2009-07-19
「コンテンポラリー・アニメーション入門」第一回終了&ムロイについて雑感
「コンテンポラリーアニメーション入門」第一回、無事終了しました。
お越しいただいたみなさま、どうもありがとうございます。
一回目から刺激的な題材を扱いまして、お越しいただいたみなさんそれぞれにいろいろな感想を持たれたのではないかと思います。
今日いらっしゃった方にしか通じない話をしてしまって申し訳ないのですが、
トークはざっくり分けると、
ムロイ作品における諷刺の有効性について、
ムロイ肯定派の山村さんと否定派のイランさんがディスカッションをするというかたちで進行したわけですが、
ムロイは本人も繰り返し発言しているように、賛否両論はっきりと分かれる作家なので、
それは小規模で再現されてよかったのではないでしょうか。
僕は配布資料にあんな作家論を載っけているくらいなので、当然肯定派なわけですが、
(来場なさってない方すいません、いつか本ホームページに再掲できればしたいと思います)
諷刺の有効性云々ということでいえば、
ムロイは間違いなく、なにかを無批判的に簡単に信じてしまう人間の本性自体に不信を抱いたうえで作品を作っているわけで、
表面的に彼の諷刺が無効に思えるのも、表面上は肯定的なものがないように見えるのも、
それゆえのことなのではないかと思います。
簡単に依って立てるようなところなどないのだ、という宣言なわけですから。
山村さんのコメントともつながってくるかと思いますが、AがダメだからBがいい、ということには決してならないのです。
むしろ、惰性や思い込みのうちにあっけなく形成されてしまう何かしらの立場をすべて否定する彼の態度は、極めてポジティブで極めて誠実であるように僕には思えます。ムロイが作品においてステロタイプとしてのキャラクターを多く用いるのも、滑稽なまでにあっけなく無批判的に形成されてしまう信念の形式を弄ぶことで相対化しようとせんがためのことです。
さらにプラスして言えば、ミッキーマウスやカウボーイなど彼の作品にアメリカのモチーフが多いのは、率直なアメリカ批判というよりは、現代性の象徴としてアメリカというステロタイプを用いているだけなのだと僕は思います。ムロイにとって大事なのは、個別名の後ろに隠れた骨組みであり原理です。そこにホワイトハウスが出てこようが、キリストが出てこようが、結局のところ大事なのは、そういった装いに隠された普遍的な何かなのです。
(余談ですが、パルンのステロタイプの用い方も同じようなものだと僕は思います。)
あと今日、改めて思ったのですが、ムロイの作品って、ほんとにバカらしいですね。
思わず吹き出してしまうことが多かったです。
もちろん褒め言葉ですけれども。
この純粋な強度は他のアニメーションにはなかなかもちえないものです。
モンタージュで語ることをいまだにできているのも素晴らしいです。
あと、『ザ・クリスティーズ』、全編通して観るとすごいんですよ。
ナレーションが多すぎるので内容すべてが理解できているとは思えませんが、
あんなミニマルな形式を用いているくせに、
最後には唖然としてしまうほどの壮大なスケールが現出するのです。
(ほんと、どこか日本で劇場公開してくれませんかね? DVD出したりしませんか?)
「コンテンポラリーアニメーション入門」、次回はクリス・ヒントン&マルコム・サザランドです。抽象アニメーションの現代です。そしてカナダです。こちらも面白い講座になること間違いなしです。また是非お越しください。お申し込みは9/5から。お早めに!
