Animations Blog


Animations creators&critics Website

Animations

アニメーションズ、創作と評論


カレンダー

05 « 2017-06 « 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

最近のコメント

最近のトラックバック

最近の記事

RSS

広告

FC2Ad

        --------        スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

        2009-10-17        オタワインターナルアニメーションフェスティバル09(3)

昨日は本当に飲み過ぎたので短くなったのだけれども(隣のホテルに泊まっているデイヴィット・オライリーと彼のホテルの前で別れた後10分くらい迷った。隣のホテルなのに。)"My Dog Tulip"以外にも目にとまる作品はあった。"Madagascar"は二度目に観てもやはり素晴らしいと思った。彼がマダガスカルに滞在した10ヶ月間を、すごく濃密に体験させてくれる。サザランドの新作"The Astronomer's Dream"は作品全体としてはそれほど感じ入るものがなかったが、全体的な雰囲気はすごく良かった。過去の作品にてカートゥーンの反復性にチベット仏教的輪廻を見いだした慧眼には恐れ入っていたが、そのミックスが復活してきている。

11:00~ International Show Case 1 @National Gallery
このプログラムは高校生無料になっており、そのせいで人がいっぱい。海外のフェスに行っても、現地の高校生に会うことはほとんどないからそれが新鮮だった。映画のなかでしか観たことないし。なんとも形容しがたい(というか起こっている個々の出来事はわかるけど全体としてはまったく理解できない)"Jelly Fishers"(Steven Subotnick)、スペルのミスをしすぎる男の語りをファニーに映像化していく素晴らしい作品"Missed Aches"(Joanna Priestley)が印象に残った。8人の人間へのインタビューのロトスコーピングと彼らが育った時代の映像文化がメタモルフォーゼで展開するパートが交互に繰り出される、『ウェイキング・ライフ』+ライアン・ラーキンといった趣きの意欲的な作品"Golpe de espejo"はあまりに長過ぎたのが厳しかった。すごく美しい瞬間も何度かあったのだけれども。

昼からはアニメーターズ・ピクニック。オープンルーフの二階建てバスに乗って会場へ。しかし二階にいて油断していると、木の枝が頭に直撃して危険。
ピクニックでは定番のカボチャ彫りコンテスト。しかしそれよりももっと貴重なのは、いろんな人との会話を楽しむこと。ただし俺は今日の朝から「英語がノイズとして処理されて意味に変換されない病」にかかってしまい、もどかしい思いばかりをした。しかし途中でオットー・アルダーがわざわざ話しに来てくれて、お互い英語は母語ではないのでゆっくりしたペースで会話を楽しんだ。12月のイベントにはデイヴィット・オライリーも来るらしく、ますます楽しみになってきた。ノルシュテイン、パルン、コヴァリョフ、ロビンソン……好きな人たちばかりが集まる。「来年以降もやりたいから協力してくれ」と(おそらく社交辞令でなく)言われ、嬉しくなった。英語記事を渡しておいてよかった。

公園から帰ってくると(帰路の途中、ロビンソンがカボチャ彫りパーティーで使った拡声器
を使って街の人に無差別に「ハロー!」と叫んだりサイレンを鳴らしたりして暴れていたのが面白かった)、異様に疲れてしまい、一旦ホテルに帰った。すると寝てしまい、目が覚めても起きれず、結局International Showcase2とスーザン・ピットを諦めてしまった。

8時頃起きて、今回の来訪の目的であるハーツフェルトのプログラムに向かう。
フィルムで観たら力強さが全然違う。
音圧が違うし、光のきれいさが違う。
細かい部分がしっかり見える。
繰り返しの上映によって付いた汚れが味になっている。
紙やエンピツの質感がしっかり突き刺さってくる。
これまでは一人でしか観たことがなかったけれども、
大勢で(しかも北米人と)観ると全然違う。
笑いやその後に訪れる集中の感覚を共有するのは良いことだ。
回顧上映は散漫な印象を与えがちだが、筋が一本しっかりと見える。
ハーツフェルトが作品を通じて対話を行おうとしていることとも関係するだろう。

