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        2008-03-25        ラピュタアニメーションフェスティバル2008(四日目)

○11:00- 相原信洋&保田克史&原口正宏トーク
 「日本のインディペンデント・アニメーションの流れ」という副題の付いたこのトークイベントは久里洋二特集の一環で行われたわけですが、原口正宏さん司会のもと、その久里洋二さんの活躍した草月会館に通い、60年代からインディペンデント作家としての活動を始めた相原信洋さんと、80年代の終わりから作家活動を始めた保田克史さんをトークゲストとして迎え、久里さんとあわせて三世代の流れを体感、という意図があったらしいです。
 相原信洋『カルマ』保田克史『パルサー』上映ののち、トーク開始。
 ここから先はほとんど相原さんの独壇場でした。創造するとはいかなることか、その真髄を垣間見せていただいた気がします。
 相原さんはとにかく自分に制約をかけずに制作します。商業アニメーションのスタジオで仕事していたなか、草月会館で個人作家のアニメーションというものがあることに目を開かされ、ドキドキしながら家に帰ったことを皮切りに、その後の相原さんはとにかく自分のそのときの熱くどきどきする気持ちを持ちつづけながら作品制作を続けています。19歳のときから、作品をつくらなかったときがないそうです。(今年もまた2本ほどできあがるという噂を耳にしました……)
 相原さんは自分のフィールドをアニメーションに限定しません。アニメーションは人生で4番目くらいに好きなことであり(一番は寿司だそうです。お寿司やさんになるのが夢だったそうです。)、アニメーションは映画全体が好きなその一部であり、その映画全体が好きなのも絵画などの美術が好きなその一部なのであり、それもまた性や自然の力のその一部なのであり、それもまた古代遺跡やUFOなどを含んだ人間のいない世界をも含んだ領域の一部なのであり……そのときに興味を持っているものから等しく、作品制作の熱量をもらっているようです。
 作品のアイディアが浮かんでこない人がいるとすれば、それはその人の幅が狭いからだと相原さんはおっしゃいます。おそらくこれは教養の有無を言っているのではなく、芸術という分野をも超えたものすごい大きな幅のことを言っているのだと思います。「凄い火とか凄い水のアニメーションなんて観たことないもん」という言葉が印象的でした。このとき上映された相原さんの作品には、凄い風が吹いていました。ああ、こういうプリミティブな魅力をもった作品って、ほんとにないよなあ、と、アニメーション全体の幅の狭さを看破されたような気分でした。(プリミティブの仮面を被った作品はいろいろとありますけれども。)
 草月の経験からアニメーション制作を始めた相原さんも、真鍋弘さんや横尾忠則さんらが3、4本作って終わりになったことは「違うな」と思うらしいです。やはり一生つくりつづけることが必要なのだと。
 賞をもらうことも昔は嫌いで、なぜなら、「これは賞に入るかな」といいう意識をもってしまい、自分のつくりたいものをつくることができなくなる可能性があるからだそうです。枠を当てはめられるのを拒否する相原先生は、「死ぬまで完成などないのかな」とも言います。そのときに自分が持っていた熱を残す行為、それが作品なのだと。自分は作品を一本だけで評価できるような作家ではなく、いくつもの作品をまとめて見せることによって、わかってもらえる作家であるという意識をお持ちのようです。
 相原さんはダリやピカソ、マグリットらにも「アニメーション」を感じとります。イメージや前後の動きが、ばっとわいてくるそうです。ここらへんは僕の研究テーマでもあるエイゼンシュテインの理論ともつながってくるものがあって、やっぱりそうなのだなと思いました。
 相原さんは、作品と作家本人とがつながりあっています。久里さんと並んで、非常にオリジナルな存在です。こういう作家、もっともっと出てきてほしいです。

○13:00- 注目の若手作品集

 久里洋二特集のフィナーレ的な二つのイベントが最後です。まずは久里洋二さん、真賀里文子さん、ミハイル・トゥメリヤさんがそれぞれセレクトした、注目の若手たちの作品上映です。

久里洋二セレクト:「アート・アニメーションのちいさな学校生徒の久里洋二実習課題作品」
真賀里文子セレクト:酒井愛『トムソン』、ピエール・リュック・グランジョン"The White Wolf"、イワン・ラマダン『寛容』
ミハイル・トゥメリヤセレクト:Darina Schmidt "Vasilisa", Katerina Solorova "Silly..."

 今回のラピュタ・フェスは事前にどのような作品が上映されるのかよくわからないプログラムが多く、これもまたその一つでした。今までのそういったプログラムでは、予想が良い意味で裏切られ、充実したプログラムになったことが多かったです。しかし、こちらはそれが悪い方へと転んでしまったように思います。
 生徒のエチュードやコンペ作品からセレクトするというのは、熱心にこのフェスティバルに通う人にとってはやはり裏切りの行為のような気がします。「こういう作家がいるんだ」というサプライズを当然期待しているわけですから。他のプログラムでも観られるものをやるのはちょっと……生徒作品はまだ作品として成立してませんし、作家でもないですし……
トゥメリヤさんのセレクト作品がなかなかよくできた面白いものだったことが救いです。
 "Vasilisa"はロシアの魔女バーバ・ヤーガものです。物語として、手法として、語り方として、新しい何かを予感させるようなものでは決してないのですが、コンスタンティン・ブロンジットがお師匠さんというだけのことはあって、非常に見せ方がうまく、わかりやすく、面白かったです。小気味よいリズムなど、ミハイル・アルダシンの演出術を思わせるような感じもありました。今のロシアにはこういう「うまい」作家が多いですが、ノルシュテイン、ヒートルク(トゥメリヤさんの発音をきいていると、ヒートルークではなくてこっちの方が表記上正しいような感じがします)、ナザーロフなど、ソユズムリトフィルムのニューウェーブを支えた骨太の作家たちが教育に携わっているからという理由もあるのでしょうか。
 "Silly..."はノルシュテインとベルナール・パラシオスが混じったような切り絵アニメーション作品で、ロシアの作家ユーリイ・コヴァーリの作品を原作としたもの。簡素なスタイルのアニメートなのですが、なかなか本質を突いた身体の動きになっています。変な言い方ですが、ちゃんとした作品でした。こちらもまた魅せ方を心得ていらっしゃる。トゥメリヤさんの作品自体もそうですね。

○15:00- 久里洋二&真賀里文子&ミハイル・トゥメリヤ トーク
 久里洋二特集の最後となったこのプログラムは、熟練の作家たちによる未来の作家への提言でした。
 久里さんは音楽の大事さを説きます。音からイメージを作るという作業を繰り返してきたゆえのことでしょう。そして、アニメーションにおいてモノが動くのは当たり前なのだから、ハートが欲しい、とも言います。先日のトークでは「ベートーヴェンを聴くと胸が熱くなる」とおっしゃっていましたし、前回の広島でも、ハートの重要性を言っておられました。久里さんは熱い作家なのです。
 トゥメリヤさんは、ロシアにおけるアニメーション教育のやり方についてその一端をみせてくれました。なにかを強制せず、その本人が持っているものを引き出していく方法をとっているそうです。トゥメリヤさんは自分でも教えてらっしゃるのですが、かつての経験から、まず最初に「自分のサインをアニメーションにせよ」という課題を出すんだそうです。そこから、作家が持っているリズムを確かめるのだそうです。
 その他にも、普段無意識的にみていることを意識的に見ること、技術的なイロハの重要性なども話に出ていました。

ラピュタフェス全体の個人的まとめは、また後日のエントリにて。

土居

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