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        2009-10-02        カナダ・アニメーション・フェスティバル10 A, B, (C)プログラム

カナダ・アニメーション・フェスティバル10に行ってきました。

今日はいろいろと自分に不具合があって作品となかなか良い関係を結べず……

Aプログラム「マーケッター タンゲ セレクション」の一本目にマクラレンの『線と色の即興詩』が上映されたので、自然と頭が今週末のコンテンポラリー入門の方へ……(ちょびっとだけしゃべる予定です。)アニメーションにおいて自明とされがちなところを自明としないで、しかも観客に喜びを与えるという意味で、この作品は相当なものです。ブランクがあってもきちんと動きを読みとってしまう人間の知覚の不思議と、その不思議さとうまく混ざりあう抽象と具象のばらけ具合が本当に素敵な作品です。人間としての能力をなぜか伸ばしてくれるような気がしてしまいます。
すいません、ぶっちゃけていいですか? 『風』(ロン・チュニス)、何度も観る機会がありましたが、あまり良い作品に思えないんですけど……正直ラーキンのエピゴーネンにしか……ちかちか光ってるし、技法的にもテーマ的にもインパクトありますけど、チカチカしてブワブワしているだけで特に大したことは起こってないような……「風が吹いてる」という記号表現はあれど、本当に風が吹いていると思えないような。どなたか今度この作品の楽しみ方を教えてください。
『がちょうと結婚したふくろう』は相変わらず素晴らしいです。リーフの恐ろしいまでのポテンシャルが垣間見える作品。後の作品を貫くテーマともばっちり合致してますし。本質的に異質で疎外しあってしまうものが、一緒になれると思ってしまうことが持つかなしみ……なぜか(理由は明白ですけど)"Please Say Something"を思い出したり。
『エブリ・チャイルド』(ユージーン・フェドレンコ)、こんなに有名な作品なのに、僕、初めてでした。観るの。スチルだけ何度も見ていたので観た気になってました。このプログラム、音が全部声で付けられている作品が三つもあったんですが、『がちょう』に続いて二つ目。(三つ目は『スーフィー』です。)残酷な赤ん坊のたらい回しがおっさんたちの口真似効果音でファニーなものに。面白いですよ。(ああ、やっぱ今日ダメだ……)
『練習開始!』(リチャード・コンディ)は、身につまされすぎます。……が、実はこの作品もそれほど好きじゃないんです。アイディアをそのままわかりやすく展開しすぎというか、長いというか……
しかし、これほど作品との間に断絶を感じてしまう日でも、『ある一日のはじまり』には引き込まれます。歌詞に字幕がついていたのはよかった。DVDだとついてないしね……

続いてBプログラム「NFB最新作集 No.1」。
『めんどり母さん』(タリ)は、ニワトリの親子のいざこざの話。わがままな息子が反省し矯正されるまで。セリフがすべてコケなのと意志をもってるんだかもってないんだかわからない(褒め言葉です)ニワトリたちの動きが滑稽で、(まさかタリの作品とこの作品を比較するなんてという感じですが)『いつもの日曜日』(大山慶)を思い出しました。そんなこんなで3/4くらいはものすごく楽しめたものです。ただし、『いつもの日曜日』と違って、こっちはきちんとオチをつけてきますから(そして想定内のオチですから)、『練習開始!』と同じく「あまりにもそのまんますぎないか?」とヘナヘナしてしまったりもしました。
『フォーミングゲーム』(マルコム・サザランド)は相変わらず素晴らしいです。土曜日のコンテンポラリー入門でも話題になることでしょうから、まあそのときまで。ただ、最後の赤ん坊は、辻褄はあっているのですが、納得できない。観るたびに評価がかわります。(おそらく『バードコールズ』の終盤と同じく、あんまり何も考えずに適当に考えついたエンディングなんじゃないかと僕は思ってますけど。)
『ハングゥ』と『劇作家ジョン・マレル』は、目的ありきの作品で、内容がおろそかになっていました。必然性が感じられない短編というのは結構厳しいです。
『にわか雨で』(ダヴィド・コッカーダッソー)は、結構問題含みの作品なんじゃないかとアヌシーに続いて二回目の鑑賞で思いました。今までの考え方では理解できずこぼれおちてしまうものがあるような。前情報なしで観たら、アジアの人の作品?って思ってしまうんじゃないでしょうか。にわか雨によって、都市の人間たちの活動が止まり、ゆったりとしたものになる。それだけの作品なんですが……なんだかしょぼくもみえるし、すごく濃密にもみえる……実写ベースを用いているところもある背景と、人間たちのリアリティのギャップも狙っているのかそうじゃないのかわからない感じです。この作品についてはまだちょっと保留です。
セリフ多すぎな『背骨』(クリス・ランドレス)は、意外なことにアヌシーでの初見時と印象がまったく変わりませんでした。長編のダイジェストみたいです。この人の作品に出てくる人間キャラクターはアイディアの具現化でしかないですね……間違っても人間そのものではないです。

プログラムCの作品についてはマクラレンと『トゥトゥリ・プトゥリ』の作品はアヌシーのエントリで書いているので適当に検索してみてください。『リタッチ』も『大暴走列車』も面白かったですよ。

DとEについてはまた後日。


土居

コメント

「風」

ロン・チュニスの「風」はWikiのページにショートレビューを書き込ませてもらっているとおり、僕は結構好きなんですが(笑)、どのへんが面白いかといえばストーリー的な部分かもしれず、土居さんの求めるアニメーションである必然性はもしかすると感じられないのかも知れませんね。
風は無色透明で他のものに働きかける関係性でしか視覚的に表現できず、少年がその関係性をストーリーの中で発見していくところが面白いと思いました。
作者の意図はわかりませんが歩く人そのものを描いたWalkingとかとは色合いが似てるだけで別種な作品だと思います。

そのように言葉にしてしまうと面白いんですが、
実際の作品を観ると面白く思えないんですよね。

色合いといったレベルではない次元で、ラーキンのグラフィックの作り方と同じことをやっていると思います。(具体的にはあのチカチカさせる技術ですけど。)チュニスの他の作品はきわめて普通なわけですから、不自然さを余計に感じてしまいます。

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