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        2009-10-01        マイナーなんだからわからなくていいじゃないか

10月17日発売の「ピクトアップ」に、ちょっとした文章(白黒1ページ)を書かせてもらった。テーマをおおまかに言ってしまえば、短編アニメーションを紹介・評論することの意義について。短編アニメーションが「マイナー」であることを積極的に肯定する文章を書いた。

詳しい内容については雑誌の発売を待って読んでいただくことにして、そこで僕が肯定したのとはまったく逆の事態について少しだけ。

アヌシーに行ってものすごく気になったことがある。観客の反応だ。アヌシーの観客は一言で言ってクレイジーだ。大雑把に言ってしまえば、「わかりやすいもの」「笑えるもの」に対する反応が凄まじい。一方で、パルンの上映の前に多くの人が帰ったことを言った。「長いから」という理由で、観ることが最初から放棄されるという現象が起きているのだ。(もちろん、途中でも帰る人は続出した。)クリス・ロビンソンは、アヌシーで抽象アニメーション作品にブーイングが起こったという話をかつて書いていた。

もうひとつ気になることがある。「言葉がないアニメーションは世界中の人が理解できる」というような言説。セリフ満載であることがひとつの悪としてみなされる向きがあるような気がする。

この「国境を越えようぜ」感は、危険も伴っているような気がする。「マイナーであること」が「馴れ合い」の方に傾きうるんじゃないか。短編アニメーションの世界はみな仲良しだ。これは世界的にそうだと思う。それはもちろんいいことだ。時には互いに守りあわないといけない。

でも、作品の善し悪しを判断するレベルで(もしくはそもそも作品が作られるレベルで)、馴れ合いのようなものが起こってしまったらまずいよなあ、とも思う。

マイナーである短編アニメーションは、主流派に対してオルタナティブであることによって、ようやく意味を持ちうるんじゃないか。主流派の論理の縮小再生産ではいけないんだと思う。そもそも、少人数で作られる(作りうる)短編アニメーションなんだから、もっと孤独なヴィジョン(それでいて筋が通っているもの)が追求されてもいいんじゃないか。

別に、わからなくていいじゃん、と思う。得体が知れなくていいじゃん、と思う。言葉もどんどん使えばいいと思う。(ナレーションを極めて効果的に活用しているハーツフェルドの近作を観て改めてそう思った。もちろんアダム・エリオットの作品もそうだ。)一度で伝わらないこと作品の鑑賞体験は、それ自体で特別で、美徳さえ持っていると思う。クリス・ロビンソンは、自分に本当の意味で衝撃を与えた作品(クルメ『クロスロード』、パルン『1895』、最近だと『カフカ 田舎医者』やハーツフェルド"I'm So Proud of You")について、素直に「わからない」と言っている。

……こんなことを書いているのも、予想を裏切るようなものがもっとみたいなあ、というだけですけども。もちろん、現状でもたくさんありますよ。このブログの僕のエントリで好意的に書かれている作家の作品は、だいたいみなそうです。最近のものが全部ダメ、なんて一言も言ってないですよ。ただ、短編アニメーションには、メディア自体の構造とか立ち位置を考えても、もっとそういう「わからない」ものがたくさん生まれていてもいいのになあ、とは思います。

もっとたくさんの異質な世界に耳を澄ませたいんです。わからない方が、わからないものをわかろうとする方が、面白いじゃないですか。

ブログなんで唐突に書いてみました。

土居

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