Animations Blog


Animations creators&critics Website

Animations

アニメーションズ、創作と評論


カレンダー

09 « 2017-10 « 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

最近のコメント

最近のトラックバック

最近の記事

RSS

広告

FC2Ad

        --------        スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

        2008-03-22        ラピュタアニメーションフェスティバル2008(二日目)

lapula2008-1


 阿佐ヶ谷の街中はラピュタフェスの宣伝幕と相武紗季のノボリでいっぱいです。

○11:00-ベルギー作品集
 ベルギーのゾロバベル・スタジオ[リンク切れしている感じです]の作品集。そこでアニメーターをなさっているというハマヤ・サトシさん(すいません、漢字がわからないので片仮名表記です。関西出身の方です。)のイントロ付きプログラムでした。1994年に設立されたゾロバベル・スタジオは、当初子供向け作品を制作していましたが、次第に幅を広げ、今では大人向け作品も制作しているということです。アヌシーでの上映を一番の目標に、国からの助成金を得て、一年の一本のペースでの制作を続けています。トークでは、芥川龍之介『お富の貞操』を原作にしたパペット作品を制作する際の、主に文化の違いによる苦労を話してくれました。原作が違う国のものである場合、作品について語るとき、異文化間の相違についての言及する人としない人がいます。する必要のある作品とそうでない作品があります。僕自身の好みとしては、後者です。国という単位が当たり前のように前提となっていると、少々怪しんでしまいます。共同作業を行うには観念の共有が必要です。だからスタジオで作られる作品というのは、前者のような傾向を持つのかもしれません。単なる予感です。程度はどうあれ、ステレオタイプを叩き台にしてしまうような。(『FRANK AND WENDY』はそれをうまいこと作風に転換させていますが……)
 人形アニメーション作品の弾力の表現には特筆すべきものがあると感じました。あとはデジタルの弊害をたくさん感じました。学生作品的メンタリティーで制作されたような感じの作品が多かったです。

○13:00- 久里洋二ドキュメンタリー
 このフェスティバルが初上映となる、久里洋二さんのドキュメンタリーです。今年のアヌシーで、エミール・コール『ファンタスマゴリー』100周年上映があるらしいですが、このドキュメンタリーはそのための作品制作の過程を中心としたものでした。絵画→漫画と活動領域を移していった久里さんはマクラレン『色と音の即興詩』にショックを受け、アニメーション制作へとどんどんと惹かれていったらしいですが、「おっぱいよりお尻が好き」だということもこのドキュメンタリーからはわかりました。「アニメーション大好きよ。アニメなくして人生ないから。」と言い切る久里さんにはジーンと来ました。ラストでは、かの有名な『椅子』の現代版が挿入されます。途中まではオリジナルをなぞりながら、女の子を抱き上げたり、服をどんどん脱いでパンツ一枚になってトランクスの隙間から指を出して踊ってみたり、お尻を出してみたり、久里さんはもう81歳になったということを考えると、とても感慨深い気持ちになりました。もう人間そのものが作品です。余談ですが、現在制作中の新作(予算がなくて制作がストップしているそうですが)は、『頭のなかのくるみ』というタイトルだったと思いますが、40年くらい前の久里さんがスーパーマンの格好をしてビルの屋上をはしゃぎまわってみたり、その当時の現代美術系のパフォーマンスの映像が挿入されたり、そして時たまアニメーションになったり、まさに久里さんの頭のなかを探検していくような、素晴らしいものでした。(前にブログに書きましたね。)完成品を心の底から観たいと願います。

