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        2010-12-31        2009-2010年ベスト(4):長編

今年はいくつかの素晴らしい長編アニメーションと出会えましたのでピックアップ。

イリュージョニスト』(シルヴァン・ショメ)
The Illusionist (Sylvain Chomet)


illusionist

これは紛れもない傑作です。魔術・驚異としてのアニメーションが力を失って随分と長い時間が経ってしまった気がします。(あれだけ素晴らしい『ポムネンカ』がサラッと流されてしまった現状をどうしましょう?)アニメーションがこれだけ「当たり前」となった時代なのだから、仕方ないことなのかもしれません。今さらそんなこと言われてもね、という感じなのかも。タチの遺稿を原作として作られたシルヴァン・ショメのこの新作長編は、なんというか、魔術としてのアニメーションに最後の別れを告げるかのような、そんな作品となっているように思えました。時代遅れの奇術師と、彼の奇術を魔法だと信じる田舎育ちの純粋な少女の物語。奇術師が背負う極めて緩慢とした、歴史性を担った時間と、少女が女へと成長していく残酷なまでに素早く流れゆく時間。最終的には違う道を行かざるを得ないこの2つの異なる時間がマッチする一時を描く物語です。魔術にはタネがあるわけですが、本当の魔術とはそれを分かっていたとしても、それでもなお驚きを与えてくれるものだと思います。『イリュージョニスト』は、年老いて人気もなくなった奇術師の姿を通じて、魔術の時代の終わりをこれでもかと見せつけながら、最後、その驚異を再び蘇らせるのです。映画の終盤に誰にも目撃されぬところで起こるちょっとした奇跡に息を呑みます。もちろんこれだったタネがある。仕掛けがある。仕掛けは画面上に映っている。それがトリックだと分かっている。それでもなお、驚異がある。この時代に、魔術としてのアニメーションの持つ原初的な輝きを、このたった一瞬でも取り戻すことができたショメは実に素晴らしい仕事をやってのけたといえます。魔術にはタネも仕掛けもあることをみなが認識してしまい、そこを問題としなくなった時代。つまり、みながアニメーションに対して「大人」になってしまった時代の今だからこそ、最も威力を発揮する作品です。2011年日本公開です。万人必見。

緑子 MIDORI-KO』(黒坂圭太)

midori-ko

小さな頃、たとえば東映マンガまつりとか、まあ、ディズニーとかでもいいんですけど、アニメーションを観ることで異様なドキドキ感を味わったことってあったと思います。『イリュージョニスト』の話とちょっとかぶってますけど。普通の映画やドラマと違う、なんとも名状しがたい、不思議なことが起こっているなあ、という感覚です。世界がまだまだ新鮮だった頃のアニメーション体験で得られるもの。それを与えてくれるのが黒坂圭太待望の長編『緑子』です。ノルシュテイン『外套』と並んで、「いつ完成するんだよ?」アニメーションのトップ2だったわけですが、ついに完成したのです。予告編には「現代の偽善を笑う」というフレーズが使われていますけど、ほんと、あらゆる虚飾が取り払われて、これを見終わった後にはナチュラルな気分になれます。身体の奥底の部分が解放されるというか。限りなくユニークな長編です。現代のカーニバル!!

Goodbye, Mister Christies (Phil Mulloy)

goodbyemister

『緑子』と同じく個人長編作品からもう一本。フィル・ムロイの長編第二作Goodbye, Mister Christiesは、観ていて恐怖を感じました。タイトルからお分かりのように、究極のミニマル長編The Christiesの続編です。前作に比べれば切り絵のバリエーションは増えてますけど、基本路線は同じです。黒シルエット、単純な背景で展開される、コンピューター・ボイスによる無限の会話劇です。今作ではミス・クリスティーがフランス人船乗りの魔力の支配下に置かれて不倫をし、ミスター・クリスティーもまた、犬のバスターがテレビ取材を受けている最中にまたしてもフランス人船乗りの魔術によってイチモツを晒すことにより、全世界的な有名人となります。彼の人格崩壊は、世界の崩壊と運命をともにします。なんというか、この長編って何なのでしょうか? 普通、長編って、多くの人が関わったりたくさんのお金が絡んでくるわけで、やはりなるべく多くの人間に向けて作られるわけなんですけど、ムロイのこの長編はどうなんでしょう? 個人制作の長編はSita Sings the Bluesとかプリンプトンとかありますけど、そういった作品だって、やはり多くの人に見てもらうための努力を制作中・制作後と行っているわけですけど、じゃあこの長編はどうなんでしょう? 特に誰に向けて作られたものではないもののように思えたのです。恐怖を感じたのはそこです。目的がわからない……悪ふざけにしてはやりすぎな気がする……内容自体も背筋の凍る笑いを提供してくれます。UP & DOWN, UP & DOWN...

