Animations Blog


Animations creators&critics Website

Animations

アニメーションズ、創作と評論


カレンダー

10 « 2017-11 « 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

最近のコメント

最近のトラックバック

最近の記事

RSS

広告

FC2Ad

        --------        スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

        2008-11-08        ノルシュテイン『草上の雪』章題&引用図版リスト(4)

(3)に引き続き、ノルシュテイン『草上の雪』から第二巻の章題をアップします。

ーーーーー

○『外套』

1. 原文を何度も読み、問題集の巻末にあるような答えを見つけ出そうと努めながら映画を作るのは良くないことだ

2. 紡績機の鳴り止まぬ音を聞きながら

3. この映画で何を表現したいのかを説明することは、私にはとてもできそうにない

4. ああ、ちっぽけな人間に感じる同情の気持ちをわたしたちはなんと誇張することか、溢れ出る良心を公に見せようとする機会はどれほど自己愛の気持ちを喜ばせることか

5. 『外套』の制作で私には新しい時間の感覚が生まれてきた。心理を詳細に見ていくことで分かったのは、1秒には24コマ以上あるということだ

6. 私はピロゴフ記念病院に行き、出産の映画を観た。私はその光景の唐突さに衝撃を受けた
[図版]レオナルド・ダ・ヴィンチ「胎内の胎児」1510、ダ・ヴィンチ「胎内の胎児および女性器の構造・大きさの研究」1510

7. ミハイル・チェーホフの言葉から「舞台上での死は、生の感覚が遅滞し消滅していくかのようにして演じられねばならない」

8. 私が映写するのは、文字テクストではない

9. 映画のなかに無限の量の空想を詰め込みたいという誘惑を払いのけるのは難しい

10. 動作の発展の道筋

11. 音、演技、ドローイング、音楽のあいだの相互の呼びかけ

12. 『外套』の技術についての章

13. ゴーゴリの目は、不連続のものからなる光学器械――映画眼――の先駆けである

14. 映像描写による換喩

15. ディテール、ディテール、ディテール……

16. 「……夜にはただ時計の音だけが響き渡っていた」[プーシキン『エヴゲーニイ・オネーギン』から]

17. 本質的には「アトラクションのモンタージュ」なのだ(セルゲイ・エイゼンシュテイン)

18. 夜、誰もいない広場に一人立っている

19. しかしどこにも逃げることはできない

20. そこにはプーシキン的な痴愚の影が見え隠れする

21. 空間とキャラクター

22. 映画、それは中断の連続

23. 棚が片付けられ、最も単純な構図に辿り着いた

24. あいまいなフォルム、映画で最もやっかいなもの

25. なぜ「家にいるアカーキィ・アカーキエヴィッチ」のエピソードが私の意志に反してこれほどの規模になってしまったか(なぜ自然にどんどんと発展していき止めることが出来なくなったか)?

26. 質問したいのですが

27. すべてこれまでどおり、ただアカーキィ・アカーキエヴィッチがいないだけのこと

28.「かくしてペテルブルクからアカーキィ・アカーキエヴィッチがいなくなったのではあるが……」

29. 復讐者としての役人。もしくは役人ではない?

30. 円は閉じられる

31.「映画の最後で巡査は幽霊を捕まえるとおっしゃいましたが、原作では彼はその誰かを目撃して尾行するだけです……」

32.「私は幻覚をみてるのかもしれないな? 1年で食費がいくらかかるって書いてあるか、見てみてくれないか!」(ジュコーフスキーとノルシュテインの会話から)

33. 「しかしなぜ外套の出現がそれほどまでにアカーキィ・アカーキエヴィッチの行動に影響を及ぼさないといけないのでしょう?」 

34. 彼は自分の道を閉ざしている

35. 「彼らは私の存在を認めもしない、見てもいないし聞きもしない」

36. 私たちの意識とぼんやりとした観念は連結する
[図版]ヤーコプ・ファン・ライスダール「エグモントの風景」1655頃、エイドリアン・ファン・オスターデ「村の祭日」1640、オスターデ「喧嘩」1637(エルミタージュ所蔵)、オスターデ「喧嘩」1635(プーシキン美術館所蔵)、オスターデ「嗅覚」1635、オスターデ「酒場の一風景」1635、ゴヤ「スヘフェニンゲンの岸辺」1634、ゴヤ「スケーターたち」1641、ゴヤ「冬のハーグ近郊(?)」1645、ヘンドリック・アーヴェルカンプ「スケート滑り(?)」1615、ゴヤ「魔女の夜宴」1820-23、ベンヤミン・カイプ「農民の争い」1630年代、シチューキン(ウラジーミル・ボロヴィコフスキーの絵の模写)「マルタ騎士団の団長の衣装に身を包んだパーヴェル1世の肖像画」1800、レンブラント「放蕩息子の帰還」1668-69、ミケランジェロ「ロンダニーニのピエタ」1552-1564、ブリューゲル(父)「十字架を担うキリスト」1564、ボッシュ「十字架を担うキリスト」1515-16、ミケランジェロ「ブルート」1539

37. アカーキィ・アカーキエヴィッチ、空想と散文的な素材との結合
[図版]リニョフ「プーシキン」1836-37、ミハイル・ロンム監督『ありふれたファシズム/野獣たちのバラード』、「地面の上ではなく」(新生児が取り上げられている写真)1980

