2009-09-13
さらにDon Hertzfeldt "I'm so proud of you" (2008)について
Don Hertzfeldtの"I'm so proud of you"、到着以来毎日二、三回観ています。まったく飽きません。毎回泣きます。違うところで。しゃくりあげます。一人でいるときに思い出してしまうとやばいです。今日もICAFのシンポジウムのときに危なかった。
本当に革新的な作品だと思います。これが革新だとみなされていない(ように思える)ところに、アニメーションに対する古ぼけた固定観念が支配的なんじゃないかという問題点を感じます。(短編アニメーション界はどんな表現だって許容するはずなのに!!)
世界でもっともシンプルで、もっとも美しく、もっとも壮大なスケールの短編アニメーションかもしれません。(音響構築やスプリット・スクリーンの使用といったことをふまえれば、もっともゴージャスと言ってもいいんですけど。)
内容のことを忘れて、形式だけに注目してみても、この作品の革新性はよくわかります。
何が革新的かといえば、マクラレンやクルメ並に、観客の知覚に対して実験的にふるまっていながら、紛れもなく物語を語っているということです。知覚実験的アニメーションがどうしても抜け出せない、ひとつのアイディアを純粋に映像化するような構造ではないのです。短編アニメーションでなければ不可能なやり方で、語っているのです。構造的に似ているのは、『話の話』と『HAND SOAP』でしょう。もしくは、もっと崩したかたちでの『反復』。つまり、断片をモンタージュして想像的に総体を創出する語り方です。
実に驚かされるのが、彼の代名詞であるマッチ棒型キャラクターが、適切に「機能」していることです。ハーツフェルドは、アイディアや自分のグラフィック世界をスクリーン上にリテラルに定着させるようなかたちではアニメーションをつくりません。そのかわり、観客が的確に「想像」できるようにする最低限のマナーを心得たうえで、画面をつくります。『人生の意味』からはじまったこの新しいタイプのアニメートの仕方(アニメーション自体のゴージャスさを捨て、「機能させるもの」として捉える考え方です。アニメートの作業自体に対してかなり距離を取った考え方なので、人によっては美学的方向性の相違から拒否反応を起こすことでしょう。)は、今作で完成したように思います。実写だってなんだって、取り込んでしまえるのです。(今作では「古い写真」が登場するのですが、その表現の仕方ったら……古い写真以外にみえないですからね。これもまたアニメーションの醍醐味ではないでしょうか。)
今回の作品では、エンピツの素材感をうまく利用しています。今まではただ単に線を描くための道具だったのですが、今作では消しゴムで消した感じや、微妙な陰影を意識的に用いることで、観客側のイメージ喚起能力をかなり高めます。
シンプルな描線はすべてを凝縮します。ノルシュテインが『話の話』の「永遠」というエピソードで利用した原理です。アニメーションの特質それ自体が、作品のもつ世界観と有機的に響きあった特異な例です。"I'm so proud of you"はその二つ目の例です。『2001年宇宙の旅』経由で、最終的にニーチェにまで辿り着きます。
基本的にはナレーションが物語を駆動しますが、ところどころで書き文字として画面上に起こされ、それが実に効果的に観客に印象づけます。(逆に言うと、英語圏以外の人間にとってそれはマイナスになるわけですが。)
これほどまでにきれいな光の表現も最近のアニメーションには観られませんでした。フィルムだからこそ可能なものです。それがラストでは本当に適切に機能するんだよなあ……
2分弱にわたる「長回し」。あのシーンが与えるどうしようもない切なさはなんなのでしょうか? 切なさ、悲しさ、おかしみ、そういったものを直接的に描くのではなく、そういったものを含有したエピソードを適切に選んでくるやり方を、この作品は採用しています。そしてそれが、的確に機能しています。
総合的に言って、作品がまったく閉じていないというところが凄まじいです。この作品は、作品自体が物理的に提示しているあらゆるもののその外部を喚起させます。(言ってることわかるでしょうか。すごくわかりにくいかも。)
人間の想像力を無限に解放するポテンシャルをもった作品です。ディズニーといろんな意味で正反対です。僕はいろいろなことを思い出しました。生まれる前のユートピア的世界ではなく、本当にあったことを。覚えていると生きていくのがつらいので忘れてしまう、残酷なこともいろいろとたくさん。
ここで購入できます。買って、日本からもドンくんを祝福しましょう。
ナレーションがわからなくても問題ないですって。むしろ、繰り返し観て、わかっていくたびに、どんどん良くなっていくんですよ。わからないことがあったら、DVDのパッケージを手にして(買ったことの証明)、僕に訊いてください。わかる範囲でお教えします。
でもきっと、僕の言葉だけじゃ信用できませんよね。日本じゃおそらく一、二回くらいしか彼の作品は上映されていないし……せめて予告編だけでもどこかにアップされていればなあ。
(第一章のeverything will be okのはありますよ。検索すりゃすぐです。少しでもグッときた方は買ってみてください。損はしません。)
土居
本当に革新的な作品だと思います。これが革新だとみなされていない(ように思える)ところに、アニメーションに対する古ぼけた固定観念が支配的なんじゃないかという問題点を感じます。(短編アニメーション界はどんな表現だって許容するはずなのに!!)
