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        2009-02-13        オタワ・プログラムから"Chaisaw"(Denis Tupicoff)&ジョナス・オデル

 『チェーンソー』においては、ビジュアルのスタイル自体は実はあまり問題にならないように思える。ロトスコープを多用したこの作品には、もしかしたら「アニメーションなのか?」と疑問を抱いてしまうような人もいるかもしれない。しかしここで重要なのは「語り」の方であり、それをサポートするという意味において、このようなグラフィック性は非常に効果的だ。『ウェイキング・ライフ』や『スキャナー・ダークリー』といったリンクレイターのロトスコープものをどう評価するのか、という話になってくるかもしれないが、俺個人としては、これらの作品は、ひとつの世界認識のあり方・世界の描き方として充分に有効であるように思う。基本をグラフィックにすることによって、リアリティの変化が簡単につけられる。ロトスコープの精度を場面によって変えることができるし、回想としての実写映像もマッチする。『ウォーリー』は力技で実写とアニメーションとの橋渡しをしたが、『チェーンソー』はリアリティの差の表現の一端として、両者をうまく調和させる。(それにしても、実写映像の方が夢・過去・回想になりアニメーションの方が現実になりえるなんて……)手に汗握るシーンでは書き込みが細かくなり、人物の表情は際立たせられる。(さまざまなキャラクターによって繰り返される微笑みは、この作品を語るためのひとつのキーワードになるだろう。)
 そして実際、この作品自体もまた、それぞれが観る夢のギャップが生み出す悲劇を描き出している。チェーンソーのトレーニング・ビデオに登場するフランクとアヴァの二人は、まさに理想の仲良し家庭といった描き方をされている。フランクは自分の生活が実際にその通りであることを疑わず、一方でアヴァはフランクの知らない(知りたくもない)不倫関係にある。「チェーンソーは危険です。あなたの目を失明させ、耳を聞こえなくする恐れがあります。」冒頭に流れるCMはそう伝えていたが、フランクはまさに、自分の妻に対して目も耳も曇らせている。(彼の盲目は、無意識のうちに鳥の子供たちを殺し、その親の命がけの復讐にさえ気付かないその態度のうちに表現されている。)
 フランクはハートのなかで暮らしつづける。ロデオ場で妻と二人して写真を撮り、ハート型の額縁にそれをおさめる。愛する妻のもとに戻るフランクは、汚れたフロントガラスをハート型に拭き取って視界を晴らす。そして彼女の不倫を知った後には、ハート型に林を切り抜いて……『チェーンソー』は、最初から最後まで、無条件にそのハートを信じ込んでいた男の悲劇の物語だ。トレーニング・ビデオは物語の最後にも流れる。彼の理想の生活は、あまりに清潔であるがゆえにうさんくさくもあるその世界でのみ、永遠に繰り返されていく。泣ける作品です。

「チェーンソー」という名の牛、黒い鳥といった、理解不能な他者としての動物が登場していることにも注目してください。アニメーションには珍しい例です。といったように、作品自体が面白いのはもちろんのこと、それを支えるいろんな要素も、さまざまなことを考えさせてくれる興味深い作品です。

明日、メディア芸術祭オタワ・プログラムにてまた上映されます。

Chainsawオフィシャル

余談。
グラフィック性が物語を的確にサポートするという問題については、
たぶんジョナス・オデル(『リボルバー』で有名ですね)の最近の試みがとても興味深いと思います。
ドキュメンタリー、ロトスコープ、多様なグラフィック・デザイン……
2006年の傑作"Never Like the First Time!"に続く新作"Lies"はサンダンスの短篇部門グランプリを取ったようですね。
前作は自らの初体験について話す人々のナレーションにあわせてグラフィックを展開していく作品でした。
今回は、その制作過程で気付いたこと、「なんで実体験の語りでみんな嘘ついて虚飾するんだろう?」ということを着想とした映画らしいです。
非常に面白そう。早く観たいです。(しかしどこで?)
アニメーションと(文字通りの)語り。"I Met the Warlus"が記憶に新しいですね。日本でも『おはなしの花』がありました。オタワ・プログラムにも何本かあります。
こういう流れって、『ウェイキング・ライフ』(もっといえば"Daze and Confuzed")の影響あってのことなんですかね?

