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        2010-12-30        2009-2010年ベスト(1):短編i

2010年は結構いろいろなことがあった年だと思います。
後々振り返ってみると重要な年だったなと認識される気がします。
個人的にもアニメーションズ・フェスティバルとCALF設立という大きな出来事があり、
(個人的なレベルだけでなく大きなことであるのを願うばかりですが)
ブログも含めサイトの方は結構ほっぽらかしたかたちになってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。
映画祭のレポートも途中で放り出したままになっていたり……

しかし去年やって好評だった今年度のベスト作品についてのエントリは書きます。
ベスト選定というのは本当ならば日々のブログ更新あってこそのものだとは思うのですが、
いつもとは順番が逆になるんだという認識でお願いできればと。
(年明けてから書く映画祭レポに、ベストではないが気になった作品についていろいろと書いていきますので。)

去年は2008-2009年のベストを書きました。
今年は2009-2010年のベストを書きます。
フェスの作品のサイクルがやはり2年単位ということもありますし、
去年触れた作品でも、みなさんにとっては、広島でようやく観れたものも多かったでしょうし、
(実際にはそんなにかぶってなかったりもしますが)
そうします。
一部作品は去年とかぶっていますけど、
今年のフェスティバル・シーンを騒がせた作品のなかから、という理解でお願いします。

それではいきます。

THE EXTERNAL WORLD (David O'Reilly)

EXTERNAL

今年の一本は?と問われたら、迷うことなくこの作品を挙げます。アニメーションズ・フェスでも上映した前作『プリーズ・セイ・サムシング』は世界中の映画祭で話題になり、論議を巻き起こしましたが、この若き3DCGアニメーション作家が繰り出してきた次の手は、かなり挑発的なものでした。単純化されたキャラクターたちが暮らす現実世界とテレビドラマのフォーマットのパロディが入り乱れるこの作品、本人は「エクスペリメンタル・コメディ」と形容してますが、ギャグ自体は非常に下らない。しかしおそらく、そのあまりの下らなさこそに意味がある。この作品の何が挑発的なのか。「下らないだろ?」と観客と一時的に「わかったふり」をしておいて、最後にひっくり返すそのやり方が非常に挑発的に思えます。下品さに嫌悪感を覚える人もいるでしょうし、作家が自分自身の方法論に対してあまりに自覚的であることに対して白々しさを感じる人もいるでしょう。しかし僕は、彼のそんな方法論をも含めて、この作品を支持します。アニメーションが観客とのコミュニケーションによって成立するメディアであることは、数々の巨匠がいろいろな言葉で語っています。(ノルシュテインがたとえば「結局はアトラクションのモンタージュなのだ」と言っていたり。ディズニーやマクラレンが、観客がどう受け止めるかを予期することが重要なのだと言っていたり。)作り手と観客のあいだで、約束事が共有される必要があるということです。この作品が描くのは、そんなアニメーション的コミュニケーションが浸透しきった後の世界のリアリティについてです。すべてが表面上に浮かび上がり、すべてが了解可能だと信じられている世界。狭い因果律で成り立つ世界。この作品は、そんな世界の本質的な下品さ・下らなさを笑い飛ばします。作品終盤のある瞬間、今まで観客と一緒に冷笑的に笑っていたオライリーは、突如として牙を剥きます。おめえこんなんで笑ってんじゃねえよ、と。しかしだからといって、彼は愚かな観客を笑い飛ばすだけでもないのです。彼は挑発的でありつつ、非常に真面目で誠実です。僕たちが現実だと思い込んでいる世界は、決して世界のすべてではないのだとも言いはじめるのです。(明示的には言いませんけど。)言語化できぬもの、単純化しえぬものを示すのだ、と言ったらクリシェに思えてしまうでしょうか。でも、この作品は、そういったものの提示の仕方が、実に素晴らしいと僕は思います。9月のヴェネチアがプレミア上映だったのに、日本ではもうすでに2回も鑑賞のチャンスがありました。逃した方もきっとまた近いうちに日本で観られるチャンスは訪れると思いますから、是非観てください。

『愛と剽窃』(アンドレアス・ヒュカーデ)
Love And Theft (Andreas Hykade)


lovetheft

広島ではまさかのコンペ落ちでしたが、アニメーションズ・フェスで上映できたので、ご覧になった方も多いかと思います。棒線画のシンプルなスタイルで成長することの痛ましさを語りつづけてきたヒュカーデから届いた、まさかのノンナラティブ作品。インディペンデント・アニメーション界の一部になぜか未だにはびこっている「オリジナル幻想」を笑い飛ばすようなものとなっていました。創造というのは先人が残したものへの「愛と剽窃」で成り立っているのだと堂々と語りつつ、しかし「新しいものなど生み出せない」などという変な悲観と息苦しさなど1mmも感じさせないという素晴らしさ。アニメーション・キャラクターたちへの愛、そして葛藤、それを経たうえでの新たな創造的宇宙(ヒュカーデの過去作品のキャラクターが総出演しています)の誕生……ここで展開されているのは、至極真っ当な創造論なのです。ちなみに、中割りを担当したのは、去年の学生ベストに挙げた『生命線』Lebensader(こちらはCALF配給の「和田淳と世界のアニメーション」で上映されました)の作者、アンジェラ・シュテファンです。

