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        2009-12-27        2008-2009年ベスト(1)

LIAAについてのエントリは一旦お休みにして、年末ということですし、ベストでも選んでみます。

映画祭でしか観れない作品が多いので、2009年一年だけのベストに限定するのはおそらく不毛でしょう。というわけで、2008年~2009年の素晴らしい作品(というか今年見たもの)を個人的にピックアップしてみます。今年はアヌシーとオタワに行ったので、それなりに書く権利はあるだろうと思いますし。

社会主義圏の大スタジオ時代の終焉後、伝えられるべきものが伝わらない現状をノルシュテインが嘆くのを聞いたのが去年のクロク映画祭でのこと。日本の作家の作品を観て、孤独で抽象的で冷たい世界に生きていると苦言を呈しているのもよく耳にします。僕はその意見に一方で頷きながら、そういった「孤独な」条件化だからこそ必然的に生み出される数々の素晴らしい作品があるのではないか、とも考えていました。そして2009年は、そういった作品と実際に出会った年でもありました。近年では資本主義圏の短編であってもスタジオでの集団制作のものが増えてきていますが、僕の目を引いた(というか心を打ち抜いた)作品は、個人制作によるものでした。

I Am So Proud of You, (Don Hertzfeldt)

proud02

僕にとっての2009年は、ドン・ハーツフェルト一色と言ってもよかったかもしれません。Everything Will Be OKを観て、予期せぬものとの出会いに啞然としてしまって、そして、2008年のこのI Am So Proud of You、これは個人的には『話の話』と並ぶほどの衝撃でした。インタビューを申し込んで、回顧上映をやるからというのでオタワにまで飛び、日本でなんとか紹介したいといろいろと画策している最中でもあるのですが、この作家はなんとしても日本でも知られなければならないと強迫観念にも似た切迫感に取り憑かれた年でもありました。そういった個人的な背景を脇においてみたとしても、やはりこの作家はアニメーション表現の新しい可能性を切り開いてしまっていると思います。アニメーションにおいて、実は絵の部分というのはそれほど重点を置く必要はないということ、むしろ可能な限りシンプルにすることが、観客側の補完を誘うこと。結果として、途方もなく大きな世界(内面そして外的両方)が短編という枠組みのなかに感じさせてしまうということ。(僕はこの点にマクラレン作品との親近性を感じます。)彼は自分のことを「偶然アニメーションの作業をすることになった映画作家」と言っていますが、凡百のアニメーション作家の作品よりもアニメーション表現であることの必然性を感じる作品を作っていると思います。内容的にも、これは孤独で抽象的な世界に暮らす現代の僕たちの物語なんだと強く確信します。

Please Say Something, (David OReilly)

pss

メディア芸術祭で短縮バージョンを観たとき、「ケッ」と思ったものでした。イメージフォーラム・フェスティバルでもう一度観たとき、「あれ?」と思ったものでした。作品をたくさん観ていると、頭にマッピングのようなものができてしまって、大抵の作品はそのなかのどこかに収まってしまい(「これは~な感じの作品だな」)、収まってしまったこと自体もそれほど問題にならないのですが、Please Say Somethingは違いました。最初は「この作品は俺には関係ないな」と思っていたのに、二度目には関係あるどころの騒ぎではない、ど真ん中だ、と再考させられました。彼のブログにアップされた「基礎アニメーション美学」を読み、その思いは確信に至りました。2009年のアニメーション映画祭シーンを最も賑わせた作品といっていいPlease Say Something。節約と一貫性の原則を採用することによって、3Dアニメーションの美学に新たな局面を切り開いています。彼はこの作品に辿り着くまで、例えばOctocatなどで実験を繰り返していました。どれだけヴィジュアルが貧弱であっても、作品は観客とコミュニケートしうるということを証明する実験でした。Please Say Somethingは、その実験結果を用いて、とにかく良い物語を語ることを主眼に置いており、ハーツフェルト作品との共通点も数多く見いだせます。(アニメーションにおけるヴィジュアル面への考え方はもちろんのこと、個人作家としての生き方も。スイスで再会したオライリーは、作品制作だけで生活できているハーツフェルトとオタワで出会えたことがすごく大きかったと語っていました。)この作品も僕を物理的に「動かして」しまっており、来年のメディア芸術祭で再度上映されるPlease Say Somethingは、日本語バージョンになっています。字幕翻訳をしました。不思議なことに、日本語になった不自然さをまったく感じません。(訳への自画自賛ではないですよ、作品の性質がそうなのです。何語になっても不自然ではない。)2月には観られます。乞うご期待。

『HAND SOAP』(大山慶

handsoap

大山慶という作家はもうちょっときちんと評価されるべきだと思います。(もちろん、彼について言及する人は最近とても増えています。アップリンクでの個人上映会の成功も記憶に新しいところです。)手法的にも内容的にも、これまでアニメーションが踏み込めなかった領域に突入しています。単純化ではなく過剰さを、という大山慶の方向性は、単なる天の邪鬼という次元を超えて、アニメーションがこれまで達成しえなかった実写以上に繊細な世界の表現に辿り着きました。同時に、『HAND SOAP』の観客が例の奇妙な踊りのシーンを経て辿り着くあの限りなく開けた世界。アニメーション史上、あのような感情を観客に味わわせた作品は存在しなかったのではないでしょうか。大山慶のひとつの到達点であるこの作品、日本ではどうもその革新性に気付いている人がまだまだ少ないようです。来年海外の映画祭でどのような評価が下されるのか楽しみです。

