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        2009-08-09        無限へのベクトル――ノーマン・マクラレン・マスターズ・エディション発売記念に少しだけ

マクラレンは怖いというのが率直な感想である。例えば『数学あそび』を観て怖いと思う。『カノン』を観て怖いと思う。『つぐみ』でさえ怖いと思う。『櫂』を観て怖いと思う。なぜなら箍が外れているから。カメラの下で撮影されたこじんまりとした空間であるはずなのに、箍が外れて無限がみえてしまっているから恐ろしい。

無限とは限りがないことで、一般的にはポジティブな意味に捉えられると思う。普通人間は限りある場所に暮らしていて無限のことには気付かないので、それを気付かせてくれるという意味でのポジティブ。

しかしマクラレンが見せる無限は、限度がないこと、境界がないことは非常に恐ろしいことであるということを知らせる類いのものだ。『カノン』を再び観る。同じ原理の変奏が延々と繰り返される。短篇アニメーションは世界の原理を凝縮しうるが、その一つのやり方がベクトルを示すことだ。ベクトルは、適切に方向を示してしまえば、そしてその方向を追う気があるのならば、そのまま真っすぐ一直線に何の障害物もなく永遠に進んでいく。ある種の原理が本質を突いていれば、その原理は普遍的に適用可能になる。そんな類いのベクトル。

マクラレンのベクトルは迷いがない。
いや違う、迷っているかもしれないが、彼の身体性が、正しい方向を指してしまう。無限に、終わりない方向へ。無重力の宇宙を一定速度で飛ばされていくかのように。(そういえば『つぐみ』をはじめ、マクラレン作品にはよく宇宙が出てくる。)マクラレンは自分の作品が実験的で社会性がないことに悩み、明確なメッセージ性がこめられた『隣人』をお気に入り作品に挙げることが多かった。でも、彼の身体は、そんな悩みは実のところ彼にとっては本質的なものではないことを知っていた。

『パ・ドゥ・ドゥ』を観る。『ブラー・テスト』を観る。重ねることによって身体の境界線が消えていく。溶けていく。でもそれは気持ちよくない。心地よくない。むしろ居心地が悪い。境界が消えて心地よく思えるのは、溶けてなおそれを受け止めてくれる大皿があってのことだというのを実感する。

マクラレンの場合、無限へと向かうベクトルは、冷たい無の方に伸びていて、いつまでたっても底や境界に辿り着かないような気がする。絶対的なのだ。だからこそマクラレンは怖い。でもそれが、短篇アニメーションが辿り着きうる極北であることもまた間違いない。

今回の日本盤コレクターズエディションは、マクラレンのほぼ全作品が収録されている。
残念ながらドキュメンタリーの類いは、リマスターの際に制作されたテーマ別の短いものしか収録されていない。
でも、マクラレンのほとんどすべてが24000円で買えるなんてあまりにも安すぎる買い物。
だって一生ものだし、割引で買えば2万を簡単に切る。
手に入れましょう。

ジェネオンのDVD紹介ページ

「DVD-BOX ノーマン・マクラレン マスターズ・エディション」[Amazon]
「ノーマン・マクラレン 傑作選」[Amazon]


土居


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