世界でもっともシンプルで、もっとも美しく、もっとも壮大なスケールの短編アニメーションかもしれません。(音響構築やスプリット・スクリーンの使用といったことをふまえれば、もっともゴージャスと言ってもいいんですけど。)
内容のことを忘れて、形式だけに注目してみても、この作品の革新性はよくわかります。
何が革新的かといえば、マクラレンやクルメ並に、観客の知覚に対して実験的にふるまっていながら、紛れもなく物語を語っているということです。知覚実験的アニメーションがどうしても抜け出せない、ひとつのアイディアを純粋に映像化するような構造ではないのです。短編アニメーションでなければ不可能なやり方で、語っているのです。構造的に似ているのは、『話の話』と『HAND SOAP』でしょう。もしくは、もっと崩したかたちでの『反復』。つまり、断片をモンタージュして想像的に総体を創出する語り方です。
実に驚かされるのが、彼の代名詞であるマッチ棒型キャラクターが、適切に「機能」していることです。ハーツフェルドは、アイディアや自分のグラフィック世界をスクリーン上にリテラルに定着させるようなかたちではアニメーションをつくりません。そのかわり、観客が的確に「想像」できるようにする最低限のマナーを心得たうえで、画面をつくります。『人生の意味』からはじまったこの新しいタイプのアニメートの仕方(アニメーション自体のゴージャスさを捨て、「機能させるもの」として捉える考え方です。アニメートの作業自体に対してかなり距離を取った考え方なので、人によっては美学的方向性の相違から拒否反応を起こすことでしょう。)は、今作で完成したように思います。実写だってなんだって、取り込んでしまえるのです。(今作では「古い写真」が登場するのですが、その表現の仕方ったら……古い写真以外にみえないですからね。これもまたアニメーションの醍醐味ではないでしょうか。)
今回の作品では、エンピツの素材感をうまく利用しています。今まではただ単に線を描くための道具だったのですが、今作では消しゴムで消した感じや、微妙な陰影を意識的に用いることで、観客側のイメージ喚起能力をかなり高めます。
シンプルな描線はすべてを凝縮します。ノルシュテインが『話の話』の「永遠」というエピソードで利用した原理です。アニメーションの特質それ自体が、作品のもつ世界観と有機的に響きあった特異な例です。"I'm so proud of you"はその二つ目の例です。『2001年宇宙の旅』経由で、最終的にニーチェにまで辿り着きます。
基本的にはナレーションが物語を駆動しますが、ところどころで書き文字として画面上に起こされ、それが実に効果的に観客に印象づけます。(逆に言うと、英語圏以外の人間にとってそれはマイナスになるわけですが。)
これほどまでにきれいな光の表現も最近のアニメーションには観られませんでした。フィルムだからこそ可能なものです。それがラストでは本当に適切に機能するんだよなあ……
2分弱にわたる「長回し」。あのシーンが与えるどうしようもない切なさはなんなのでしょうか? 切なさ、悲しさ、おかしみ、そういったものを直接的に描くのではなく、そういったものを含有したエピソードを適切に選んでくるやり方を、この作品は採用しています。そしてそれが、的確に機能しています。
総合的に言って、作品がまったく閉じていないというところが凄まじいです。この作品は、作品自体が物理的に提示しているあらゆるもののその外部を喚起させます。(言ってることわかるでしょうか。すごくわかりにくいかも。)
人間の想像力を無限に解放するポテンシャルをもった作品です。ディズニーといろんな意味で正反対です。僕はいろいろなことを思い出しました。生まれる前のユートピア的世界ではなく、本当にあったことを。覚えていると生きていくのがつらいので忘れてしまう、残酷なこともいろいろとたくさん。
ここで購入できます。買って、日本からもドンくんを祝福しましょう。
ナレーションがわからなくても問題ないですって。むしろ、繰り返し観て、わかっていくたびに、どんどん良くなっていくんですよ。わからないことがあったら、DVDのパッケージを手にして(買ったことの証明)、僕に訊いてください。わかる範囲でお教えします。
でもきっと、僕の言葉だけじゃ信用できませんよね。日本じゃおそらく一、二回くらいしか彼の作品は上映されていないし……せめて予告編だけでもどこかにアップされていればなあ。
(第一章のeverything will be okのはありますよ。検索すりゃすぐです。少しでもグッときた方は買ってみてください。損はしません。)
土居
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