ここまでの三作はすべてオタワの長編コンペに入っていたものですが、
もう一本、注目すべきものがありました。

Gravity Was Everywhere Back Then (Brent Green)

gravity

独学のアニメーション作家ブレント・グリーンによる、全編ロトスコープの長編です。交通事故によって運命的に出会ったレオナルドとメアリーの夫婦。しかしメアリーはガンに冒される。夫は、妻を救うために、自宅の庭に巨大な治療装置を建てはじめます。「そのとき、重力は偏在した」。タイトルにもなっているこのセリフは、妻の死後も治療装置としての塔を建てつづけたレオナルドが、その塔から落下し、死を迎えたときにつぶやかれるものです。重力に逆らって塔を天へと伸ばしつづけること。この行為が象徴するように、この映画は、運命(gravity)に抵抗するという、負けることしかありえない戦いを一生涯続けた男の、泣きの物語です。質的にはもちろん高くないですが、ロトスコープのコマとコマの間から滲み出るエモーションがすさまじいです。アニメーションにもローファイという概念があてはまるのだという発見が、この映画にはあります。この長編をアニメーション映画祭でピックアップしたオタワはやっぱりエラい。

これで今年のベストについてのエントリは終わろうと思います。
他にも、選外佳作的にいくつかの作品について書こうと思ったのですが、もう年が終わってしまうこともありますし、これから執筆にとりかかるフェスティバル・レポートでもカバーできるだろうということで、省略します。いくつか作品名だけ挙げておくと、長編ではウェス・アンダーソンの初アニメーション長編『ファンタスティック・ミスター・フォックス』(これも劇場公開が決まったようですね。人形に対する乾いた愛と距離感が素晴らしい映画でした)、短編だとブラザーズ・クエイの新作Mask(クエイの作品でナラティブが機能した希有な例)、あとは不当に評価が低いように思える水江未来『MODERN』(素晴らしく先鋭的な抽象作品だと思いました)なんかについて本当なら書きたかったのですが、また来年ということで。

来年は、このブログでも紹介したいくつかの長編が一挙に日本公開となるようで(『メアリー&マックス』『イリュージョニスト』『ファンタスティック・ミスター・フォックス』……『緑子』やシュヴァンクマイエルの新作長編も恵比寿映像祭で観れます。)、長編がちょっと盛り上がる年になりそうです。短編では、山村浩二の新作が完成し、ウェンディ・ティルビー&アマンダ・フォービスの新作も完成したという噂をききますし、ドリエセンも来年が完成目標といってましたし、NFB作品が盛り上がりを見せそうな気配です。タレント揃いの藝大二期生の修了制作も楽しみ。広島はないですけど、来年もまた日本で、インディペンデント・アニメーション・シーンが盛り上がるといいですね。

それではよいお年を。

土居
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        2010-12-31        2009-2010年ベスト(3):学生作品

続いて学生作品をピックアップ。

『ミラマーレ』(ミカエラ・ミュラー)
Miramare (Michaela Müller)