38. すでに作られたものに慣れてしまう必要はない、幼年時代の新しい日のようなものだ

39. 撮影装置の図

40. 映画のコマには眼差しがなければならない
[図版]ゴーギャン「自画像」1889年以降

41.しかし登場人物とその感情的な側面の話に戻ろう
[図版]ベラスケス「マルガリータ王女」1660

42. 私たちは自分で経験した人生を特徴づけるような素材を集めていた

43. 日常的な物語にあるあらゆる原則について
[図版]アンドレイ・ルブリョフ「聖餐式」1425頃、ルブリョフ「足の洗浄(?)」1425頃、ルブリョフ「奉献日」1425、フェオファン・グレック「聖母昇天」1780-90年代、ルブリョフ「救世主」15世紀

44. 「堕落はあらゆる人間の魂を巻き込み、ただ信心深い者たちのみが残された」(ヴァルラーム・シャラーモフ『極北 コルイマ物語』)
[図版]「ウラジーミルの生神女」12世紀

45. 造形芸術における運動の進展のさせ方
[図版]ルブリョフ「大地に向けてラッパを吹く主の天使(?)」1408

46. 時間の香りを耳にする

47. 文学テクストにおいて意味を持たないものが映画表現では力を持つことがある
[図版]ピョートル・ボクレフスキー「ペン先を削る役人」19世紀前半、シュメリコフ「行楽の準備」、「おっとせい殺し」(写真)、ワーシリー・ペロフ「最初の官号、14等官に昇進した僧の息子」1860、アレクサンドル・ベイデマン「拘束衣を着たフェドートフ」1852

48. パーヴェル・アンドレーヴィチ・フェドートフ
[図版]パーヴェル・フェドートフ「賭博者たち」1852、フェドートフ「『賭博者』習作」1851-52、フェドートフ「手を開いた賭博者」1851-52、フェドートフ「瓶のエスキース」1851-52、フェドートフ「少佐の求婚」1848、[フェドートフの習作多数]、フェドートフ「フィンランド軍の中隊に戻る王宮の歩兵」1840年代終盤、フェドートフ「冬の光景」1841、フェドートフ「嫁入りするオリガ・イワノヴィチ・デモンカリの肖像」1851頃、フェドートフ「ハープシコードを弾くジダノヴィチ」1849、[狂気に囚われていたときのフェドートフのスケッチ]、ジェムチュジニコフとベイデマン「精神病のフェドートフを病院で見舞うジェムチュジニコフとベイデマン」1852、ベイデマン「拘束衣を着せられたフェドートフ」1852、フェドートフ「アンコール、もういちど、アンコール!」1850-51

49. アカーキィ・アカーキエヴィッチの道行きで、彼の人生は開かれなければならない(?)
[図版]タラス・シェフチェンコ「兵舎」1856-57

50. レオニード・イヴァノヴィチ・ソロマトキン
[図版]レオニード・イヴァノヴィチ・ソロマトキン「花嫁」1867、ソロマトキン「婚礼」1872、ソロマトキン「新兵の行進」1869、ソロマトキン「楽しい宴」1880、ソロマトキン「綱渡り」1867、ソロマトキン「仮装者」1873、ソロマトキン「昼食の時間」1878、ソロマトキン「塀のそばの歩行者」1879、ソロマトキン「点灯夫」

51. 技術に関することで質問はありませんか?
[図版]マティアス・グリューネヴァルト「Tauberbischofsheimerの祭壇」1523-24、ダ・ヴィンチ「聖アンナのための布の習作」1510、フェドートフ「貴族の朝食」1845、フェオファン・グレック「蝋燭」1780-90年代

52. 充分な感覚なしでは技術は不完全だ。成功は全体的な構図にかかっている。構図によって、無意味だが誘惑的な細部を退けることができる
[図版]ベラスケス「酒飲み」、ベラスケス「フランシスコ・レスハーノ」1645年頃、ベラスケス「矯人セバスティアン・デ・モーラ」1645、ベラスケス「ラス・メニーナス」1656-1657、ミハイル・ウルーベリ「牧神パーン」1899

○『冬の日』

53. 狂句、もしくは「松のざわめきの墨絵」(?)――ユーリー・ノルシュテインとタチアーナ・イエンセンの対話
[図版]アンドレイ・ルブリョフ「三位一体」1425-27、与謝蕪村「芭蕉」

ーーーーー
以上で終わりです。二巻あわせて、1700枚以上の図版が使われています。ここでの引用図版の紹介は一部を除いてノルシュテイン関係以外のものを挙げるにとどめましたが、もちろんノルシュテイン作品関係の図版もたくさん載っています。

『外套』は章題を訳すだけでも結構つらい気持ちになりました。「『外套』は恥についての映画である」と言っていたノルシュテインの言葉の意味が身に沁みてわかりました。『外套』の制作が開始された年に生まれた僕ですが、このどうしようもない人間の本性のようなものにノルシュテインさんはずっと向き合いつづけていたのかと思うと、背筋が凍ります。唖然とします。こんな問題、決着なんてつけようがない。この映画を作ることに関して、なにかしらの救いはあるのでしょうか?

土居

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可  

トラックバック

http://animationscc.blog105.fc2.com/tb.php/161-a76b4b0e

 | HOME | 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。