Lipsett's Diaries (Theodore Ushev)

Lipsett

セオドア・ウシェフ監督、クリス・ロビンソン脚本というAnimations的には涎が出てしまうような組み合わせ、やはり期待を裏切りませんでした。クリス・ロビンソン『ライアン・ラーキン やせっぽちのバラード』で触れられていた、カナダの実験映画作家アーサー・リプセットが残した日記をもとに作られたというこの作品(最後には、そのような日記など存在しないことが明らかにされるわけですが)、ビジュアル面では格好の良いものですが、しかし現実的にはあまりに救いのないものとなっています。「はじめに白ありき」というナレーションで始まるわけですが、その白とはプロジェクターから発せられる光であり、つまり、暗闇のなかにほのかに光るものでしかありません。この作品は、そのはかない白によって無限の黒の存在を際立たせるような、そんなものになっていると思います。期せずして、自分が世界から切り離されているという感覚を持ってしまった人間が辿らざるを得ない人生の悲劇。映画制作という熱狂も、家族も、ほのかには自分を照らしてくれるかもしれないが、それは永遠ではない。人生の長さと比較すれば、あまりに短い刹那のことでしかない。最後には首を吊る自分の身体を冷徹に「ほら、僕の死体だ」と語ることで物語は締められるわけで、この作品が描くのは、とにかく「切り離されている」ということだけなのです。でもこのテーマ自体は、アニメーションが描きうるリアリティとして、それこそノルシュテインやキャロライン・リーフあたりの時代から繰り返され、去年のベストとして挙げたハーツフェルトだったり、『ウェイキング・ライフ』に代表される近年のロトスコープもの(やアニメーション・ドキュメンタリー)だったり、繰り返されているものでもあります。だけれども、これほどの強度で、これほど純粋に、やってのけた作品は例がないのではないでしょうか。いろいろな映画祭で何度も何度も観ましたが、何度観たって、最後は苦しく辛い気分になります。根底にも背後にもどこにも、ポジティブなものが見当たらない作品なのです。恐ろしいことに。諦めているようにさえ思えてしまう。しかし、強度は半端ないのです。

『わからないブタ』(和田淳)

buta

学生作品ですが、ベストに入れてしまいます。
正直なところ、最初に観たとき、ピンと来ませんでした。しかしその理由が今ではわかります。これまでの和田作品を観る見方で、観てしまっていたのです。どういうことか? これまでの和田作品も匿名の人物たちを描いてきましたが、しかしそのなかで偶然的にフォーカスがあたってしまう中心的なキャラクターがいました。そういった目でこの作品を観たとき、非常に中途半端に思えてしまったのです。描けていないじゃないか、と。しかしそれは僕が完全に間違っていました。今までの和田作品が、ひとりに焦点をあて、そこを中心として物語を展開していたとすれば、この作品においては、その中心は複数あり、散在しているのです。つまり、これまでの和田世界が、俯瞰で捉えられているのです。これまでであれば、中心キャラクターの内面性への接近がありました。彼や彼女のきもちいいことはこういうことなんだな、と了解できました。しかし今回はどのキャラクターも不透明です。彼ら彼女らは一体何を考えているのか? それがさっぱりわからない。しかし、それでいいのです。わからないことが生み出すちぐはぐさ。コヴァリョフが繰り返し描いていることでもあり、パルンが『雨のダイバー』で全面的にフィーチャーしたものでもあります。しかしここで和田は、彼らと同じテーマを扱いながらも、家族という親しい間柄においてさえも起こってしまうそのズレに対して決して悲劇的に感じることなく、それでいいのだ、と優しい目を向けるのです。この作品は、今を生きるための優れた処方箋にさえなっているように思えてしまうのです。

本当ならここにもう一本、プリート・テンダーのKitchen Dimensionsも加えたいところなのですが、

dimensions


去年書いてしまっているのですよね。広島で改めて大画面で堪能して、素晴らしい怪作だという認識を新たにしました。この作品について詳しくは、去年のブログ興奮気味の2009年オタワのブログをどうぞ。滅多にない作品だと思いますよ。

とりあえず今日はここまでです。
以上の5作品が僕が今年観たなかではずば抜けていたと思いますが、
次のエントリではそれと同じくらいに素晴らしく感じた作品を紹介します。
長編(豊作でした)や学生作品や選外佳作的なものについては、さらにその次のエントリにて。

土居

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