miramare02

今年のアヌシーの学生コンペはとても面白かったです。おそらく一般コンペ以上に。皮肉なもんですが、学生コンペの方がアプローチも語り方も多様なんですよね。質はともかくとして。そのなかでも一番光っているように僕には思われたのが、ミカエラ・ミュラーの『ミラマーレ』でした。この作品もまた広島では落ちましたけど、「和田淳と世界のアニメーション」で上映できましたからご覧になったかたも多いと思います。ガラス上ペイントというクラシックな技法を用いていますが、なんでしょうか、この新鮮な感じは。ラストシーンの夜の美しさには息を呑みます。今まで観たことのない色調というか。フォークナーの短編で、どの物語かは忘れたのですが、納屋か小屋かが火事になるシーンがありまして、その描写を読んでいるとき、脳内にきわめてキレイな色調の炎が現れたんです。いや、あれは夕暮れの色だったか……まあ、どちらでもいいんですけど。別にフォークナーじゃなくてもいい。そのとき思ったのは、アニメーションってなぜか色彩描写の鮮やかさにおいて小説に負けることが多々あるなあ、ということでした。でも、このアニメーションは違いました。そのフォークナーの炎を思い出したのです。ああ、これだった、と。未知なるものを内包した感覚があったんです。浜辺にレジャーにやってきた中流階級の家族。その姉と弟が立ち入り禁止の区域に入ってしまうことによって出くわす違法な移民たち。ひとつの境界線を隔てて存在する、天国と地獄の2つの世界。常にメタモルフォーゼを繰り返さざるを得ないこの技法とぴったり一致するように、物語の描き方は非常に朧げです。人によってはそこを失敗だと判断する人もいるでしょうし、アニメーション・パート自体もあまりうまくないという人も多いです。意図通りではなく、偶然美しくなってしまった作品なんじゃないかという見方もあります。しかしそれでも、この作品を観ているあいだ、僕がずっと息を呑みつづけてしまったという事実は変わりません。ミュラーにとってこの作品は初めての作品。それゆえの拙さ、制御のきかなさが生み出してしまった偶然の産物なのかもしれませんが、それでも、僕はこの枠に収まりきらぬなにものかを底に秘めたこの作品を擁護します。


『くちゃお』(奥田昌輝

gumboy

この作品を初めてみたとき、本当に学生作品なのか、目を疑いました。『オーケストラ』によって鮮烈なデビューを果たした奥田&大川原。(もう一人の監督小川雄太郎はポスターデザイナーです。)大川原亮の『ANIMAL DANCE』は去年の学生ベストのひとつに挙げさせてもらいましたが、今年は奥田昌輝の番です。アニマドリードやファントーシュ、クロクなどで大きな賞を受賞しているこの作品、山村浩二や岡本忠成の影響は存分に伺えますが、かなり意識的にやっているようにも思えます。ユーモアと残酷さの配分が非常に意地悪でお見事。『オーケストラ』以上に、エンターテインメントに徹することができているような。2010年は東京藝大のアニメーション専攻が初めて修了制作作品を送り出した年でした。ザグレブやオタワで最優秀学校賞を取るなど、映画祭シーンに与えたインパクトは非常に大きかったです。海外短編・映画祭の文脈を明確に意識したものが多かったわけですが、『くちゃお』はそんな学校を象徴するような作品だったとも思います。

『オルソリャ』(ヴェラ・セデルケニイ)
Orsolya (Bella Szederkenyi)


orsolya

アヌシーの学生部門で『ミラマーレ』と並んで感動的だったこの作品も「和田淳と世界のアニメーション」で上映させてもらいました。トーリル・コーヴェとアダム・エリオットを同時に思い出す作品でした。自分自身の成り立ちや行く末を俯瞰し、運命を受け入れる態度に前者を。正常であることから外れてしまったことを哀しみと受け入れるのではなく、人間は正常からはみだすものなのだと教えてくれる感じに後者を。根拠ある優しさに溢れたこの作品は、逆立ちして生きることしかできなくなった女性が自分の運命を受け入れるまでの物語を語ります。標準から外れてしまったことによって生まれた出会いの後、ラスト、公園で、女と男が、まるで陰陽のマークのように、互いに補完しあうかのように、寝転んでいたことは偶然ではないはずです。(このラストは、いよいよ日本公開が決まった『メアリーとマックス』のとあるシーンをも思い出させました。)アニメーションは基本的に有機性を根底に置いているがゆえに、そのことに意識的でない表現者はノスタルジーや一体感を時に根拠なく前面に押し出してイヤな気分になりますが、しかし、この作品のそれは、根拠あるものに思えました。

