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        2008-11-04        ノルシュテイン『草上の雪』章題&引用図版リスト(3)

(2)に引き続き、今回は第一巻『話の話』の章題を列挙します。

ーーーーー
○『話の話』

54. 小春日和の太陽の暖かさ。共同住宅から運び出されたテーブル、棚(トゥンボーチカ)……隣人たちは、その家から永遠に散り散りになってしまうその時を前にして、そのテーブルを囲んで座っていた……
[図版]ミケランジェロ・ブオナローティ「夜」1520-1534

55. 映画作品はそれ自身から育っていく……撮影されたものは脚本に書かれたものと詳細にわたって一致するわけではないのだ

56. モンタージュの愚かな文法規則をもつ映画に毒されて、わたしはこのシーンをロングショット、ミドルショット、クロースアップで撮影しようと考えていた
[「永遠」のエピソードについて]

57. 自らの職業的なステレオタイプを刷新するためには、関係する芸術の約束事を用いるのがよい

58. 撮影の日は毎日、他の日と違っている。そしてあなたはその違いを時宜を得て感じ取らねばならない

59. 芸術による誘惑は危険だ。「詩人が不在であるとする。それが本当に不在でないとすれば、それは危険なことだ(?)」(パステルナーク)

60. 落ち葉の上のリンゴ――大地のへそ

61. モンタージュ、それは好機を逃さずに矢を準備し、放ち、落下させることだ(?)。それぞれのショットはその他のショットと結合されることによってのみ、充分な響きを得る。

62. 「映画の第二部はどこから始まりますか?」

63. 単なる虚飾であることから最大限に逃れるのに可能な条件を見出す必要がある。ホルンを持つ腕の折れたピオネール、偉大なるスターリン、その他の時代の特徴は記憶の引き金を引いた


64. マーリナ・ローシャの6番目の通りにある灯りは弱い光しか放たないので、晩になれば闇になり、暗くて薄汚れたそのランプの下を孤独な歩行者たちが通り過ぎていく

65. ひんやりと鮮やかな空気を一呑みする冬

66. 「ほら、私の言った通りだ!」(「巨匠」の叫び声)[『巨匠とマルガリータ』から?]

67. 少しだけ、ほんの少しだけでも、私は望んでいるのです――私に少しの権力を与えてくれれば、「我報いん」! 対価を払う準備はできています
[少しだけ引用。「本当のところ、私の映画のあらゆるコマは私の記憶と結びついています。『話の話』だけではありません。魂の感情的な核が、映画のなかに移植されねばならないのです。」]

68. 必要でないものは躊躇せず投げ捨てねばならない。それが必要でないものだと気づくことができるのであれば……

69. 私がフランチェスカに夢の内容を話したとき、彼女はまるで主婦が家事のあいまに台所で言うかのように事も無げにこう返した――「あなたから悪いものが抜け出したってことね」

70. 戦争の後はすべてが陰鬱だった

71. 音の溶解

72. 映画を撮影してはみたものの、「時間」とはいったい何なのだろうということは謎のままに残った。貝殻に耳を寄せれば聞こえてくる波の音のように、耳の中に響いている

73. 撮影されなかった映画はいずれにせよ他でなされた仕事のなかで撮られるだろう。さまざまな思いつきが合わさって一本の映画は作られていく。かくして『話の話』にはヘンリー・ソローが暗号化して隠されている

74. 「見知らぬ人よ、もしあなたが私と話したく思うなら、私に話しかけていけないことがあろうか。私があなたに話しかけていけないことがあろうか。」(ウォルト・ホイットマン)

75. 「過ぎし日の幻影が束となって私の心に飛来するように思える……なんと空しいことか!」(エヴゲーニイ・バラティンスキー)