○15:00- 石上三登志&久里洋二トーク
 いまや伝説的なあの草月会館で結びついたお二人によるトークでした。客層との年齢層のギャップがものすごいな、と思いました。
 印象に残ったことをいくつか列挙しておきます。
・出身地の福井県鯖江は、年に200日ちかくが曇りか雨で、それだけにたまの晴天がとても嬉しく、太陽が与えてくれる豊かな色に対して敏感に反応し喜びを感じていたというお話。久里さんの独特なあの色彩は、そんな逆説的な環境から生まれてきたわけですね。余談ですが僕はこのシリーズが好きです。というか、最近の絵はどれも本当に好きです。この静謐感、滾るエナジー。
・1928年生まれの久里さんですから、思春期は戦争真只中。その思い出話がとても興味深かったです。風景画を描いていると戦争中に不謹慎だと怒られるので家でニワトリばかり描いていたこと、出兵しないことで女学生たちに「人間の屑!」と叫ばれていたこと、出兵が決まり人間魚雷となる直前に終戦を迎えたこと(でも死ぬことはまったく怖くなかったらしいです)、空港の建設に関わっていたのに、ゼロ戦が一機だけ着陸しただけですぐに戦争が終わり、翌日にはもう誰もいなくなっていたこと、すぐにアメリカの兵隊が靴を履いたまま学校のなかに上がり込み、かたや教室ではネコが子どもを生んでいて、その光景がとても印象に残っているということ。
・影響はほとんどどこからも受けず、無意識でしか制作していないということ。創作の秘訣は、すぐには作業を始めないことで、一つテーマが思い浮かんだら、それを一日中ながめて、湧いてくるアイディアをつまみ、悪いものを消していく。つまり、アイディアの進化を待つ。普通の人でも思いつくアイディアのその先を考えるのが大変で、それゆえに時間がかかる。新作『GRAMOPHONE』は頭の中に蓄音機があるという設定だが、この設定は自らの創作をそのまま絵にしたようなものであるということ。とにかくアイディアとにらめっこ。
 
 久里さんをなんだか元気が出てきます。体内に感じるこの愛おしさは、昨日のマキシーモフの作品をみたときに感じたものと同じような。『頭のなかのくるみ』はベートヴェンのシンフォニーを音楽で使っていますが、久里さんはこれを聴くと身体から血が溢れてくる感じ
がするそうです。これでアニメーションをつくりたい、という気持ちに強くなるそうです。80歳をこえても、そういう感覚ってもてるのだな、消えずに残るのだな、となんだか明るい気持ちになりました。

○17:00- 海外アニメーション制作の現場 in ottawa
 昨年のオタワフェス及びNFB訪問のレポートがこのプログラムでしたが、ここで紹介された作品に心を打たれました。
 今日は僕にとって"The Danish Poet"(Torill Kove)の日でした。昨年のアカデミー賞短篇部門受賞作です。「私がいることはなんて不思議なんだろう。」そんな問いがこの作品の上にはぼーっと張りつめています。
 自分ではどうにもならないことがある。そういう事実を果たしてどう受け止めるべきか。『カフカ 田舎医者』のレビューでは運命の残酷さについて僕は書きましたが、それを裏返すと、"The Danish Poet"を貫く思想になるような気がします。自分の両親が出会ったのは、果たして偶然なのか、それとも必然なのか。私がいま、自分の目論みからは遠く離れたところで存在していることは、不条理なのか、それとも祝福すべきことなのか。
 「私たちは宇宙に浮かんで誰かが捕まえてくれるのを待つ種みたいなものなんじゃないかと私は思っていたものだった。その選択はまったく偶然のもので……」女優リブ・ウルマンの優しいナレーションが導くこの作品は、「私」が生まれた偶然、自分の両親のたまたまの出会いについて柔らかな驚きを込めて振り返ります。両親の出会いののきっかけとなった詩人カスパーとインゲボルグの恋物語がそのメインストーリーです。
 カスパーは、インスピレーションも枯れ、精神科医に相談し、休暇を兼ねて、敬愛する作家を訪ねノルウェーへと旅することになります。そこで偶然雨に降られ辿り着いた農家で、偶然インゲボルグと出会います。彼女は彼の敬愛する作家の遠い親戚でした。偶然。恋に落ちる二人ですが、インゲボルグには許嫁が……彼女は「あなたと結ばれるまで髪を伸ばしつづける」とカスパーに誓います。帰国したカスパーは悲しみに沈み、「悲しいときに詩人は詩を書く」のだという精神科医のアドバイスも聞き入れず、落ち込みつづけます。インゲボルグは結婚しますが、夫は偶然落ちてきた牛に潰され死亡。すぐにカスパーへ吉報を届けようとするインゲボルグですが、その手紙は郵便配達人の鞄から偶然落ちてしまい、届きません。しかし偶然なのか必然なのか、敬愛する作家の訃報が届き、二人は偶然的・必然的に葬儀会場にて運命の再会を果たします。幸せになった詩人は幸福と喜びについての詩を書き、世界中でベストセラーに。インゲボルグは髪を切ってもらうために理髪師を呼びますが、その女性が乗ってきた列車の隣に座ったのは、詩人カスパーに会いにいく途中だったファンの男性。偶然行き先が同じだった二人は恋に落ち、偶然生まれたのがナレーター……
 シンプルなスタイルと省略を多用した語り口だからこそ可能になるこの偶然/必然の物語。つらい気分になったときに必要となるファンタジー。生きていることの残酷さ、存在することの不思議、そんなことについて一度でも考えたことのある人ならば、必ずや心に響く作品です。