次のエントリでは長編をピックアップします。

土居

        2010-12-30        2009-2010年ベスト(2):短編ii

引き続き今年印象に残った作品をピックアップしていきます。

『ルシア/ルイス』(クリストバル・レオン、ヨアキン・コチナ、ナイルズ・アタラー)
Lucia, Luis, (Cristobal Leon, Joaquin Cocina, Niles Atallah)


lucialuis

今年『わからないブタ』がグランプリを穫ったファントーシュの去年のグランプリが『ルシア』でした。それでウェブ上で作品を観てみたわけですが、かなりの戦慄でした。手法としてはもちろん見慣れたものの組み合わせだけれども、未知なる作品を観てしまった感じに襲われたのです。立体担当のレオン、木炭画担当のコチナ、カメラマンのアタラー、本来展示用に制作されたものでしたが、三人の専門領域が互いにハマりあって、非常に優れた立体アニメーションが出来上がりました。チリという個人的には未知の国からの作品だったのも興味深かったです。(現在レオンはアムステルダムにて制作を行っています。)少女ルシアと野人の少年ルイスの一夏の恋と悲劇的な結末が、両方の視点で語られます。少女の不安げな空想は、ともするとルイスの存在をルシアがひとつのファンタジックな出来事として捉えていることを想像させます。ルイスとは自分の空想の産物なのではないかと。しかしルイスは実在し、消えてしまったルシアに対して呪詛の言葉を投げつける。ウィスパーと怨念。微細でありながら情念に溢れた両者の声。そこにマッチする、立体アニメーションと木炭アニメーションの儚さ。グループワークによって書かれたという脚本は、意図的にtheyの存在を不確定にしてあり、不安感をさらに高めます。その後レオンは(広島でもコンペインした)The Smaller Roomという優れた小品を完成させ、今のところフェスティバル・シーンでは目立っていませんが、コチナもWeathervaneという湿り気のある木炭アニメーションを発表しています。(後者はパヴラートヴァのLailaを思わせるようなコミカルで残酷な小エピソードが重なっていくもので、かなり黒くてべちゃっとした強度があります。)『ルシア/ルイス』という作品だけでなく、作家たちのその後の活躍も含め、非常に印象に残った作品です。

Old Fangs, (Adrien Merigeau, Alan Holly)

oldfangs

今年のアヌシーで観て感銘を受けました。以前でいえば『マロット』、去年でいえば『スキゼン』の列にのっかるような、優れた短編物語映画としてのアニメーションの今年最良の例がこれだと思います。物語は単純で、ひとりの青年が、友人とともに、長いこと離れて暮らしていた父親に会いにいくというものです。かなり粗い作りの作品だと思います。しかし、それを補って余りあるほどの(粗さゆえの?)エモーションに満ちています。登場人物たちはもちろん、動物の皮をかぶった人間です。ノルシュテイン作品がそうであるように、ここにおいても、動物は常にもっともリアリティある人間表現として機能します。実写の使用が印象的です。父親の家のシーンにおけるサイズの誇張、記憶と現実が交差する場面、アニメーション表現だからこそ自然と行き来できる複数のリアリティ。この作品を観る者は、それを追っていくことで、深い、深い記憶の底へと引き込まれていきます。監督の二人組は、昨年話題になった長編The Secret of Kells(未だに観れていない!!)の制作に参加していたそうです。この作品も、その製作スタジオCartoon Saloonの支援を受けています。そういえばオライリーもダブリン時代にKellsのデザイナーかなにかをやっていたような。フランスのSacreblueと並んで、アニメーション界に新風を吹き込んでくれそうなこのスタジオには、引き続き注目していきたいです。

Red-end and the Seemingly Symbiotic Society
(Robin Noorda, Bethany de Forest)


redend

これもアヌシーで観ました。元々は去年のオタワのコンペに入るはずで、クリス・ロビンソンも「今年のナンバーワン」と絶賛していたのですが、どうも完成が間に合わなかったらしく、観ることができませんでした。そんなわけで非常に気になっていた作品だったわけですが、期待以上の面白さでした。なんというか、高密度の『パニック・イン・ザ・ヴィレッジ』というか。そんなふうに思ってしまうのは、人形のぎこちない動かし方によるのでしょうけれども。物語としては、淡々と自分たちの日常業務をこなすアリなどの節足動物たちのなかに突如として現れてしまったひとりのユニークなアリを中心とするものなのですけれども、これはなんなのでしょう、風刺的なものにも思えないのですよね。ところどころにそう読み取れそうな要素も入ってくるのですが。それ以上に、ワクワクとして楽しい感じを受けます。すごくよくできたジオラマに見入ってしまうかのような。名状しがたい魅力を持った不思議な作品です。アヌシーの一度しか観れていないので、再見できたらきちんと書いてみたいと思っています。

