに、マイケルとともにできるかぎりに身体を動かします。涙が出てくるシーンです。
キャラクターという実体のないなにかは決して死ぬことがなく、そのキャラクターになれると信じることのできる人もまた、自分たちは死なないと信じることができます。
『ミスター・ロンリー』にはサイド・ストーリーがあって、ヘリコプターから落ちても死ななかったパナマの尼僧たちの物語です。キリストという奇跡を信じることができた人たちの物語です。彼女たちは、奇跡を証明したことを報告するためにバチカンへと向かい、そのヘリコプターが墜落して死にます。この映画において、パナマとはおとぎ話の国だったわけです。その外では、死が待っています。
本当のところ、キャラクターを自分に取り憑かせたりしたとしても、人間は最終的に死にます。永遠に幸せに暮らすことはできません。
『ミスター・ロンリー』では、「人は変われると思う?」という問いを発したあと、マリリンは自殺します。キャラクターは死にませんが、人は死にます。変わります。
その事件のあと、マイケルはマイケルであることをやめ、匿名の人物へと戻っていきます。死すべき人間へと。(主人公の彼の役名はマイケル・ジャクソンであり、本当の名前を与えられていません。)パリの街中で、サッカーの試合で熱狂する人々のあいだをふらふらと歩く彼の姿を映して、映画は終わります。(ラストシーンではなかったかもしれませんが。)
『魔法にかけられて』は、そのときの彼の気持ちを味わうことのできる貴重な映画です。
キャラクターとは、実体をもたない幽霊なのではないでしょうか。
いつしかやってきて、取り憑いてきます。
取り憑かれているあいだは、死のことなど忘れてしまえるのでしょう。
プリンセスであること、モノマネをすること、スポーツに熱狂すること、神さまを信じること、永遠に幸せであると信じること……
それらはすべて実体のないなにかに取り憑かれることなのではないでしょうか。
それを完全に信じることができれば幸せになれるのでしょうが、
なかなか難しい。
『魔法にかけられて』公式サイト
『ミスター・ロンリー』公式サイト
土居
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