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        2010-02-07        メディア芸術祭「SICAF」「オタワ」

今年も文化庁メディア芸術祭の季節がやってまいりました。
「今」のアニメーションが観れるという点でいえば非常に貴重なこの機会、僕個人としてはアヌシーもオタワも去年参加したので新鮮味はないですが、それぞれ8ヶ月、4ヶ月と経った後で、主要な作品をもう一度見直すというのは良いことです。

しかしアヌシーは寝坊して見逃しました。本当は一回目でレポートして「二回目観にいかなきゃ!」と去年のオタワプログラムみたいにアジりたかったのですが、見事に撃沈しました。会場に行かれた方々によると、アヌシープログラムのPlease Say Somethingは日本語バージョンになっていたようです。日本語字幕が欲しい方はそちらを。英語版のオリジナルは本人公式やvimeoでみれますけど、日本語版はメディア芸術祭が世界初プレミアです。(しつこいようですが翻訳は僕が担当しました。日本語としてこなれてない部分があったとしたら僕の責任ですが、フォント等はオライリーくんが決めました、というかオリジナルに忠実に移植されてます。)

○SICAF

まずSICAFですが、韓国の短編が集中的に紹介されているので、キツいときは本当にキツいですが(韓国が、というのではなく、特定の国の最新のものに偏るとどの国でもそうなる)、今回はなかなかでした。

『Metropolis』(水江未来)と『I'll Be Normal Tomorrow』(チャン・ヒュンユン)はSICAFからの依頼で制作されたもので、しかしオープニング・アニメーション程度のものではなく、どちらも「作品」として観れるようなガッツリとしたボリュームがあります。確か「街」をテーマにすることが義務だった気がしましたが、両者のアプローチは正反対。『Metropolis』が街をひとつの抽象的な身体としてその血流やリズムを俯瞰するのに対し、『I'll Be Normal Tomorrow』は大きな街の片隅でひっそりと暮らす二人の物語を描きます。逆に共通点もあって、ともに都市のうちのある種の純粋な状態を描いていました。これはアニメーションのメディア的な特性に拠るところも大きいでしょう。

『Metropolis』ですけど、個人的には『JAM』は「細胞を使う」という方向性の極北であり袋小路に思え少々息苦しかったのですが、こちらでは力が抜けてスケール感が戻ってきた感じがします。サザランドの作品に共感する、というようなことを言ってましたが、それが非常によくわかるものになっていると思います。

ここでサラッと告白してしまいますが、チャン・ヒュンユンは結構好きです。誰?と思われる方には、『ウルフ・ダディ』といえばすぐに分かってもらえるでしょうが、去年のメディア芸術祭で上映されていた『私のコーヒー・サムライ』も結構良かった。(というかこれを観て彼のことを見直したんですが。)余計な夾雑物の排除された二人だけの世界の表現という彼の作家性は今回の短い作品において純粋化されている印象があります。セカイ系を遅れてきて実践しているという感は否めませんし、今回の異形の主人公をみればセカイ系の代表作のとあるマンガが頭に浮かんでくる人も多いでしょうけど、さらにいえば絵的にみれば生理的な違和感を覚えてしまう人も多いでしょうけど、そんなことは別にいいんですよ。美的方面に純粋化するのではなく、「今」の物語をきちんと語れるという点でいえば、彼は非常に貴重な存在だと思います。そこで語られている「今」に対してどのような反応を持つかについては、みなさんにお任せします。万人に共通する「今」ではないですからね。とにかく、生理的な反応だけでしょうもないと切って捨てるような作家ではないということだけご報告を。ほんと、恥ずかしくなるくらいに不器用なピュアさを描く作家です。韓国映画の文脈に位置づけるとどんな感じなのか、それはちょっと知りたいです。

