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        2009-08-20        『屋根裏のポムネンカ』(イジー・バルタ)

遅ればせながら、イジー・バルタの新作長編人形アニメーション映画『屋根裏のポムネンカ』を観てきました。

社会主義時代の遺物の彫像フラヴァ率いる悪の帝国にさらわれた、アイドルであるポムネンカをガラクタたちみんなが救いにいくという物語です。

ただ、そのプロットが容易に想像させるような、「古いものに目を向けましょう」「人間は大切なことを忘れています」みたいなお説教臭いメッセージの込められた作品ではまったくありません。古さをナイーブに賞賛するのでなく、整っていて新しい世界もまた何の違和感もなく共存しています。人間が騒動を広げる原因になったとしても、ガラクタたちは「人間どもめ」などと言うこともなく、それがあたかも雨のような自然現象であるかのごとく、受け入れます。雑多なものが調和して、ひとつの有機的な世界観をつくりあげているのです。

雑多さの調和は技術的なところにまで及びます。基本的には人形アニメーションですが、使われている素材は実にいろいろです。手法もいろいろです。普通の人形も、粘土、うまいこと力の抜けたドローイングも、実写も、コンピュータ・エフェクトの加工も、考えうるかぎりのあらゆるアニメーションが投入されているのですが、驚くほどに違和感を感じさせません。

なぜこのようなことが可能になっているのかというと、それはバルタが、アニメーションが作り手と観客との約束事の共有による一種の「遊び」(ルールのあるゲーム)であることを存分に理解し、それを活かしたからだと思われます。巷では「アニメーションは自由だ」とよく言われますが、実際出来上がっているものの9割以上は、その自由を謳歌しません。アニメーションは「みなし」の芸術なのに、リアリティは流動的に多数共存しうるのに、なぜかひとつのリアリティで固定してしまうアニメーションが実際作られたものをみると多いです。バルタはこの作品で、アニメーション制作が陥りがちな、その無意識の呪縛の罠から抜け出し、アニメーションが(極端に言えば)一コマごとに約束事(みなし)の働きを変容させうることを存分に活用しています。だからこそ、バリバリの人形アニメーションも、緩いドローイング・アニメーションも(クマの夢のシーンは最高に気持ちいいです)、実写も(フラヴァの最期のダイナミズム! 『笛吹き男』やリホ・ウントを思い出します)、何の違和感もなく混じりあっています。「なんとアニメーションと実写が!」みたいに構えるのではなく、「ここはアニメーションでやるといいよね」「ここは実写だといいよね」ととてもさりげなく混ぜ混ぜしているのです。向こうがきちんとしたルールの世界を提示してくれるので、観客も困惑することなく、このような「実験的な」やり方を受け入れることができます。バルタは、「このシーンにはどんなアニメーションのやり方がふさわしいか」「この素材にはどんな動かし方がふさわしいか」、そんなようなことをきちんと考えています。まあ、それを考えるのは当たり前のことなわけですが、『ポムネンカ』のバルタがすごいのは、彼の出す答えがいちいちど真ん中ストライクだからです。『ポムネンカ』におけるバルタは、「ミスター正解」です。

この作品ではガラクタたちの暮らす世界やガラクタたち自身の生命感と魅力が素晴らしいですが、それは、彼らが生きる世界自体のルールもきちんと定められていて、滞りなく実行されているからです。ガラクタたちが暮らす世界は、装飾がときに平面のドローイングになっていたりして、食べ物も紙に描いたもののときもあったりして、実に適当です。しかし、当の本人たちがそれでオッケーならばいいので問題ありません。むしろ、ロマン・カチャーノフの作品を思わせるような意識的な背景の作りかたがされており、気にするところは気にするけど、気にしないところはとことん気にしない、というその曖昧さ具合が、近視眼的でそれゆえに愛らしいキャラクターたちの生きる「遊び」の世界をきちんと表現しきっています。

クラソンというマリオネットのキャラクターが、「信じることがわしたちの力だからな」という台詞を言うシーンがありますが、まさに彼らが自分たちが生きていると「信じる」世界を余すところなく描ききっているわけです。(バルタはインタビューで、「ポムネンカは”こわい”という感情を理解できない、無知のキャラクター」と言っていますが、つまりはそういうことです。)バルタはもうこの作品で充分に「ゴーレム」を作ってしまっているのではないでしょうか?(ご存知の通り、彼は20年近くものあいだ『ゴーレム』という幻の長編作品に取り組んでいます。)

悪役たちの気持ち悪さも必見です。笑える気持ち悪さで、「キモイ」という言葉がぴったりとあてはまります。ポムネンカの無限増殖や、時計の罠など、背筋をヒヤリとさせるようなシーンも多いです。

春の来日時のトークによれば、バルタ自身は『ポムネンカ』をそれほど積極的に作りたがっていたわけではなかったようですが、むしろそれくらいの距離をとったことが非常に風通しをよくしている印象がありました。「子どものために」「たくさんの観客に向けて」というはっきりとした目的意識が、バルタ生来の生真面目さとうまくマッチしたという感じでしょうか。(この生真面目さは、これまでの作品ではときおり息苦しさを生む原因となっていたと思います。ほとんど誰も語らない2006年のMagic Houseのオチは本当にひどかった……)

鑑賞後には、アニメーションらしいアニメーションを観たなあ、という充実感を得ることができるのではないでしょうか。『ポムネンカ』は、アニメーションの「遊び」としての側面をきちんと考え抜いた非常に軽やかな作品です。非常におすすめ!


……もうかなり長くなってしまいましたが、追記を。パンフレットのインタビューの後半部分は、ムサビでの講演でのQ&Aを採録したものだと思うのですが、その設問のひとつ、影響を受けた人物についてのところで、なぜか二つだけ名前が抜けていたのでここに書いておきます。パンフレットには、フェリーニ、ブニュエル(以上映画)、マイリンク、カフカ(以上文学)、ノルシュテイン、シュヴァンクマイエル、山村浩二(以上アニメーション)の名前が挙げられていてそこで終わりです。ムサビの講演では、さらにプリート・パルン、ピョートル・ドゥマラという名前を言っていましたので、Animations的にいちおうお知らせしておきます。抜かされてしまっている理由はなんとなく分かる気がしますが、それには屈しません。パルンもドゥマラもパンフに載っているほかの名前同様に一般常識として知られていておかしくないアニメーション作家ですから。

予告編


土居

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