冬至 The Winter Solstice (Xi Chen, Xu An)

winter

実際には去年のアヌシーで観ていた思うのですが、そのときはスルーしてしまっていました。今年の広島で印象に残っている方も多いであろうこの作品、中国のインディペンデント界に新たな動きが起こっていることを感じさせるものでありました。Animationsの読者の方なら誰もが思うであろうことーーあれ、これってコヴァリョフじゃない?という疑問。僕も広島にて当然ぶつけてみましたけど、苦笑しながらも強く影響を受けていることを認めてくれました。切り絵手法によるコヴァリョフですから、面白いですけど。(ちなみに次の日には記者会見でオットー・アルダーが同じ質問をしていて、苦笑がさらに強烈になってました。)Lei Leiがオタワで短編部門の最優秀賞を受賞したとき、彼は壇上にて中国はこれから面白くなると言っていました。彼の言葉に信憑性を与えるのが、この作品だと思います。これもまた『ルイス/ルシア』と同じように作品をめぐる状況・現象を含めて、興味深い例として記憶しておきたいものです。監督の片割れチェン・シーは、今年から始まった興味深い試みJAPICのアーティスト・イン・レジデンス・プログラムで1月から3月まで来日し、新作制作を行います。(そういえば、同プログラムで来日するJoseph PierceのA Family Portraitも興味深い作品のひとつでした。)

次のエントリでは学生作品で印象に残ったものをピックアップしていきます。

土居

        2010-12-30        2009-2010年ベスト(1):短編i

2010年は結構いろいろなことがあった年だと思います。
後々振り返ってみると重要な年だったなと認識される気がします。
個人的にもアニメーションズ・フェスティバルとCALF設立という大きな出来事があり、
(個人的なレベルだけでなく大きなことであるのを願うばかりですが)
ブログも含めサイトの方は結構ほっぽらかしたかたちになってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。
映画祭のレポートも途中で放り出したままになっていたり……

しかし去年やって好評だった今年度のベスト作品についてのエントリは書きます。
ベスト選定というのは本当ならば日々のブログ更新あってこそのものだとは思うのですが、
いつもとは順番が逆になるんだという認識でお願いできればと。
(年明けてから書く映画祭レポに、ベストではないが気になった作品についていろいろと書いていきますので。)

去年は2008-2009年のベストを書きました。
今年は2009-2010年のベストを書きます。
フェスの作品のサイクルがやはり2年単位ということもありますし、
去年触れた作品でも、みなさんにとっては、広島でようやく観れたものも多かったでしょうし、
(実際にはそんなにかぶってなかったりもしますが)
そうします。
一部作品は去年とかぶっていますけど、
今年のフェスティバル・シーンを騒がせた作品のなかから、という理解でお願いします。

それではいきます。

THE EXTERNAL WORLD (David O'Reilly)