ちなみに。オデルのインタビューから抜粋。
「私の近作二本は、一般の映画祭で成功を収めましたが、アニメーション映画祭ではそうでもありませんでした。なのでオタワ・アニメーション・フェスティバルを除いては、私は最近、どのアニメーション映画祭にも参加していません。一般的に言って、映画祭というのはネットワーク作りであったり映画作家がインスピレーションを得るのにあたって非常に重要なものなのです。だから(オタワのように)芸術とビジネスの両方を促進しようとしている映画祭が、成功しているように思います。」

「私には最近のアニメーション・シーンについて語る権利はないと思います。近年のものはあまり観ていませんから。これから先、私に影響を及ぼしうるのは、異なるテクニックのあいだを流動的に動くアーティストでしょう。他の領域からアニメーションに入り込んで来る人々が増えてきています。実写、ドキュメンタリー、ファイン・アート、グラフィック・デザイン……同時に、アニメーション作家たちもまた、他の分野に移って、その後また戻ってきています。」

オタワプログラムはその傾向をビンビンに感じさせてくれます。

それにしても、ドンくんといい、オデルといい、既存のアニメーション映画祭では少々冷遇されているように思えるのが不思議でなりません。アヌシーの惨状をみるに、受け入れる側も、リテラシーをもっと身につける必要があるんだと思います。

最後に。
どなたか"Cattle Call"の素晴しさを分かち合ってはもらえませんでしょうか?
さみしいんですけど。

土居

コメント

このブログの過去記事を読み返してみたら、クリス・ロビンソンさんの選ぶベストショート、の中に「チェーンソー」も「Cattle Call」も「レタートゥカレン」も入ってたんですね。
「Cattle Call」はウシの競りのかけ声のビートに合わせて映像とか文字が画面に次々表れる作品で、よく鉄道の駅アナウンスを取り入れたテクノ音楽(?)などがありますが、そんなのを思い出してしまいました。

<補足>

上の書き込みの補足です。いつもコメント書いてから思い出すことが多くてスミマセン。
「Cattle Call」という作品は、日常生活(人間の活動)の中にあるリズム感を生かした作品で、日本でも築地のマグロの競りとか、電車で偶然乗り合わせたおばさんたちの会話にもリズムを感じることがありますし、山村さんがブログに書かれていた「我々日本人が日常的に聞き流しているニュースの声の美しさを再認識させられた。」ということにも関わって来る作品なのかな、と思いました。
「A Letter to Colleen」での男性のモノローグも、英語が分からない僕でも「ねえカレン、君は今どうしているだろう? 僕は・・」(想像)と相手が目の前に居ないからこそ自分の今をありのままに語っている様子がしゃべり方から伝わって来るようでした。

そういえばクロックフェスティバルの土居さんの体験記の5日目で山村さんがインタビューに答えて「『田舎医者』は原作の一行がワンショットに対応するようにした」と話をされているのですが、文学作品も言葉のリズムを伝えるものとして見ると、またいろいろアニメーションに生かせるのかも知れませんね。

14日のオタワを見てきたのですが、「チェーンソー」が上映されませんでした。
プログラムをよく確認していなかったので、その場では気付かず、今、大変悔しい思いをしております…。
アヌシーの方は、入場時にプログラムが配られたんですけどね。

moonさん

えっ!そんなことがあるのですか!?
『チェーンソー』がなかったら、ひどく短いプログラムになってしまうように思うのですが……
性的な描写がNGになったのでしょうか。

前の二回では上映されていたので、当然今日もされるだろうと思っていたのですが、申し訳ありませんでした……
僕としてもとても残念です。

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