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        2009-02-04        平成20年度文化庁メディア芸術祭上映プログラム「アニメーション部門短篇作品」(と「アヌシー」)

去年に比べれば格段に良くなった二階ホールの上映環境、それでもまだ画質は荒くドットは目立ち、画面は震えて字幕は読めない。スピーカーも悲鳴を上げる。会期中に改善されることを願うのみです。アンケートには書いてきました。みなさんも気になったらちゃんとアンケートに書いてみてくださいね。作家の方ももしこのブログを読んでいたら、自分の目で確認して、きちんと声を上げてください。自分の作品が、あんな画質でたくさんの人の目に触れてしまって構わないのなら別に良いのですが。 

アニメーション部門短篇、相変わらずの長丁場(2時間半近く)ですが、それなりに楽しめました。次のアヌシーのプログラムがたった一時間だったのにとても長く苦痛でしかなかったのとは大違いです。

つみきのいえ』(加藤久仁生)はやはりよくわからない作品だという印象。カメラが動くと画面がガタガタと震えたり、波のリズムにどうも納得がいかなかったり、まあそういったところは置いておくとして、やはり自分にとっては、慣性・惰性で生きる人が本当にふとしたことで感傷に浸るというただそれだけを描いているだけという印象がありました。それはもしかしたらスクリーンを見つめる(俺を含めた)人々の映し絵であるかもしれない。だがそういった人間像を描くこと自体は問題なのではなく、むしろ歓迎すべきことなのだと思います。本当に問題なのは、この作品が、その慣性・惰性によって蠢くことを、そっくりそのまま受け入れてしまっているだけのような気がすることです。それは観客のありのままを受け入れ包み込み偽りの癒しを与える以外のいったい何になるのだろう、という疑問がどうしても消えません。だからこそ、俺は泣けず、涙を流すことを禁じたいと思いさえしました。
『DREAMS』(荒井知恵)は、もちろん抜群にうまく、夢の世界をウマさんと一緒にたゆたっていくことを完全に許してくれる……、と言いたいところですが、絵本であればきっと有効であっただろう(反復のリズムを生み出すであろう)ウマさんの頭の位置の固定が、没入を阻む「堅さ」として、非生産的な制約としてしか機能していなかった印象。展示の方で、刺繍を原画として提出していたのは実に素晴らしいハッタリだと思います。アニメーションに魔術を復活させるような試み。そういうところもなくっちゃね。なるべくたくさんの人たちが騙されてくれますように。それは特に害のない、ウキウキ感を産出。
『KUDAN』(木村卓)。3DCGにはどのような可能性があるのだろう。奇妙な造形性? でもそれは別にいままでのアニメーションでも可能なこと。なぜ3DCGだと際立つのか? 『ハーヴィー・クランペット』のような批評性を持った造形を常に求めてしまう古い人間なので、そういうところが気になってしまって物語に入り込むことができませんでした。それでも親子間の断絶は「断絶」という記号的表現でしかなかったような気がします。アヌシープログラムの3DCG作品に「例外無く」感じてしまったことでもあるのですが、どうして物語を語るにあたって定型的な形式から逃れられないのだろう、と不思議に思います。
『こどもの形而上学』(山村浩二。この作品はシンプルなようでありながら、読み取ることのできるものは非常に多いです。(藝大の授業で一コママンガの課題があるそうですが、それが課される意義というのはこういうところにあるのだと思います。短篇アニメーションに一コママンガを描く人が多い理由もまた然り。単純さのうちにどれだけのものを喚起させることができるのか。)しかし、その作業を怠ったとしても、情動的に腑に落ちてしまい、楽しめてしまうのが素晴らしくもあり、怖くもあります。目も口も鼻もあらぬ方向へと飛んでいき、顔が卵になってしまう(しかしこの卵は明らかに非生産的なもの)子供が一番最後に配されていることからは、作家の現状認識がまったくもってポジティブなものではないということがわかります。みなさんはそこに何を感じますか?
『ALGOL』(岡本憲昭)は、「スクエアさん」と呼ばれているらしい平らで四角な人造人間のキャラクターが印象的で、ピントの合わなさが良い効果を上げており、語りが音楽の一部として取り込まれてしまってきちんとリズム化しているところ(これができる人はなかなか少ない)は良いと思いますし、作品のテーマとも響き合う選択だと感じました。しかし自然界の描写の弱さが気になり、一番がっかりしてしまったのは博士を画面上に登場させてしまったこと。ナレーションだけで充分に理想的に登場していたというのに……アニメーションにおいて生きているものを表現するのが難しいなということを追認させられた作品。展示で制作ノートを見せることもマイナスにしか働いていなかったような……

