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        2009-05-08        Please Say Something (David OReilly)

Please Say Something - Full Length from David OReilly on Vimeo.



22歳のCGアニメーション作家デイヴィット・オライリーはVectorpunk Animationと題された小品の冒頭でこう言っている。「アニメーション作家がなぜアニメーションを作るのかと質問されたときによくある答えはこうだ。”アニメーションならなんでもできるし、想像力を存分に発揮することができるからね!”僕にとっては逆だ。アニメーションは、自分に制限をかけたときにこそ、より面白くなる。色、運動、かたちを可能な限りに制限したときに。」

"Please Say Something"は、8ビット的な制限を加えたCGを用いた状世界で展開されるネズミとネコの夫婦の物語だ。平均25秒の細かいエピソードが計23個、次々と連ねられていく構造をしているが、その構造にあわせるかのように、二人の関係性・心の機微もまた変わっていく。夢も空想も現実もごたまぜになっていて、物語は必ずしも時間軸の直線上で整合性を持つわけではない。それどころか、枝分かれしたままで放っておかれている印象さえある。ときに時間は登場人物の意志にあわせて戻りもする。死んだはずのものが何の不思議も感じさせず生き返っている。しかし、そんな分裂的な構造が、この世界では恐るべきリアリティを持ってしまっている。

制限の加わったグラフィックは、適切に用いられれば逆に、描きすぎるよりも豊かなイメージを観客に想起させる。滑らかに、描きすぎるほどに描くことによって、風、炎といった自然のエレメントの表現を突き詰めたのはかつてのディズニーだった。しかしアニメーションにはその逆の可能性もまたある。この作品の風や炎の表現は、かつてのディズニーに負けないほどのリアリティを持っている。マッチ棒スタイルを用いることで近作二作で「人生の意味」の表現を目指したドン・ハーツフェルドの実践からも明らかだが、制限することはアニメーションにとっては豊かさであり、描かれている世界を通じて無限に作品世界を広げる可能性を持っている。補完する、というよりも喚起する、と言った方が正しいか。人間は映画やアニメーションを観ているとき、映画やアニメーションを観ているだけではない。それを知覚し理解しようとする作用が観客には働いている。空想して夢想して、作品から離れてしまうことさえある。シンプルな作品は、観客のそんな力を喚起する。観客をフルに活用し活気づける。

先日のイメージフォーラムフェスティバルで観た"Please Say Something"のショート・ヴァージョンには、「21世紀のカートゥーン」というサブタイトルが入っていたような気がした。確かにこの作品はカートゥーンの伝統に則っている。ネコとネズミ。二人のあいだの暴力的でパラノイアな関係性。いや待ってくれ、ここに描かれているのは、そんなもんじゃない、現代のごく日常的なカップルの関係性なんじゃないのか、という反論があるかもしれないが、それも正しい。特定の性格と外見によって認識され、不変のまま永遠に存在しつづけるカートゥーンのキャラクターは、ある時期から、現実世界の深淵な認識としても機能しうるようになっている。(チャック・ジョーンズの「ロードランナーとワイリーコヨーテ」、もしくは「牧羊犬サム」のシリーズを観て、あまりにリアルすぎて笑えない人はきっと多いだろう。俺もそのひとりだ。)同じ性質であることから逃れられない二人のあいだでは、同じ関係性が永遠に繰り返されていく、ということだ。

"Please Say Something"は、カートゥーン的制限の表現と人間存在へのある種の認識がマッチしたところに成立する作品である。だからこそ、この恐るべきリアリティが達成されるのだ。ネコとネズミは、一方で彼らの個別的かつ現実的な生を生きている。しかしまた一方で、他者においても反復可能なものが彼らに取り憑いている。彼らの送る人生は、リアルで実体的でありながら、映画館やテレビにおいて繰り返し演じられてきたものの変奏でもある。その彼らの姿は、スクリーンのこちら側にいる存在のあり方とも響き合う。おそらくそれゆえに、ハッピーエンドのようなものについに辿り着いたあと、観客に向かって丁寧に頭を下げて喝采を浴びるネコとネズミの姿に俺は戦慄とやるせなさを同時におぼえてしまうし、その後なにごともなかったように、自分たちの日常的な生を過ごしはじめる彼らの姿によってその感情はさらに強められてしまう。

限りない断片から世界を紡ぐのが生きるということなのだとすれば、この作品世界の体験は、それに類することなのかも、とまでいったら言い過ぎなのかもしれない…

土居

コメント

見てみました。

なかなかパソコンで映像が見れる環境にいないのでようやく見てみました。はじめ絵柄にゲっとなるものの、ある程度見なれて来ると面白いですね。こういう作品については「コマ間の創造」だけでなく「カット間の創造」も考えないといけないのだなあ、と思いました。(ちょうどカット間にテレビの放送テストの画像?みたいのが挟まれてますしね。)それはアニメーションに限ったことではないのかも知れませんが、描かれてないものが見えて来るような作品ですね。

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