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        2010-03-30        TOKYO ANIMA!は素晴らしかったです(2)

(ちょびっと特殊な)一観客としてTOKYO ANIMA!の各作品で感じとったことを記しておきます。

先日TAFFに参加して少しホッとしたのは、自分では絶対に選ばない作品が選ばれて上映されていることでした。それがなぜ安心につながるかというと、僕とは異なる見方によってこの種のアニメーションに接している(違った評価軸で判断している)方が存在することを確認できるからです。個人の評価軸は決して全体を代替することはできません。いくつもの軸が重なりあってようやく全体像が見えてくるものです。だからこそ、自分とは異なる軸と交差できることは、安心につながってきます。貫いているところがまったく違う軸とはそもそも対話が成立しないわけですが、一部でも重なりあっていると、その創造的衝突によって僕自身の世界も広がっていきます。

TOKYO ANIMAもそういった種の広がりをもたらしてくれる一つの例となりました。

もう何度も何度も観ている作品が、上映の並び順によって違った顔をみせることがありました。
大勢の観客の前で上映されることによって「生きる」作品がありました。
知った作家の新作もありました。
これまで存在は知っていても、きちんと腰を据えて作品を観たことがなかった作家がいました。
自分のマッピングのなかにまったく入っていなかった作家の作品がありました。
僕のなかのインディペンデント・アニメーション感が、活性化され、より強固なものになっていったわけです。

僕がこういった上映会で何を一番考えるのか。それは、自分はなぜこの作品には引っかかるのにあの作品にはひっかからないのか、ということです。そして、引っかかるのなら何がひっかかるのか、引っかからなかったりいけすかなかったりするとその作品のなかの何が自分にそう思わせるのかとさらに考えを進めることになります。その際には周りのお客さんの反応もうかがい、自分の反応との差異からまた思考を進ませていくわけですけど。

では僕にとってのひっかかり基準は何なのか。具体的な作品の話をする前にそこのところをちょっと言っておきたいのですけれども、もともとがノルシュテインの『話の話』に文字通りの衝撃を受けたところからこの世界に入り込んでしまった人間である僕がここに何を一番求めているかといえば、異質なものです。異質であり、なおかつ、これまでの自分になんらかのヒビを入れてくれて、なんらかの覚醒や抵抗を与えるものです。言い換えれば、オルタナティブでありながら、それ自体としてのロジックがきちんと成立しているものです。

利益を出すことなど考えることなく作り得るはずのインディペンデント短編というメディアは、そういったものができやすいはずなんです。そういったものに出会うとき、僕は個の表現が持ちうる強さを実感します。基本的に、サバイブするための方法論を学ぶことを求めていると言っていいと思います。所与のものではない選択肢を増やすための。

前置きが長かったですが、そんな人間が眺めたTOKYO ANIMA!のいくつかの作品への感想です。

今回『Orchestra』を久しぶりに観て改めて感銘を受けたのですが、それが何に起因するかといえば、同時代性だとか観客へのサービスだとか物語を語ることだとかそういったことには目もくれずに、ひたすら美的な基準でものを考えていることなんじゃないかと思いました。本人たちの気持ちが実際にどうなのかは知りませんが、「アクチュアリティ? 知るかボケ、ただこのクネクネした絵を動かしたいんじゃ」とでもいうような態度が基本に埋まっているような気がしたわけです。(作品内ロジックの貫徹は結果的に観客への感銘へとつながっていくわけで、そこらへんが面白いところですけれども。)いくつかのシーンでは、クラシックな風格さえも帯びた絶対的な強度を獲得できてしまっているのは、そこらへんが原因なのではないかと思うわけです。非情なる割り切り。今回は上映されていませんが、『Orchestra』三人組のひとり大川原亮『アニマルダンス』のすばらしさもそこらへんにあるのでは。(そういった点からすると、彼の新作『Walls』は、どのラインを突っ走りたいのかが不明瞭で非常に手ぬるく思えました。単なるビジュアルの実験、もしくはオシャレ映像化とでも捉えてしまえるような。)三人組のひとり奥田昌輝『くちゃお』は、前半が少々弱く停滞したように感じられたのと子供の歌の力が映像に負けているように感じられた点を除けば、そこらへんの割り切りが非常に明確で素晴らしかったです。