ここからは審査委員会推薦作品。
『BUILDINGS』(上甲トモヨシ)は、建物だらけの島に新しく建てられた摩天楼と周りの建物たちとの葛藤と和解の物語。何かのメタファーとして物語を組み立てるべきだとはいわないものの、この状態だとすべてが作家の作為でしかないように思えてしまいます。異質なものたちの間に起こる葛藤が解決へと至る場合、つまりハッピーエンドになる場合、戦前ならともかくとして、今の時代なら相当の覚悟と根拠が必要となると思います。それこそディズニー~ピクサーの力技でしか成功しえないような。だって、実際には解決なんか絶対にしないんだから。俺にだってもちろん一体化を求める気持ちはあるものの、互いの差異を差異のままとして、一体化など嘘なのだという諦念を抱えたまま、それでもまるごと認め合うことの方が、自分にとってはリアルなのだなあ、というのをこの作品のラストシーンを観て改めて確認した次第です。現状認識如何によって変わってくると思いますよもちろん。
『CHRISTIAN BAUER-Tree of Life』(橋本ダイスケ)。企業のイメージ映像か?と思っていたら実際そうでした。タイトルで分かれよ、って? ウェディング・リングの会社名なんか知らないよ! 作品の評価? モーション・グラフィックスについてはよくわからないのでパスさせてください。
『DEVOUR DINNER』(水江未来)。ASK?映像祭以来二回目ですが、食べる/食べられる関係を描くものにも関わらず、そういった当然の出来事が持つはずの残酷さ、自然の法則に個が吸収されていくような「持っていかれる」感じがないことが気になりました。(マクシーモフの良質な作品にある、「あれ」です。)頭ですべてが考えられたような感じがします。以前の作品が持っていた、恐ろしい気持ちさえ抱いてしまうような動きの快感もここでは息を潜めているように思います。
『Omstart』(辻川幸一郎)。コーネリアスのPV。以下は極めて個人的な意見なので、反発していただいてまったく構わないのですが、コーネリアスの音楽は「ちょっと分かる人」のために作られた安全な音楽で、そこに主体的な賭けなど微塵も無いような印象なのですが、そんな感じのアニメーションだと思いました。映像も音も、映像と音そのもの以外に特に何の存在も感じませんでした。(何を言っているのかって? そう思った方は、『こどもの形而上学』のレビューをもう一度読み直してください。)出来の良いものは時に危険だと思います。資本主義波乗りサーフィン今日も絶好調!(誤解されるといけないですけど、褒め言葉ですよ。みなが波に乗れるとは限らないですから。安全である作品を作るためには、ものすごくセンスがいりますし。)
『Syscapes # Interlude』(Eric SCHOCKMEL)。最初の1分を観ただけでその後の展開が予想できてしまう作品を22分以上も続けるのはどうかと思いました。
『王さまものがたり3』(三角芳子)はプチプチアニメのなかの一本みたいです。作品スチールから感じる運動感がアニメーションになると消えてしまっているのが非常に不思議なところ。ミニマルを狙っているのか、そうでないのか。動かさないならば動かさないなりの流儀がきっとあるはずです。子供向けとはいえ、少々説明過多ではないかという危惧も。森羅万象が同じリズムで動くことも、『BUILDINGS』同様に現代において(たとえば音楽などによるトリップ状態の描写として以外に)成立するのだろうか、という疑問を持ちます。観客層が子供向けだとのことで、ノルシュテイン・インタビューの内容をどうしても思い出してしまうわけですが、たとえば人間とは異なるリズムで淡々と雪や雨が降り続けるだけで、それは充分に世界認識的な描写であり良い意味での教育的な描写だと俺などは思うわけです。残酷な事実ですけど、世界は誰のために動いているわけでもないですから。後半は作品自体とは関係なくなってしまいました。すいません。
『オーケストラ』(奥田 昌輝 / 小川 雄太郎 / 大川原 亮)。アニメーションの何たるかを理解した人々による、アニメーション的しか持ちえない快感に溢れた、憎たらしいほどにうまい作品。今のこの時代になって、アレクセイエフやフィッシンガーがかつて持ちえたような動きの絶対性――アニメーション自体が快感と共になんらかの異質さと近寄り難さもまた感じさせてしまう――を獲得してしまったわけで、しかもそれが若い学生の新鮮な作品として登場したことを素直に喜びたいと思います。今の時代になぜこれを、という点でやはり疑問は拭いきれないものの、この作品はこの作品として、実に見事だと思います。さて果たして、次がどうなるか?
『校長先生とクジラ』(山村浩二)。この作品だけは、山村浩二フィルモグラフィーのなかに並ぶことの違和感を拭いきれません。一貫したものがどうしても感じられず、ためらいやため息が聞こえてきてしまうのです。
『コルネリス』(中田彩郁)。全体的な描画やアニメーションのレベルの高さはもちろん認めるものの、ふとした仕草にときおり感じてしまうぎこちなさをどう捉えるべきか、何度か観た後でもまだ決着をつけられずにいます。俺の責任なのか、作家の責任なのか。音楽が時に主張が強すぎて、映像に届くことを妨げる瞬間が何度か(『聞耳』よりかは改善されているように思いますが)。最近の中田作品には間違いなく作家性の胎動を感じます。しかし、この段階ではまだきちんと生まれていないので、ただ技巧を見せつけるだけのものとして「も」捉えてしまえることもまた惜しい。
『swimming』(平山志保)。これで何度目の鑑賞だろうか、という感じですが、それでもやはり良いものは良い。主観ショットでなくとも主観的視覚が獲得しうるわけで、その点においてハーツフェルドの『Everything Will Be OK』のラストシーンを思い出したりもしたのですが。水中での絶対的孤独が一瞬だけ破られ、また戻り、突如として水中に魚たちのランドスケープが拓けるあの瞬間、何度観ても鳥肌が立ちます。成長のモメントの理想的な映像化です。そしてプールの反対側への到着のあっけなさ! 細部にいろいろと首をひねるところはあれど、グレイトな作品であることは変わりません。
『スケッチブック~華屋八兵衛ノ巻』(竹内 僚平 / 佐々木 大輔 / 高橋 紀乃)。典型的な電子切り絵作品。よくわからない、というのが率直な感想です。展開される出来事、動きの質をみるに、たとえばローゼンスウィート『Paradise』のように舞台装置を露出させてしまった方が潔いし面白いのではないかと考えました。クレジットに用意されたフォントそのままで使ってしまうのはやはりよくないと思います。デジタル服従系。
『忠告』(李傑)は画面がガタガタして字幕がものすごく読み取りにくく、それゆえスクリーン下部にばかり注目してしまったせいでほとんど内容を把握できませんでした。それでもラストには、「なんじゃそりゃ」とずっこけました。
『ニャッキ! ふみきり』(伊藤有壱)は一点だけ、クモがニャッキを食べようとするときに一拍置いたのは一体なぜなのか、という疑問が頭から離れません。あたかも列車の通過を待っていたかのように見えてしまいました。トムとジェリーみたいに、本当は食べたくないのか。それとも、危機的状況に陥ったニャッキの主観的知覚のスローモーションなのか。一拍置かずに列車が通過しても何も問題はなかったのではないか、と思ってしまいます。
『パンク直し』(岡本将徳)は、タイトル通りにパンク直しの職人のお話。前作の『ばあちゃん』もなかなか強烈な作品でしたが、こちらも負けず劣らず。この作家は一体何をやっているのだろう、という面白さがあります。この一点集中、偏りの素晴らしさ。途中から笑いが止まらなくなりました。オープニングとエンドクレジットの静止状態はどういうことなのか、まだよくわかっていないのですが。本編とのコントラスト? 単に手抜き? 
『福来町、トンネル路地の男』(岩井澤健治)は、昔レビュー書いたことがあったと思ったのですが、書いてなかったですね……トイレを我慢できずに今日は会場を出てしまいました。すいません。