EXTERNAL

今年の一本は?と問われたら、迷うことなくこの作品を挙げます。アニメーションズ・フェスでも上映した前作『プリーズ・セイ・サムシング』は世界中の映画祭で話題になり、論議を巻き起こしましたが、この若き3DCGアニメーション作家が繰り出してきた次の手は、かなり挑発的なものでした。単純化されたキャラクターたちが暮らす現実世界とテレビドラマのフォーマットのパロディが入り乱れるこの作品、本人は「エクスペリメンタル・コメディ」と形容してますが、ギャグ自体は非常に下らない。しかしおそらく、そのあまりの下らなさこそに意味がある。この作品の何が挑発的なのか。「下らないだろ?」と観客と一時的に「わかったふり」をしておいて、最後にひっくり返すそのやり方が非常に挑発的に思えます。下品さに嫌悪感を覚える人もいるでしょうし、作家が自分自身の方法論に対してあまりに自覚的であることに対して白々しさを感じる人もいるでしょう。しかし僕は、彼のそんな方法論をも含めて、この作品を支持します。アニメーションが観客とのコミュニケーションによって成立するメディアであることは、数々の巨匠がいろいろな言葉で語っています。(ノルシュテインがたとえば「結局はアトラクションのモンタージュなのだ」と言っていたり。ディズニーやマクラレンが、観客がどう受け止めるかを予期することが重要なのだと言っていたり。)作り手と観客のあいだで、約束事が共有される必要があるということです。この作品が描くのは、そんなアニメーション的コミュニケーションが浸透しきった後の世界のリアリティについてです。すべてが表面上に浮かび上がり、すべてが了解可能だと信じられている世界。狭い因果律で成り立つ世界。この作品は、そんな世界の本質的な下品さ・下らなさを笑い飛ばします。作品終盤のある瞬間、今まで観客と一緒に冷笑的に笑っていたオライリーは、突如として牙を剥きます。おめえこんなんで笑ってんじゃねえよ、と。しかしだからといって、彼は愚かな観客を笑い飛ばすだけでもないのです。彼は挑発的でありつつ、非常に真面目で誠実です。僕たちが現実だと思い込んでいる世界は、決して世界のすべてではないのだとも言いはじめるのです。(明示的には言いませんけど。)言語化できぬもの、単純化しえぬものを示すのだ、と言ったらクリシェに思えてしまうでしょうか。でも、この作品は、そういったものの提示の仕方が、実に素晴らしいと僕は思います。9月のヴェネチアがプレミア上映だったのに、日本ではもうすでに2回も鑑賞のチャンスがありました。逃した方もきっとまた近いうちに日本で観られるチャンスは訪れると思いますから、是非観てください。

『愛と剽窃』(アンドレアス・ヒュカーデ)
Love And Theft (Andreas Hykade)


lovetheft

広島ではまさかのコンペ落ちでしたが、アニメーションズ・フェスで上映できたので、ご覧になった方も多いかと思います。棒線画のシンプルなスタイルで成長することの痛ましさを語りつづけてきたヒュカーデから届いた、まさかのノンナラティブ作品。インディペンデント・アニメーション界の一部になぜか未だにはびこっている「オリジナル幻想」を笑い飛ばすようなものとなっていました。創造というのは先人が残したものへの「愛と剽窃」で成り立っているのだと堂々と語りつつ、しかし「新しいものなど生み出せない」などという変な悲観と息苦しさなど1mmも感じさせないという素晴らしさ。アニメーション・キャラクターたちへの愛、そして葛藤、それを経たうえでの新たな創造的宇宙(ヒュカーデの過去作品のキャラクターが総出演しています)の誕生……ここで展開されているのは、至極真っ当な創造論なのです。ちなみに、中割りを担当したのは、去年の学生ベストに挙げた『生命線』Lebensader(こちらはCALF配給の「和田淳と世界のアニメーション」で上映されました)の作者、アンジェラ・シュテファンです。

Lipsett's Diaries (Theodore Ushev)

