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        2010-12-31        2009-2010年ベスト(3):学生作品

続いて学生作品をピックアップ。

『ミラマーレ』(ミカエラ・ミュラー)
Miramare (Michaela Müller)


miramare02

今年のアヌシーの学生コンペはとても面白かったです。おそらく一般コンペ以上に。皮肉なもんですが、学生コンペの方がアプローチも語り方も多様なんですよね。質はともかくとして。そのなかでも一番光っているように僕には思われたのが、ミカエラ・ミュラーの『ミラマーレ』でした。この作品もまた広島では落ちましたけど、「和田淳と世界のアニメーション」で上映できましたからご覧になったかたも多いと思います。ガラス上ペイントというクラシックな技法を用いていますが、なんでしょうか、この新鮮な感じは。ラストシーンの夜の美しさには息を呑みます。今まで観たことのない色調というか。フォークナーの短編で、どの物語かは忘れたのですが、納屋か小屋かが火事になるシーンがありまして、その描写を読んでいるとき、脳内にきわめてキレイな色調の炎が現れたんです。いや、あれは夕暮れの色だったか……まあ、どちらでもいいんですけど。別にフォークナーじゃなくてもいい。そのとき思ったのは、アニメーションってなぜか色彩描写の鮮やかさにおいて小説に負けることが多々あるなあ、ということでした。でも、このアニメーションは違いました。そのフォークナーの炎を思い出したのです。ああ、これだった、と。未知なるものを内包した感覚があったんです。浜辺にレジャーにやってきた中流階級の家族。その姉と弟が立ち入り禁止の区域に入ってしまうことによって出くわす違法な移民たち。ひとつの境界線を隔てて存在する、天国と地獄の2つの世界。常にメタモルフォーゼを繰り返さざるを得ないこの技法とぴったり一致するように、物語の描き方は非常に朧げです。人によってはそこを失敗だと判断する人もいるでしょうし、アニメーション・パート自体もあまりうまくないという人も多いです。意図通りではなく、偶然美しくなってしまった作品なんじゃないかという見方もあります。しかしそれでも、この作品を観ているあいだ、僕がずっと息を呑みつづけてしまったという事実は変わりません。ミュラーにとってこの作品は初めての作品。それゆえの拙さ、制御のきかなさが生み出してしまった偶然の産物なのかもしれませんが、それでも、僕はこの枠に収まりきらぬなにものかを底に秘めたこの作品を擁護します。


『くちゃお』(奥田昌輝

gumboy

この作品を初めてみたとき、本当に学生作品なのか、目を疑いました。『オーケストラ』によって鮮烈なデビューを果たした奥田&大川原。(もう一人の監督小川雄太郎はポスターデザイナーです。)大川原亮の『ANIMAL DANCE』は去年の学生ベストのひとつに挙げさせてもらいましたが、今年は奥田昌輝の番です。アニマドリードやファントーシュ、クロクなどで大きな賞を受賞しているこの作品、山村浩二や岡本忠成の影響は存分に伺えますが、かなり意識的にやっているようにも思えます。ユーモアと残酷さの配分が非常に意地悪でお見事。『オーケストラ』以上に、エンターテインメントに徹することができているような。2010年は東京藝大のアニメーション専攻が初めて修了制作作品を送り出した年でした。ザグレブやオタワで最優秀学校賞を取るなど、映画祭シーンに与えたインパクトは非常に大きかったです。海外短編・映画祭の文脈を明確に意識したものが多かったわけですが、『くちゃお』はそんな学校を象徴するような作品だったとも思います。

『オルソリャ』(ヴェラ・セデルケニイ)
Orsolya (Bella Szederkenyi)


orsolya

アヌシーの学生部門で『ミラマーレ』と並んで感動的だったこの作品も「和田淳と世界のアニメーション」で上映させてもらいました。トーリル・コーヴェとアダム・エリオットを同時に思い出す作品でした。自分自身の成り立ちや行く末を俯瞰し、運命を受け入れる態度に前者を。正常であることから外れてしまったことを哀しみと受け入れるのではなく、人間は正常からはみだすものなのだと教えてくれる感じに後者を。根拠ある優しさに溢れたこの作品は、逆立ちして生きることしかできなくなった女性が自分の運命を受け入れるまでの物語を語ります。標準から外れてしまったことによって生まれた出会いの後、ラスト、公園で、女と男が、まるで陰陽のマークのように、互いに補完しあうかのように、寝転んでいたことは偶然ではないはずです。(このラストは、いよいよ日本公開が決まった『メアリーとマックス』のとあるシーンをも思い出させました。)アニメーションは基本的に有機性を根底に置いているがゆえに、そのことに意識的でない表現者はノスタルジーや一体感を時に根拠なく前面に押し出してイヤな気分になりますが、しかし、この作品のそれは、根拠あるものに思えました。

次のエントリでは長編をピックアップします。

土居

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