今回は、"The Meaning of Life", "Rejected", "Billy's Baloon", "Everything Will Be OK", " Intermission in the Third Dimention", "I'm so Proud of you"に加え、とあるプロジェクトのための新作も上映。親知らずを抜くというだけの作品。久しぶりのブラック・コメディ。長回しを用いて笑わせる術が格段に進歩している。(適切なタイミングで行動が起こると、ギャグの内容がどうあれ笑ってしまう。彼のコメディは絶対的なタイミングとリズムを持っていてときおり背筋が寒くなる。)

作品をみながらいろんなことを思い出し、考えた。ハーツフェルトの作品は、今までにないタイプのものだと思う。彼は「偶然絵も描くことになった映画作家」だと何度も自称しているので、彼の作品をアニメーションという範疇だけに含めていいのかどうかはわからないけれども。何が新しいかといえば、観客との関係性。彼の作品はもちろんナラティブなんだけれども、とある物語を語りながら、観客が観ているのはそれだけではない。ハーツフェルトは「観客に想像の余地を残す」ということを非常に大事にしている。しかしそれは物語の結末を委ねるだとか解釈を一義的に提示しないだとかそういう陳腐な次元の話ではない。ハーツフェルトの作品を観ていると、絶対にすべてを捉えきることができないその情報量の多さにも関わらず(それに関連していえば、ナレーションの全体を観客に理解させようとしていないということを、劇場の大音響でその繊細な音バランスをきちんと吟味して聞いて改めて感じた。アニメーションではこれも非常に珍しいことだと思う)、作品を観ながらも意識が別の次元に飛んでいく。自分の脳内に生成するイメージをも体験させる。アニメーションのほとんどは作品の内部に観客を没入させる。でも彼の作品は違う。没入ももちろんさせながら、作品自体が提示していない観客個々の内的世界にも没入させる。こんな作品はあまりない。
彼の作品の新しさについて俺はきちんと語れているだろうか? 彼の作品は北米ではじゅうぶん評価されているけれども、このような話をきちんと伝えることができたとき、アニメーションに対する新しい考え方を打ち立てた人物として記憶されることもなるんじゃないかと思う。それは俺の仕事だろうとも思う。

しかし本当に適切に言語化することが難しい作家だなあ。

パーティーでは、今年のフィルムセンターでの上映で来日していたシネマテーク・ケベコワーズのマルコさんに挨拶に行き、するとマルコさんが(今日ハーツフェルトのプログラムで対談相手をしていた)「”日本から僕に会いにきた人がいる”ってドンが話してたけど、君かい?」と言ってきて当然俺なのでびっくりするとともにドンくんがそんなに気にかけてくれていたことに嬉しく思った。そしてマルコさんとちょっと話していると、誰かに肩を叩かれて、そしたらドンくんだった。わざわざ話に来てくれたことにまたしても感激。(感激ばかりして気持ち悪いですか?)しかし俺は「英語がノイズにしか聞こえない病」にかかっているので、ほんとに断片的にしか話が理解できず、歯がゆい思いをした。

それにしてもドンくんは本当に優しい人だ。俺を含めてどんな相手にも、相手の目をしっかりと覗き込んで、身体を小刻みに揺らしながら、全身を使って誠実に話してくれる。

俺にとってはノルシュテインと並ぶくらいに大切な作家になってきている。

明日は昼までゆっくり寝て、それからコンペを二つみる。
その後はオットー・アルダーのプログラムに行きクラシックな作品を観て、
スタン・バンダービークの回顧上映を観て、
そしてもう一度ドンくんの上映を観にいこう。

土居

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可  

トラックバック

http://animationscc.blog105.fc2.com/tb.php/326-2800f671

 | HOME | 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。