Lipsett

セオドア・ウシェフ監督、クリス・ロビンソン脚本というAnimations的には涎が出てしまうような組み合わせ、やはり期待を裏切りませんでした。クリス・ロビンソン『ライアン・ラーキン やせっぽちのバラード』で触れられていた、カナダの実験映画作家アーサー・リプセットが残した日記をもとに作られたというこの作品(最後には、そのような日記など存在しないことが明らかにされるわけですが)、ビジュアル面では格好の良いものですが、しかし現実的にはあまりに救いのないものとなっています。「はじめに白ありき」というナレーションで始まるわけですが、その白とはプロジェクターから発せられる光であり、つまり、暗闇のなかにほのかに光るものでしかありません。この作品は、そのはかない白によって無限の黒の存在を際立たせるような、そんなものになっていると思います。期せずして、自分が世界から切り離されているという感覚を持ってしまった人間が辿らざるを得ない人生の悲劇。映画制作という熱狂も、家族も、ほのかには自分を照らしてくれるかもしれないが、それは永遠ではない。人生の長さと比較すれば、あまりに短い刹那のことでしかない。最後には首を吊る自分の身体を冷徹に「ほら、僕の死体だ」と語ることで物語は締められるわけで、この作品が描くのは、とにかく「切り離されている」ということだけなのです。でもこのテーマ自体は、アニメーションが描きうるリアリティとして、それこそノルシュテインやキャロライン・リーフあたりの時代から繰り返され、去年のベストとして挙げたハーツフェルトだったり、『ウェイキング・ライフ』に代表される近年のロトスコープもの(やアニメーション・ドキュメンタリー)だったり、繰り返されているものでもあります。だけれども、これほどの強度で、これほど純粋に、やってのけた作品は例がないのではないでしょうか。いろいろな映画祭で何度も何度も観ましたが、何度観たって、最後は苦しく辛い気分になります。根底にも背後にもどこにも、ポジティブなものが見当たらない作品なのです。恐ろしいことに。諦めているようにさえ思えてしまう。しかし、強度は半端ないのです。

『わからないブタ』(和田淳)

buta

学生作品ですが、ベストに入れてしまいます。
正直なところ、最初に観たとき、ピンと来ませんでした。しかしその理由が今ではわかります。これまでの和田作品を観る見方で、観てしまっていたのです。どういうことか? これまでの和田作品も匿名の人物たちを描いてきましたが、しかしそのなかで偶然的にフォーカスがあたってしまう中心的なキャラクターがいました。そういった目でこの作品を観たとき、非常に中途半端に思えてしまったのです。描けていないじゃないか、と。しかしそれは僕が完全に間違っていました。今までの和田作品が、ひとりに焦点をあて、そこを中心として物語を展開していたとすれば、この作品においては、その中心は複数あり、散在しているのです。つまり、これまでの和田世界が、俯瞰で捉えられているのです。これまでであれば、中心キャラクターの内面性への接近がありました。彼や彼女のきもちいいことはこういうことなんだな、と了解できました。しかし今回はどのキャラクターも不透明です。彼ら彼女らは一体何を考えているのか? それがさっぱりわからない。しかし、それでいいのです。わからないことが生み出すちぐはぐさ。コヴァリョフが繰り返し描いていることでもあり、パルンが『雨のダイバー』で全面的にフィーチャーしたものでもあります。しかしここで和田は、彼らと同じテーマを扱いながらも、家族という親しい間柄においてさえも起こってしまうそのズレに対して決して悲劇的に感じることなく、それでいいのだ、と優しい目を向けるのです。この作品は、今を生きるための優れた処方箋にさえなっているように思えてしまうのです。

本当ならここにもう一本、プリート・テンダーのKitchen Dimensionsも加えたいところなのですが、

dimensions


去年書いてしまっているのですよね。広島で改めて大画面で堪能して、素晴らしい怪作だという認識を新たにしました。この作品について詳しくは、去年のブログ興奮気味の2009年オタワのブログをどうぞ。滅多にない作品だと思いますよ。

とりあえず今日はここまでです。
以上の5作品が僕が今年観たなかではずば抜けていたと思いますが、
次のエントリではそれと同じくらいに素晴らしく感じた作品を紹介します。
長編(豊作でした)や学生作品や選外佳作的なものについては、さらにその次のエントリにて。

土居

        2010-12-07        ルツェルン・インターナショナル・アニメーション・アカデミー動画

どうも土居です。現在スロヴェニアのアニマテカ国際アニメーション映画祭に参加中です。
意欲的なフェスティバル・ディレクター、イゴール・プラッツェル。彼、攻めてます。

アニマテカのことはまた後日お話しするとして、
今日はちょうど去年の今頃に開催されたLIAA(ルツェルン・インターナショナル・アニメーション・アカデミー)についてのことを少し。

このブログでレポートはしましたけど、現地での講演映像が公式ホームページにアップされています。
英語ですが、ノルシュテイン、クエイ、ポール・ブッシュ、パルン、オライリー、シュヴィッツゲーベル、ロジェ、アルカベッツなど、非常に興味深いものが揃っておりますよ。
http://www.liaa.hslu.ch/tv

土居

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