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        2010-01-07        ルツェルン・インターナショナル・アニメーション・アカデミー(6):ギル・アルカベッツ「アニメーションにおけるストーリーテリングとドラマツルギーの特性」&まとめ

 フィルモグラフィーを見渡してみると、実に多様なグラフィックでさまざまなテーマの作品を展開していることがわかるアルカベッツ。自分の絵のスタイルにこだわらない短編作家でもあり、観客の知覚を揺さぶる系統の実験作品も多く作っている彼は、アニメーションという表現形態に対してかなり意識的に違いないし、アニメーションとは何かということについて考え抜いているはずの作家であるように思われたので講演にも期待していたのだけれども、見事にそれに応えてくれた。
 アニメーションと実写は何が違うのかという論点に沿って、いくつかの仮説を提示するという構成になっていたこの講演。アルカベッツが「アニメーションらしい」例としてまず選んだのは、ミハエラ・パヴラートヴァーの『ことば、ことば、ことば』。実際の言葉が話されるわけではなく、なんらかのかたちを取る吹き出しとして言葉が表現されていくこの作品。アルカベッツは、われわれは実生活においてこんなものを実際に目にするはずはないのに、それでも理解できてしまうという事実から、アニメーションはメタファー的な理解によって成立するものなのではないか、とまず考える。
 そこから発展して、アルカベッツはさらにアニメーションと実写との違いを挙げていく。実写映画においては、観客は登場人物がどのような人物であるのかその個別性を理解し、それに対して同一化する必要があるのに、アニメーションにおいては違う。アニメーションには(ある程度の生涯を重ねてきた)人物そのものではなく、記号が登場しうる。(パルンが二日目に語っていたのと同じ指摘だ。)登場人物に強烈な特徴がなくとも、それどころか何の特徴を持たない登場人物を用いても成立してしまうことを指摘するのである。
 それゆえに、アニメーションに登場するのは固有で取り替えのきかない誰かではなく、より一般的なイメージである。the man, the dog, the womanではなく、a man, a dog, a woman。きわめて抽象的で一般的な何ものか。このイメージの一般性(非特定性)は、悪い場合にはクリシェ(典型表現)になってしまうが、うまく使えば非常に強力に観客に作用する。
 アルカベッツが続いて挙げる例はマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットの『岸辺のふたり』。この作品に登場するのはa fatherとa daughterであり、彼らは、どんな顔をしているのかが決してわからないように、特定の誰かではなく、父と娘の一般的なイメージだ。冒頭で父親が乗って去っていくボートも、決してボートそのものではない、もっと抽象的な何かであり、どこかへ行ってしまうこと一般のメタファーである。『岸辺のふたり』はこのように、一般的で抽象的で曖昧なイメージばかりが登場する作品なのに、それでも観客は自分の経験と照らし合わせることによって、この世界を充分に理解できるのである。(ノルシュテインがこの作品のそういった性質に、巨大なタイムスケールの凝縮の可能性をみていたこともついでに思い出しておこう。)
 最後の例として挙げられたのは、ガリ・バルディンの『アダージョ』。白と灰色と黒の折り紙で折られた非常にシンプルなキャラクターと舞台設定で出来上がっており、あまりに一般的かつ抽象的な世界であるのに、物語は観客によって広く共有されているものであるので、理解が可能になっている。(アルカベッツは同時に、人形アニメーションや3DCGアニメーションにおいては、このようなメタファー性は減少しがちだとも言っていた。バルディンは立体の作家だが、その思考や作品は立体としてはかなり特殊なのかもしれない。)
 アルカベッツは、こういった作品にみられる特徴こそが、アニメーションの可能性を真に活用したものなのではないかと結論づけて話を終わらせた。
 アルカベッツ自身が講演冒頭で話した通り、今回の話はあくまで大雑把な仮説であり、精緻な議論ではないこともあり、聴衆の質問とそれに対する答えが議論をさらに深めてくれることになる。アニメーションが象徴性を用いるという旨の話を観客と作り手との間のコードの共有として理解した聴衆からは、今回の話はすべてを身振りによって表現せねばならなかったサイレント映画にも言える話なのではないかとの質問があったが、アルカベッツはそれに対しては同意しない。何も知識を共有しない観客であっても、この種の「一般的な」登場人物を用いるアニメーションは理解しうることを考えると、ここで成立しているのはコードではないのではないか、というのが彼の答えだった。講演のなかでは観客の経験によるところが大きいと話していたアルカベッツだが、アニメーションの主な観客である子どものことを考えると(当然のことながら経験は少ない)、経験というもの自体がアニメーションの理解にあたってどれだけの比重を占めるのかはまだよくわからないというのが正直なところらしい。