腰を据えてきちんと作品をみるのが初めてだった稲葉卓也『KURO』は、水江未来がtwitterでつぶやいていたとおり、まさに和製イワン・マクシーモフであり、非常に印象深かったです。もちろん、マクシーモフに似ているから素晴らしい、と言っているわけではまったくなく、マクシーモフが代表例として体現し突き詰めているアニメーションのありうべきひとつの方向性が、この作品でもきちんと掴み取られていることが素晴らしいんです。反復の動作のうちに生きる、自意識を持っているように思えない動物たち。いや、自意識は持っているけれども、自分を揺り動かしているものへの疑問感が薄いキャラクターたち。自分の外の世界やキャラクターに自分が及ぼす影響についてそれほど深く考えない動物の愛おしさ。個人的にはアコーディオン犬がツボでした。主人公(?)の彼(?)がなんとなく好奇心を抱いて向かった先が背景もない真っ白なところだったのも良かったです。

レッドプログラムにてそのひとつ前に上映されていた橋本新『葬儀屋と犬』にも結構驚かされました。ちょっとトッカフォンドが入ったエリザベス・ホッブスというか。この方の過去作品も一応観たことがありましたが、正直それほど印象には残っていませんでした。しかし今回は非常に濃密にアニメーションしていた印象です。『くちゃお』同様の突き放し感・ハッタリ感がビンビンに効いていた印象。アニメーションのクリシェを徹底的に意識して、弄び、逸脱させて、ダイナミズムが生まれるくらいに無意味化している作業がとても気持ちよかったです。

ブループログラムでは一瀬皓コから細川晋までの並びがかなり印象的でした。

一瀬皓コ『two tea two』ははっきりいってなんのことやらまったくわからず、しかし異様な恐ろしさを感じました。目を覚まし、カフェで紅茶を飲み、分身と出会う。とても単純な筋であるように思えつつ、しかしそこには回収しきれない何かもあるような。『ハピー』に感じる空恐ろしさに近いかもしれない。『two tea two』については何のことやらさっぱりわからないので完全誤読している可能性もありますが、主人公とその外の世界が描かれていながら、主人公の方は独自のロジックで暮らしていて、その他の世界のことなど微塵にも気にかけていないような、世界との調和などひとかけらも気にしていないような、徹底的な齟齬や断絶があるような、しかしそのズレこそが本当のところなのでは、というそんな恐ろしさを感じます。(パルンの新作と響きあっている気がします。ハーツフェルトの方とも。)『ウシニチ』で一躍脚光を浴びるようになった彼女ですが、ハッピーエンドでまるく収まるあの作品はむしろこの作家の本質からは外れたところにあるのかもしれないと最近思うようになりました。来るべき未完の作品は『cosmic!』というタイトルですが、まさにcosmicなスケールを呼び寄せる可能性のある作家なのかもしれない、と言ったら言いすぎでしょうか。まあいいです。大げさな物言いが好きなんです。

細川晋『新作(仮)』は、現在制作中の5分程度の音無し映像だったわけですが、かなり風通しの良い場所に足を踏み入れつつあるような印象を受けました。なぜか日本の若手の作家の人形アニメーションは非常に内向的な方向性に行きがちな印象がありますが、これまでの人形アニメーションのさまざまな遺産を吸収されながら、根拠ある寓話性を備えた物語が真摯に語られようとしているのじゃないかという予感がしました。

大山慶『HAND SOAP』にはこれまで何度も言及していますが、今日の鑑賞でまた違った印象を抱くこととなりました。僕も昔ムサビのイメージライブラリーの機関誌に「生を凝視する」というタイトルで作家論を寄稿したことがありましたし、先日のアップリンクでの上映イベントのレポートでも「見つめるアニメーション」みたいな感じで紹介されていましたが、『HAND SOAP』の世界はコラージュによって質感は実に豊かですが、まったくもって触覚的ではなく真に視覚的なものなのだと改めて実感した次第です。恐ろしいほどに「見る」だけの世界。もちろん登場人物たちはいろいろなものに触ってはいるわけですが、あたかも外界に対する触覚的な関係の仕方を忘れてしまったかのように思えてしまいます。手を執拗にごしごしと洗うところもそうですし、セックスをしたとしても、両親たちの肉体の熱さは感じられず、ニキビだらけのガサガサの肌や、もしかすると黒電話と同じくらいに「死んだ感じ」「単に塊としてしかない感じ」があって恐ろしいです。この作品が描いている触覚性は、視覚を媒介にして想像される範囲内のものでしかないような気がします。(そして、そんな感覚が異様にリアルに感じられもします。)だからこそ最後の冷たい外気のリアルな触覚性や視覚を一時的に喪失させるような真っ白な朝の光によってちょっとした変容がもたらされるわけですが。

