Animations Blog


Animations creators&critics Website

Animations

アニメーションズ、創作と評論


カレンダー

07 « 2017-08 « 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最近のコメント

最近のトラックバック

最近の記事

RSS

広告

FC2Ad

        --------        スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

        2008-01-27        ノルシュテイン10日間ワークショップを今さら振り返る(4)

○4日目
 この日は、東京都美術館で開催されていた「プーシキン美術館展」でフランス絵画を観てくるところから始まった。ノルシュテインとしては、普段、家の近所で何度も何度も観ている絵画を東京で観ていることが非常に不思議に思えたようである。

 ここまでの講義でも、講義の材料として絵画作品が何度も使われたのだが、今日ノルシュテインが課した課題は、絵画の中に映画的なものをみる、ということだった。
プーシキン美術館展のカタログを観ながら、ノルシュテインは様々な絵の映画的な要素を指摘していった。それは、絵画の中に運動をみる、あるいは時間の流れをみるということであろう。例えば、ノルシュテインはダリの『目覚めの一瞬前、柘榴のまわりを一匹の蜜蜂が飛んで生じた夢』(1944)を例として挙げる。この絵が描いているのは、ある女性が目覚めるまでの一瞬にみられた、蜜蜂の羽音によってもたらされた夢である。ノルシュテインは、書画カメラを操作し、ズームを繰り返し、絵の一部を切り取りながら、一枚の絵画の中でアニメーションを作っていく。アップになった蜜蜂は、絵を動かすだけでもアニメーションとなる。そして、絵の中に散りばめられた様々なモチーフにズームしながら、女性の夢をアニメーションとして再現していく。こういった作業は、モンタージュの練習にもなるし、一つの作品の構成を作り出す練習にもなるし、絵画作品自体が持つリズムを掴む練習にもなるという。
 課題として出されたもう一枚の絵は、パウル・クレーの『さえずり機械』(1922)である。
 この作品に音を付けるとしたらどのような音を付けるか。画面右下にある把っ手はどれくらいの速度で回されるか、左下のプロペラはどれくらいの速度で回って、どんな音を出すのか。それぞれの頭の重さはどれくらいで、どのようにして回るか。どんな音を出すか。舌は頭より重いか軽いか。重要なのは、コントラストを考えることである。下部にあるプロペラは重量のない軽い音を出すのだから、上部の頭や舌の部分が出す音はそれとコントラストを成さないといけない。ある部分が出す音は、違う部分から出されてはならない。
 コントラストは音に限らない。下にあるプロペラは軽いので、上にある舌は重くなければならない。4つの頭はそれぞれ違う動きをしなければならない。

 コントラストの話から、『ケルジェネツの戦い』(1971)へと移行していく。
 使われる音楽がまず選択される。その音楽は抽象的なものであるが、その音から、使われる色が決まってくる。音楽にあわせて、作品の各部分の色調が決められる。この部分は暗い色、この部分は明るい色……というように。その際にもコントラストは必要で、暗い色は明るい色とコントラストをなさなければならない。(ここでも、色の選択に際して自分の感覚に自信を持つことの必要性が語られていた。不自然な感覚を排さなければならない。)
 ここでノルシュテインは、今まで公にされていなかった撮影技法を教えてくれた。『ケルジェネツの戦い』での、騎兵隊が疾駆していく場面はどのようにして撮影されたか。
 驚くべきことに、このシーンではアニメーターの力は借りていないという。そのヒントから参加者の一人が思いつく。「プラクシノスコープの原理を使っているのではないか。」プラクシノスコープとは、アニメーションの発明者と言われることもあるエミール・レイノーによって発明された、映画に先立つ光学機械であり、ある一つの動きが分解されたものが一回りの輪に描かれる。それを回転させることによって動きが生み出されたように見える。
 ノルシュテインが美術に指示したのは、馬の走りを描いた8コマを、等間隔に並べて描き、それを回していくということだけである。それぞれの馬の絵は、馬同士の間隔よりも少しだけ大きめに回されることにより、前進するように見えるのである。Clare Kitsonによるノルシュテインの伝記"Yuri Norstein and Tale of Tales"(Indiana University press, 2005)には、ソユズムリトフィルムでのアニメーター時代のノルシュテインが、アニメートの技術だけでなく、技術的な発明を様々に行ったことが書かれている。『霧の中のハリネズミ』の制作過程の中でも、ノルシュテインは撮影監督のアレクサンドル・ジュコーフスキーとともにマルチプレーンの撮影装置を進化させて、上部に据え付けられたキャメラが自由に動くという独自の撮影装置を生み出した。技術的な革新者としてのノルシュテインの一面が、このとき見えた気がした。

 シナリオの話に移り、今度は『アオサギと鶴』(1974)が話の中心となる。この作品の一つのテーマは、コンフリクトである。まず、アオサギと鶴は、その見た目のコントラストによってコンフリクトを生む。作品を観ればわかるように、両者の間のコンフリクトは、最後まで解決しない。
 また、最も困難な課題となったのは、雰囲気の創出である。キャラクターが人間でないのにもかかわらず、人間的な物語を作る必要があった。雰囲気の創出ということに関して、この二匹の鳥が一体どこに住むべきなのかという問題が出てくる。生物学的には、二匹の鳥は沼に住んでいるが、それでは人間的な物語は作れない。単なる鳥類の研究映画のようになってしまうのだ。かといって、鶴の高い背丈に合わせてあばら屋を建てると、それはまるで公衆便所のようになってしまう。
 二匹をどこに住まわせるか。その解決を与えてくれたのは、いつもながら、ある写真との出会いであった。『狐と兎』の兎の目が民衆絵画の一枚の絵の中に発見されたことは前日に話されているし、『話の話』の狼の目は、虐待された子猫の写真に見出されたものだ。
 ここでも、ある写真との出会いが解決を与えてくれる。古代建築についての本を眺めていたノルシュテインは、廃墟となった神殿の写真の下に、そこに佇む鳥の写真が配置されているのを発見する。そしてこれが住居の問題の解決となる。そして作品にみられる通り、二匹の鳥は廃墟に住むこととなる。住居が決定されると、登場人物たちの生活の様子も自ずと見えてくることとなる。これも調和の一つであろう。

 おそらく、背景や物語の内容が要求したのであろう。視覚的な要素は、この作品では全体的に軽い感じで表現されることとなる。切り絵のパーツは、トレーシングペーパーにホワイトチタンに着色し、軽い陰影がつけられる。セルに軽く傷をつけることで、それを線とする。こういった技術的な工夫はすべて、全体に軽さの感覚を与えるためのものである。

 この日の講義は、予定よりも早く終了した。ノルシュテインは日本に来て以来風邪をひいており、もう喉が限界となってしまったらしい。

---
(5)に続きます。

Clare Kitson, "Yuri Norstein and Tale of Tales: An Animator's Journey"[Amazon]

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可  

トラックバック

http://animationscc.blog105.fc2.com/tb.php/68-df708a6d

 | HOME | 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。