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        2008-01-11        線で捉え、描き、動かす――セルアニメーションにおける身体表現@学習院大学(前編)

来年度から、学習院大学に身体表象文化学専攻が新たに開設されます。目玉となるのは、マンガやアニメーションを大きな軸としていることでしょう。一般大学にこのような専攻ができるとは……

今日と来週、大塚康生さんと高畑勲さんによる、準備講演のようなものが行われます。

今回は大塚康生さんが主な話し手となり、適宜高畑勲さんがコメントをいれていくというかたちで進行しました。

東映動画のはじまりから、『太陽の王子 ホルスの大冒険』までのあいだのエピソードを振り返りながら、アニメーションが身体を表現するとはどういうことかが語られていきます。
面白おかしい語り口はここでは省略させていただき、ざっくりまとめさせていただくと、

「生きているように」みせるための演技の想像力および論理の重要性

が強調されていたと思います。

大塚さんの本を読まれている方にはおなじみのエピソードでしょうが、東映動画の前身的な存在の日動映画での入社試験が、今回の話の肝となります。
「少年が大きな鎚を振り下ろすのを五枚で描け、ただしその鎚は鉄でできていて、やっともちあげることができるくらいのものだ」という課題を与えられた大塚は、そこにあったバット(日動映画は小学校の運動部の倉庫の二階にあったので、バットなどがおいてあったのです)を持って、実際に動作をやってみたといいます。
(このとき僕の頭に浮かんでいたのは、『外套』のアカーキィ・アカーキエヴィッチのアニメートのため、実際に毛布にくるまった様子を撮影していたノルシュテインの姿です。)
そこにさらに、「当然こうなるだろう」ということを想像して付け加え、無事合格することになります。高畑さんは、「観察することによって理屈を生み出すことが重要なのだ」というように、大塚さんの話をまとめていました。

大塚さんは、アニメーターの技能検定の試験もやっているらしいのですが、そこで課される課題は、単純なキャラクターを動かさせることであるといいます。
「丸いボールを動かせ」という課題であれば、そのボールの材質は、重さは……といったように、あらゆる点をきちんと想像しなければならない。「頭の中で生き生きと動いていないものは描けない」のだと言います。
また、「本を読んでいる女性が、立ち上がって、風の吹き込む窓を閉める」という課題では、「立つ」「歩く」といった紋切型の動き以外の部分を自然に描けているか(たとえば、立ち上がって、歩きはじめるまでの流れが自然であるかどうかなど)がポイントとなるといいます。

漫画家とのコラボレーションでの苦労というエピソードもまた、アニメーションにはどのような想像力が必要かを明らかにしてくれます。
漫画で描かれたキャラクターは、そのままではとても「動かない」。漫画家は特定のアングルだけを使いつづけても構わないが、アニメーションで動かすとなると、そのキャラクターをあらゆる角度から描けないといけない。
立体的なモデリングが必要だというわけです。アニメーションと漫画との違いを考える上で、重要な示唆だと思います。

ただし、今日の話は、ディズニー~東映動画直系の流れのものであるにすぎないというフォローもされます。テレビアニメが開始され、省力化を図るために紙芝居の延長線上のような作品がつくられるようになっていきましたが、そこから、「止まった絵を使うこと」による面白さを追求する流れもできてきたというのです。むしろ現在では、こっちの方が多数派です。
両氏は、「止まった絵」の方向性が行き着く先については悲観的です。現状、商業アニメーションは、低予算・大量生産という制約があるゆえに、本来ならば長年かかるはずのアニメーターの訓練が行われていません。それゆえに、「論理的でない」動きをする作品ばかりが溢れてしまっていると両氏は言います。このままだと枯渇していってしまうだけなので、もう一度、基本に返ることが必要なのではないか、と。
会場からは、「日本のアニメーション作品においてなぜ3DCGは違和感のある使われ方しかしないのか」という質問がされましたが、それに対する両氏の答えも、「論理性が欠如しているから」というものでした。高畑さんは、「3DCGをきちんと使えているのはピクサーくらいではないか。ピクサーは3DCGで成功することだけをやっている」というコメントもありました。

来週は後編です。イタリアで『赤毛のアン』を上映したときに考えたことを中心にした高畑勲さんのお話らしいです。

線で捉え、描き、動かす-----セル・アニメーション映画における身体表現 (講演情報)
次回は1/17(木)17:30から。

今日の話の内容からすれば、以下の本が参考になるかもしれません。
大塚康生『作画汗まみれ』[Amazon]
フランク・トーマス&オーリー・ジョンストン『ディズニーアニメーション 生命を吹き込む魔法』[Amazon]
どちらも面白い本です。

余談ですが、アニメーションの身体表現というテーマはとても面白いと思うのですが、不思議なことに日本では研究している人がいないような気がします。(欧米圏では結構たくさんあります。)ロトスコープやカートゥーン、前述のノルシュテインの話や日本のアニメーションなどを包括して考えてくれるような人はいないものでしょうか。それこそ、学習院大学の展開に期待、なのかもしれません。

土居

コメント

アニメーションと身体表現

この記事はセルアニメ中心の内容でしたが、「アニメーションと身体表現」というテーマを考えた時に、まず頭に浮かんで来たのが、「TokyoLoop」 に収録されていた佐藤雅彦さんの作品のことでした。
あの作品は人間の歩く動作をコンピュータがサンプリングするやり方をシンプルに見せていて、そのために「動きのとらえ方」に対する批評性を持っていたと思います。
(あの動きが映像からとられたものなのか、数値をプログラミングしたものなのか、作品を見ただけでは分かりませんが・・)
また、ウエンディ・ティルビーの「ある一日のはじまり(when a day breaks)」は、ロトスコープを使ったと言われる、”まるで映画のワンシーンのような”動きが印象的ですが、あの作品ではテレビや電気のコード、水道管といった「ライン」によって、直接手の触れないものと結び付けられた現代の生活が描かれていて、ロトスコープという技法もそのような現代的な身体感覚の表現のために選ばれたものなのだなあ、と思いました。

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