土居
お越しいただいたみなさま、どうもありがとうございます。
一回目から刺激的な題材を扱いまして、お越しいただいたみなさんそれぞれにいろいろな感想を持たれたのではないかと思います。
今日いらっしゃった方にしか通じない話をしてしまって申し訳ないのですが、
トークはざっくり分けると、
ムロイ作品における諷刺の有効性について、
ムロイ肯定派の山村さんと否定派のイランさんがディスカッションをするというかたちで進行したわけですが、
ムロイは本人も繰り返し発言しているように、賛否両論はっきりと分かれる作家なので、
それは小規模で再現されてよかったのではないでしょうか。
僕は配布資料にあんな作家論を載っけているくらいなので、当然肯定派なわけですが、
(来場なさってない方すいません、いつか本ホームページに再掲できればしたいと思います)
諷刺の有効性云々ということでいえば、
ムロイは間違いなく、なにかを無批判的に簡単に信じてしまう人間の本性自体に不信を抱いたうえで作品を作っているわけで、
表面的に彼の諷刺が無効に思えるのも、表面上は肯定的なものがないように見えるのも、
それゆえのことなのではないかと思います。
簡単に依って立てるようなところなどないのだ、という宣言なわけですから。
山村さんのコメントともつながってくるかと思いますが、AがダメだからBがいい、ということには決してならないのです。
むしろ、惰性や思い込みのうちにあっけなく形成されてしまう何かしらの立場をすべて否定する彼の態度は、極めてポジティブで極めて誠実であるように僕には思えます。ムロイが作品においてステロタイプとしてのキャラクターを多く用いるのも、滑稽なまでにあっけなく無批判的に形成されてしまう信念の形式を弄ぶことで相対化しようとせんがためのことです。
さらにプラスして言えば、ミッキーマウスやカウボーイなど彼の作品にアメリカのモチーフが多いのは、率直なアメリカ批判というよりは、現代性の象徴としてアメリカというステロタイプを用いているだけなのだと僕は思います。ムロイにとって大事なのは、個別名の後ろに隠れた骨組みであり原理です。そこにホワイトハウスが出てこようが、キリストが出てこようが、結局のところ大事なのは、そういった装いに隠された普遍的な何かなのです。
(余談ですが、パルンのステロタイプの用い方も同じようなものだと僕は思います。)
あと今日、改めて思ったのですが、ムロイの作品って、ほんとにバカらしいですね。
思わず吹き出してしまうことが多かったです。
もちろん褒め言葉ですけれども。
この純粋な強度は他のアニメーションにはなかなかもちえないものです。
モンタージュで語ることをいまだにできているのも素晴らしいです。
あと、『ザ・クリスティーズ』、全編通して観るとすごいんですよ。
ナレーションが多すぎるので内容すべてが理解できているとは思えませんが、
あんなミニマルな形式を用いているくせに、
最後には唖然としてしまうほどの壮大なスケールが現出するのです。
(ほんと、どこか日本で劇場公開してくれませんかね? DVD出したりしませんか?)
「コンテンポラリーアニメーション入門」、次回はクリス・ヒントン&マルコム・サザランドです。抽象アニメーションの現代です。そしてカナダです。こちらも面白い講座になること間違いなしです。また是非お越しください。お申し込みは9/5から。お早めに!
土居
コメント
公開講座
Re: 公開講座
コメントありがとうございます。
上のエントリは、否定・破壊ばかりで肯定がない、諷刺として弱い、というイランさんのコメントに対する僕の考えをまとめたものになっています。
僕自身は、ムロイは肯定したり何らかの立場に立ったりしないことこそが誠実で素晴らしいのだ、という立場です。
上のエントリは、否定・破壊ばかりで肯定がない、諷刺として弱い、というイランさんのコメントに対する僕の考えをまとめたものになっています。
僕自身は、ムロイは肯定したり何らかの立場に立ったりしないことこそが誠実で素晴らしいのだ、という立場です。
コメントの投稿
トラックバック
http://animationscc.blog105.fc2.com/tb.php/286-6d65301e
ただこのような人間の本質をえぐりだすような作品は表現として「正しい」反面、それが正しすぎるために”肯定されつつ遠ざけられる”ような部分もあるような気がします。
それは受け手の問題だけでなく、作品にも何かが欠けているのではないか?というのがイランさんの反論だったような気がするのですが・・(論点がずれてたらすみません)そのあたりでイランさんのお話ももっとこのページでも聞けると(読めると)いいなあと思います。
作品の感想としては、自身が個人アニメーション作家の「比較的生きやすい」イギリスの資金で制作をしていることをも含んだような「サウンド・オブ・ミュージック」や、地球上の活動の無意味さを笑う”虚無”としての月さえもぶっつぶす「笑う月」のように無限に思考の往復運動が行われるようなところに、面白さと捉えがたさを感じました。
それではこれからも活動頑張って下さい。