○19:00- コンペティション1
 印象に残った作品をいくつか。
 "Tomson"(酒井愛)についてはICAFのときにちょっと触れています。丁寧さにやはり感心しました。皮膚と衣服の一体化描写。
 "Sarah's Tale"(Svetlana Filppova)がノルシュテインのお気に入りというのは僕の勘違いでした。違う作品と混ざってました。クリス・ヒントンを思わせる大胆でシンプルでラフな描画と画面構成。大人になりたい少女と子どもに戻りたい大人のお話。雪解けと春の訪れを象徴的に利用したクレバーな構成。こうやって言葉にするととても素晴らしい作品に思えてきますが、なぜかそこまで面白くなかったです。丁寧すぎたのかな?いまいち没入しきれませんでした。思わず目が離せなくなってしまうような強度が欲しかったです。
 "Malformance-Performance"(Tomislav Gregl)は近年制作されたというのがとても信じられない作品。ヒトラーとかもういいです。("The Golden Age"みたいにちゃんとやるのはもちろんオッケーなんですよ?)
 "Lost in Snow"(Vladimir Leschiov)は、"Insomnia"が前回の広島で上映されましたねそういえば。なんだかちょっとコヴァリョフを思わせる描画スタイルになっています。展開や設定はいいのに、パラシュートやヘリコプターの飛行描写がなんだかいまいちで、これもまたちょっとじれったい気持ちになる作品でした。もっと面白くなりそうなのに……
 "Pecatum Parvum"(Asya Lukin)はイギリスRCAの学生作品。ICAFレポートでちょっとダニイル・ハルムスについて触れましたが、これはハルムスの自伝と小説をベースにした作品。ハルムスが日常世界のなかからいかにして物語を紡ぎだしていったかを、物語部分を構成主義的な描写でみせつつ描き出す作品。ハルムスが一体何をみたのか、というのを表現しようとする試みはとてもよく、実際、日常世界の描写には光るものがあったと思うのですが、ハルムスがそのなかから生み出した物語を描くのが、「物語の図示」のレベルに留まるものだったのが残念です。
 "Violeta"(Marc Riba & Anna Solanas)は、もし観客を不快な気分にさせることを目的として制作されているのであれば、大成功の作品。とにかく不愉快な気分になる、とくに必要も根拠もないグロテスク描写だらけのもの。気分悪くなりました。
 『ウシニチ』(一瀬浩コ)は何度目かわかりませんが、終盤の展開は何度観ても見事です。
 "A Girl, who Stepped on the Bread"(Elena Lapshina)は思わぬ掘り出しものかも、と思ってしまった作品。アニメートのリズム、仕草の選択、人を並べる構図とその動かし方、いろいろなところにセンスが光ります。展開も結構奇想天外で、自分勝手でまわりをめちゃくちゃにしてしまう女の子が、異次元で苦しみます。異次元世界の描写は「マザー」シリーズ(ゲームのですよ)を思い出させる感じです。断片にちぎれる世界と、それを取り戻すこと。
 
 今日もまた「眠いな」という時間がやってきてしまいました。続きは今度、また明日!

土居

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可  

トラックバック

http://animationscc.blog105.fc2.com/tb.php/91-b3d32d76

 | HOME | 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。