76. 論理的に考えればもっと前になければならない章でも、ここにおいてしまって構わない
[図版]プーシキン「草稿」、ピカソ「木のそばの二人の女」1931、ルーベンス「岩山の御者(?)」1620頃、ノルシュテイン「ルーベンス『岩山の御者』のスケッチ」2003、ブリューゲル(父)「十字架を担うキリスト」1564、ノルシュテイン「ブリューゲル『十字架を担うキリスト』のスケッチ」2003

77. あるとき、家に帰ると、オオカミの子の最初のスケッチを私が描いた紙の隅に、フランチェスカに似たなにかが描かれているのを見つけた


78. 善く育てられた子どもは芸術の助けになってくれる

79. 「絵画に命を吹き込むことは、アニメーションの伝統的な方法なのでしょうか?」「まとめてしまえば、このように言うことができます――アニメーションのカーニバル性が問題なのです」

80. 撮影が始まるのは紙くずに囲まれた作業机においてである

81. 間違いに対しては代償を支払わねばならない
[図版]アントワーヌ・ペブスナー「30度のダイナミックな投影(?)」1950-51

82. しかし動きの原則というものはやはりあるのだ

83. 原則はある、しかしその奴隷になる必要はない。自由の奴隷になる必要もまたない。

84.「この地平線全体に静けさが広がるように」

85.フィルムにだってやはり目はある。必要な眼鏡を選んでやらねばならない。

86. 「撮影装置の層の大きさはどのくらいですか?」「80cm×120cmのガラスです。『霧のなかのハリネズミ』と『話の話』では60cm×120cmでした

87. 完全なるお役所用語

88. キャラクターは自らに空間を「引き込まねば」ならない。たまにはズボンに片足を突っ込み損ねてしまうこともありはするだろうが
[図版]ゴヤ「冬のハーグ近郊(?)」1645、ベラスケス「朝食」1617-18、ベラスケス「イギリスの道化師アンソニーの肖像(?)」1640-42、レンブラント「丸襟をした若者の肖像(?)」1634

89. 観客を甘やかすな、彼らはもう充分に大きいのだから

90. 「『話の話』ではアストロロンは使っていますか?」

91. ホイルを手に取って、下塗りをして、着色してみてください。そうすれば私とフランチェスカがこのやり方を採用している理由がわかります

92. しらふのプラグマティスト、レオナルド・ダ・ヴィンチはしっくい塗りのうえにできたカビの染みに空想の材料を探しなさいと助言した

93. 光のもとで絵を描くのがよい。光、それは生と映画の物質

94. 芸術的な高みを作り出すのは技術の有機的な可能性である

95. 「北斎の『九段牛々淵』を分析しながら、あなたは空間の変容について語りました」

96. 撮影の技術について、照明の可能性について、動きについて

97. 撮られたものの背後に残されたもの

98. 「ああ、それでもやはり残念だ」(ブラート・オクジャワ)

99. 映画が作られるのは脚本によってでも監督の作業によってでも優れた美術によってでもない――映画はその人を取り巻く状況や記憶によって作られる。あなたはそれをあらゆる瞬間に投入するのだ。(私のおじさんを写した)写真を見ていただきたい……
[図版]レンブラント「赤い服の老人」1652-54、レンブラント「笑う自画像」1668

100. 追伸

-----

次回は最終回、第二巻の章題をすべてアップします。

土居

コメント

ミシェル・オスロさん

いつも興味深く読ませてもらっています。
レビューページのクロック映画祭の体験記などを読んでも、ロシアのみなさん(?)が生身の人柄とアニメーションが分かち難く結びついている感じが伝わって来ますね。

ブログにも何度か書かれていましたが、ミシェル・オスロさんの作品に感じるある違和感、ということについて、なんとなく、キリストやマホメットというような神の言葉によって世界を変革してきた予言者のことを考えてしまいました。
オスロさん自身の人柄はいい人そうですが・・自分の信念を疑っていない、という感じはやはり日本人にはなじみの薄いものですね。
オスロさんの作品には、出てくる要素がすべて彼自身の文法に完全に従属させられているところがあるのでしょうか。あらためて彼の作品も見直してみたくなりますね。

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