唐突なことを言います。
出来事や世界は自分に関係なくただ外側で起きている。それに対してどう反応するか。とても抽象的な物言いですが、どうもそこらへんが問題になってくるんじゃないでしょうか。『HAND SOAP』の認識する世界もそんなモデルなんじゃないでしょうか。そこらにごろりごろりとした異物たちがいて、それらと関係を結べたり結べなかったり。(マクシーモフ的世界観も実は……)主人公である「私」が変容することによって世界中が変わってしまうような作品がよくありますが(ディズニーに祖型があるような)、それだともうリアルじゃないというか。周囲と結ぶ関係性によって、「私」はかろうじて変容する。でも、周囲自体は別に何も変わるわけではない。しかし、周囲の見え方と自分のあり方が変わる。

加藤久仁生『雪』という小品を観て思ったのは、アニメーションにおける私と世界とのこのふたつの距離感についてでした。『つみきのいえ』についてはいろいろと言葉を費やしました。今から読みなおすと適切でなかった言葉遣いをしているところも多いです。しかし、『HAND SOAP』に続いて上映された新作の『雪』を観て、自分が明確にしようとしていた違和感がどんなものであったのか、少しはっきりとしてきた気がしてきました。『つみきのいえ』は、記憶の海へと潜っていく舞台装置に代表されるように、まさに「私」の世界でしかなかったと思います。もちろん、主人公以外が建てている建物もありましたが、それは単なる書き割りの虚像にしか見えませんでした。そこには「私」しかおらず、観客も含めてただ自分の世界を追認して終わるだけ。そんなふうに思えたので僕は違和感を感じたんだと思います。抵抗も覚醒も変容もなにもないと。しかし、『雪』は違うように思います。酔いどれた雪の街の断片的なスケッチは、自分とは異なる人たちの動きを(言ってしまえばマクシーモフ的に)自律してごろごろとした異物として捉えていく。そこから色とりどりの感情が生起してくる。個人的には、世界に対するこのような距離感を支持します。

土曜日の作家紹介の際、壇上に上がった和田淳は『そういう眼鏡』について、なんでやろと疑問に抱きながらもそういうこともあるよな、となんとなく納得することがあると思うんですが、そんなことを描きました、みたいなことを言っていました。舞台から降りたあと「嘘ついたった」とも言っていましたが、その自作解説はむしろ、みんなことがよくわからないけど、そんなものなんだよね、という絶妙な距離感を描き出した『わからないブタ』の方にダイレクトに関わってくるんじゃないかと思いました。この作品もまたごろごろとした異物がそこら中に溢れかえり、それらの間で微細なグラデュエーションの関係性が展開していくというものでした。(コヴァリョフ『ミルク』においては冷たく残酷に描き出されていたその世界。)

またしてもこれは僕の完全な主観ですけど、今ここで作品について長々と述べた大山、加藤、和田といった作家の作品は、面白かった、だとか、楽しかった、だとか、アニメーション的にすごい、だとか、そういったのとはまた別の次元で、アニメーションのことなど関係のない人が偶然遭遇して、ビビビと引きつけられてしまう可能性を所持したアクチュアリティをまとっているのではないでしょうか。そういった、異物たちが関係しあうことによって、ささやかな振れ幅での変容が起きていく世界を描いているがゆえに。

とても強引なことは承知していますが、TOKYO ANIMA!が意識的にか無意識的にかはわかりませんが達成しているのもそういうことなのではないかと思います。自律して存在するごろごろとした異物としてのインディペンデント・アニメーションを、その他の異物たちと関係させはじめてみること。言い換えれば、インディペンデント・アニメーションをひとつの成熟した領域として提示して、(今回の場合であれば)アートの領域というこれまたひとつの異物へと放り込んだ結果として起こる接触を楽しんでもらうということです。

TOKYO ANIMA!から始まる新しい展開は、間違いなくあると思います。それくらいに意義のある充実したイベントでした。

土居

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