学生部門グランプリのThe Bottle (LEE Yoon-Hee, SHIN Moon-Koung, CHA Yoo-Kyung, HEO Ji-Young)はグランプリにふさわしい親密なスケール感を持った作品です。孤独な二人の少女の交流記を描くのですが、真っ先に思い出すのはコヴァリョフの『ミルク』です。静寂のリズム感、構図の切り方、カメラの揺らし方、オマージュとまではいかないまでも、作家陣たちが何か共通のものを見いだしていることは間違いないように思います。ただ、描こうとしている世界というか、コヴァリョフと彼女たちの根本的な世界認識というのはかなり異なっていて、The Bottleの場合は良くいえば非常にプライベートな、悪く言えば非常に狭い世界を描いています。コヴァリョフのように切迫した空気感を描くことはできていません。しかしそれは技術的な瑕疵ではなく、繰り返しになりますが、彼女たちが生きている世界のリアリティがそうなんじゃないかと思います。これに対してどう反応するのかは、チャン・ヒュンユンの項の繰り返しになりますが、みなさんにお任せします。『HANDSOAP』あたりと比べてみても面白いかもしれないです。とにかく、悪い意味でピュアな作品ばかりが目立つ傾向があるアジア圏の学生作品からこういうものが出てきたのに少し驚きました。なかなかの力作です。

学生部門特別賞のShall We Take A WALK (KIM Young-Geun, KIM Ye-Young)はオタワでも観ました。視覚障害者の少年が街の散歩を元にして制作した触覚のオブジェを一緒に旅していく作品で、ドキュメンタリーと言えないこともない内容になっています。視覚障害者にとっての世界を追体験させるという、アニメーションの正しい使い方をしていると思います。技術レベルはともかく、なかなか感動的な作品です。

短編プロフェッショナル部門特別賞のDust Kid (JUNG Yu-Mi)は2008-2009年ベストのエントリの際にもちょびっと触れましたけど、濯いでも払っても洗い流してもやっぱり残ってしまう自分の過去や現在の残滓と折り合いをつけることを描いた良作です。しかし途中から音と映像がズレていて、しかもあまり違和感がなかったのがびっくりでした。でも、次の上映ではきちんと直っていることを願っています。

ここで取り上げた韓国作品、乱暴な言葉でまとめあげれば、どれも「引きこもり」的世界観をベースにしてますね。ただし、方法論がきちんとしているので、悪い意味でのそれにはなっていないと思いますが。こういう世界観、ショーアップされない純粋ピュアの世界、日本、韓国、あとロシアの学生作品に多い気がします。なんででしょうね。日本は悪い意味での引きこもり的世界観が多い気がしますが。若手の作家さんたちは韓国のこれらの作品を見習いましょう。SICAFプログラムの最後の作品については、反面教師にしましょう。でも観客賞なので、ウケたい人は見習いましょう。

SICAFプログラム、次は8日(月)の12:00からです。

○オタワ

予告してあったとおり、プログラマーの好みが北米仕様にちょっと偏ってます。Love on the Line、オタワで現地で観たときは「なんて面白いんだ」と他の観客たちと一緒にha ha haと笑っていましたが今回はそれほどでもなかった。でも良い作品だとは思いますよ。逆に、Mac the Honey Mac DaddyやMGMT "Kids"は現地では「下らなすぎる」とちょっと怒り気味で観てたんですが、今回はあまりの下らなさにちょっと吹き出してしまいました。特に後者、子どもがかわいそうでしょ! Postalolioはマーヴ・ニューランドらしい遊び心いっぱいの作品。ハガキの上にアニメート→それを全部制作スタジオに実際に郵送する→撮影というアホらしいコンセプト。作品自体はちょっと長いので二回目だとキツかったですが。Please Say Somethingはこちらでは英語版です。The Bellow’s MarchやThe Art of Drowningは、この画質では魅力を分かってもらうのは難しいでしょうね。もどかしい思いをしました。Madagascarもこのクオリティだとキツいかな、と思ったのですが、そうでもなかったです。三回目なので楽しみ方が分かったのでしょうか。『アバター』を観たとき並に没入して空気感を感じました。

オタワプログラムは8日(月)10:15-です。

メディア芸術祭が始まる前には思ってもみなかったのですが、SICAFの方が書くべきことが多かったです。もちろん、オタワはすべて観ていたということもありますけどね。

土居

コメント

メディア芸術祭

土居さんの文章を読むとあらためてアニメーションを「語る」ことの大切さを感じますね。「I'll be Normal Tomorrow (Chang Hyung-yun」という作品はどうもアニメ・マンガ的な世界観が目について入り込めませんでしたが、これを読んでもう一度観てみたいなあと思いました。そういった世界観を原体験に持つ作者が、それを用いていかに自分を語るかに注目しなければならないんですね。
「Please Say Something」アヌシープログラムで日本語版観ましたが(英語力の無い自分にとっては)良い意味で敷居が下がって良かったですよ。

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