 アルカベッツの話をレポートのラストにしたのは、最終日の出来事だったからというのもあったが、それ以上に、アルカベッツ自身の話の内容が、この国際会議を象徴するようなものであるように思えたからだ。すなわち、アニメーションに関してなんとなくみなが思っている、それでいてまだ精緻な議論がなされていない何ものかの指摘だ。アニメーションにおいて登場するのは何らかの実体を持ったものではなく記号であり、観客との間でその記号がうまく機能してこそ、アニメーションは強力な力を持ちうるという指摘は、パルンの講演でもなされたし、より大きな文脈で考えるとオライリーの講演もまた同じ列に捉えうる。記号を「そのものではないもの」として捉えれば、ディテールの選択などによって、そこには本来存在しないはずの全体性というものの表現を志向しようとするノルシュテインの考えもまた包括しうる。(『草上の雪』における「アニメーション=文学・演劇」論や『話の話』の「永遠」についての記述はアルカベッツの議論とストレートにつながってくる。)
 もちろん今回レポートする対象としてピックアップした講演以外にも、興味深いプレゼンテーションは多くあった。ジョルジョ・シュヴィッツゲーベルやノーマン・ロジェが自作を振り返る講演は、彼らの作品を理解するうえで非常に重要な「一次資料」として役立つものだっただろう。しかし、こういった話は映画祭の回顧上映の付録のトークでも聞ける。
 今回ピックアップした講演のすべては、「アニメーションとは何か」という非常に大きな問いに真っ向から答えようとする意志の感じられるものであり、こういった話は上映は最小限に留められとにかく言葉のプレゼンテーションを突き詰めていったこの場所でこそ可能になったものである。そういった講演の射程は広く、それぞれの作家たちの作品の分析のみに有効なのではない。(アルカベッツに至っては自分の作品については一言も触れなかった!)かといって曖昧な精神論や理念へと逃げ込むわけではなく、極めて実践的な理論を将来的に構築するのに役立つものとなる予感をひしひしと感じさせるものばかりだった。もちろん、議論は大雑把で使われる言葉はまだまだ感覚的だ。しかし、世界中の一流の作家陣が一堂に会し「アニメーションとは何か」ということについて自作を離れた射程を持った言葉が発せられたこのイベントは、アニメーションについて考える人々にとって、将来必ずや重要な第一歩として記憶されていくものとなるに違いない。
 今回の会議で語られた新しくもスタンダードな言葉は、アニメーションとはいったい何なのかについて、絵や無生物が動くだとか魂を吹き込むだとかそれに類するクリシェを更新する可能性をもったものである。アニメーションが真に重要とするものは何か。空想上の設定に基づいて具体的な人間の存在を移植したキャラクターやパーソナリティを動かしていくようなものはアニメーションのひとつの可能性にすぎない。アニメーションはより抽象的な何ものかが闊歩しうる領域なのだ。具体性を欠いていても、それでも観客はその世界を何らかのリアルなものとして感じうるし、むしろ他の芸術が持つ具体性の制約を軽々と飛び越え、より大きな何ものかを感覚させることができる。(ああ、この場にハーツフェルトがいたなら……)短編アニメーションという領域に関わる人を特別に集めたからこそ明らかになったアニメーションに対する理解。LIAAが最も未踏かつ最もエキサイティングな領域としてのアニメーションの姿を一瞥させてくれたのは間違いない。(終わり)

土居

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