以上三作品がベスト3ですが、これから挙げる五作品も、これらと同じくらいに素晴らしいものだと思いました。

Madagascar, carnet de voyage, (Bastien Dubois)

mada


これまで挙げた三作品は、アニメーション表現として新しいとはいっても、なんだかんだいって、既存の映像文化の優れた遺産を数多く吸収した若者たちによって作られています。それに対して、オタワで三冠を達成したこのフランス人作家の作品の新しさは、彼らのものとは違います。考えるにあたって、作品自体以外の一体なにを参照していいやら。マダガスカルへの旅行記のスクラップブックの体裁をしたこの作品、空間表現がまず新鮮です、というかかなりこなれています。本人に話を聞いたところによると、3Dで骨組みを作って、そこに2Dを貼付けているそうです。(The Pearce Sistersと同じということでしょうか。)アニメーションとしての強度が軽すぎると思わされるところもときおりはあるのですが、それを補って余りあるくらいのスケール感を感じさせます。この圧倒感が一体どこに由来するのか、個人的にはまだ掴みきれていません。マダガスカルを実際に旅しているような、空気感でしょうか。できれば広島で35mmで観て、もう一度圧倒されたい。癖になる作品です。

Skhizein, (Jeremy Clapin)

shki

山村さんは去年の年末にベストとして挙げていますが、僕は今年が初見なので入れておきます。Please Say Somethingが3DCG表現において現実模倣とは逆方向に進むことによって「わかりやすく」革新的だった一方で、クラパンのこの傑作は、何食わぬ顔で3DCGを扱っています。(これもある意味形式化・単純化による「一貫性」によるものだと思います。)この作品も、一番最初の鑑賞体験が巨大スクリーンだったのがよかった。(フランス映画祭での上映です。)そこそこ大きな予算でハイクオリティでエンターテインメントでもあって、単なる慰みもので終わらない短編アニメーション。クリス・ロビンソンは、商業よりも高級で芸術よりは低級、という短編アニメーションの微妙な立ち位置についてかつて語っていましたが、この作品が証明しているのは、短編アニメーションにも優れた商業映画と同じようなポジションを占めうる可能性があるということなのではないかと思いました。同じような印象を感じた作品として、Mei Ling (Stéphanie Lansaque & François Leroy)も挙げておきます。この作品、もうちょっと映画祭シーンを賑わすかと思っていたんですけど。(今ちょっと調べてみましたが、『ペルセポリス』と同じ製作会社のようですね。)フランスつながりでついでにI Was Crying Out at Life, or for it (Vergine Keaton)も挙げておきます。デジタル切り絵であることが気にならない作品として。この作品も圧倒的でした。ちょっと長かったけど。

Life Without Gabriella Ferri, Divers in the Rain, (Priit & Olga Parn)

ferri  divers

ここまでは大スタジオ時代終焉後の個人作家たちの活躍を取り上げてきましたが、旧社会主義圏エストニアはまだその伝統を(良いかたちで)引き継いでいるように思います。去年は(良くも悪くも)ロシアの年でしたが、ピロット・スタジオのカリスマ、タタルスキーの死と不況による文化支援の終焉によって今年はびっくりするくらいに消えました。しかし一方でエストニアは、これまで同様に国家との和やかな関係を続けつつ、数本の傑作を生み出しました。2009年は、なんとプリート・パルンの新作を二本も観ることのできた年でした。しかも、オリガ・パルンという若い力を得て(彼女はパルン作品の非常に素晴らしい理解者であることがスイスで話してみてわかりました)、リフレッシュしたかたちでパルンは帰還してきたのですから素晴らしい。間髪入れずに制作されたこの二作、計60分強にも及ぶわけですが、共に前夫人の死を中心的なテーマに据えています。しかし、向かっているベクトルは逆です。最後にほのかな希望を見せる『ガブリエラ』に対し、Divers in the Rainは最後まで喪失の感覚は埋まることはありません。しかし両者は矛盾しているのではなく、共に死をめぐる真実の感情なのだと思います。デジタル技術の導入によって、ヴィジュアル的にも新機軸がいろいろと試されており、しかも成功していることにも注目です。パルンからはまだまだ目が離せません。

Kitchen Dimensions, (Priit Tender)

kitchen

エストニアにとって、2008年から2009年は、パルン・フォロワーとして考えられてきた作家たちが独自の一歩を踏み出した期間でもあったように思います。(世界的に見て、30代前半の作家が充実した成果を出した時期でもあったのですが。)去年の僕のベストのひとつであるウロ・ピッコフのDialogosが例えばそうですし、この怪作を世に送り出してしまったプリート・テンダーもまた然り。Kitchen Dimensionsはヴィジュアル的に観れば伝統的なエストニアン・スタイル。しかしあまりにも突き抜けすぎてしまっていて、もうなにがなんだかわからない。とにかくアホらしい。アホらしさの次元が高くて純粋すぎて、クラシックな作品にさえ思えてしまいます。これは広島に来るでしょうかね? みなさんの判断を仰ぎたいところなのですが。とりあえず、ラピュタさん、どうですか? リホ・ウントやパルンの新作などとあわせてどうですか?

長くなったので二回に分けます。次回は長編、学生作品、その他について書きます。

土居

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