なんですべての作品について書こうと思ったのか、自分を恨みます。

アヌシー・プログラムは何の作品が上映されたかだけ書いておきます。
My Happy End』(Milen VITANOV)※卒業制作審査員特別賞(広島のコンペに入ってましたね)
Hugh』(Mathieu NAVARRO, Sylvain NOUVEAU, François POMMIEZ, Aurore TURBÉ)※卒業制作ユニセフ賞
She Who Measures』(ljko POPOVIC)※FIPRESCI賞
Morana』(Simon BOGOJEVIC NARATH)※特別賞
The Lady on the Threshold』(Jorge DAYAS)※審査員特別賞
Portraits ratés à Sainte-Hélène』(Cédric VILLAIN)※(たぶん)デビュー賞
KJFG No.5』(Alexei ALEXEEV)※Sacem賞
『つみきのいえ』(加藤久仁生)※アヌシー・クリスタル(グランプリ)&ヤング審査員賞

Skhizein』(観客賞)が観れるのではないかと期待していたのですが。
卒業制作からも選ぶなら、『Le voyageur』(去年のクロクのグランプリでもある)でも選んでくれよ、と言いたいです。しょうがないのでネット上で観てください。
新しいアニメーションの胎動を感じて震えてください。観れば観るほどすごい作品だということがわかります。

プログラム中では唯一、『Portraits ratés à Sainte-Hélène』が良かったです。
ただしフランス語上映で字幕なしだったので、そこらへんは気をつけてください。
だから内容はわかりませんでしたが、面白かったです。これも結構観たことない種類のアニメーションでした。
写真(ダゲレオタイプ)発明直前に死んだナポレオンの存在をどのように確かなものとするか、という話だったのではないかと推測します。歴史的事実がたくさんの数字によって語られるも、記録性という点で決して確かなものとはならず。確かではない分、不気味に広がっていくそのイメージ。ナポレオンって、ほんとはなんなのでしょうか?アニメーションは実体のなさとそれゆえに持ちうる強力な実体の感覚の両方を所持していますが、それと似ているかもしれません。
(あ、公式ページで英語字幕付きで……)

長くなりすぎました。
新しいものとの出会いは、オタワプログラムに期待するしかないなあ!

メディア芸術祭公式ホームページ

土居

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