Animations Blog


Animations creators&critics Website

Animations

アニメーションズ、創作と評論


カレンダー

09 « 2009-10 « 11
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のコメント

最近のトラックバック

最近の記事

RSS

広告

FC2Ad

        --------        スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

        2009-10-31        『スキゼン』上映情報&よろしくお願いします

前回エントリでお伝えした『スキゼン』ですが、横浜の短編専門館ブリリア・ショートショート・シアターの11月のプログラム「アート&クラシック」でやるみたいです。同じプログラムにはコンスタンティン・ブロンジットの『ゴッド』もありますね。あと加護ちゃんも。

国際アニメーションデーの話など、いろいろと書きたいことはあるのですが、ちょっと時間がないので最終告知のみさせてもらいます。

「ライアン・ラーキン 路上に咲いたアニメーション」、11月1日(日)最終回上映終了後に、アニメーション作家の大山慶さんとトークさせてもらいます。僕自身にとっては上映初日の山村さんとのトーク以来二度目です。東京での上映は6日(金)までですが、トークイベントとしては最後を締めさせてもらうことになりそうです。お待ちしております!

ライアン・ラーキン 路上に咲いたアニメーション

土居
スポンサーサイト

        2009-10-27        ジェレミー・クラパン『スキゼン』のDVD発売&全編視聴可能

山村さんも2007~2008年ピックアップで挙げているジェレミー・クラパンの『スキゼン』ですが、
日本の観客にとっては今までのところフランス映画祭でしか観ることができませんでした。
しかし今回、DVD発売(500枚限定)にあわせて、vimeoにて全編視聴可能になっています。

Skhizein (Jérémy Clapin,2008) from Stephen Dedalus on Vimeo.


vimeoは高画質ですよね。便利な時代になりました。

しかし、制作費10万ユーロとか書いてありますけど、どうやってそんなお金を集めているのでしょうか……???

DVDはここで買えます。ペイパルのアカウントがあれば楽勝です。

土居

        2009-10-26        10月下旬から11月にかけてのイベント+α

まず最初に、「大山慶のアニメーション」への多数のご来場、ありがとうございました。
おかげさまで連日ほぼ9割、ゲストのショボさゆえに動員が一番心配だった最終日はなんと満席(!)という素晴らしい客入りでした。
合計で30人くらいしか来ないだろうと思っていたのに、6倍くらい行ったことになるんでしょうか。
若手作家が、こういうきちんとした会場で四日間もイベントをやって、
それでさらに連日このような盛況になるなんて快挙です。未来への希望が湧いてきます。

さて、オタワから帰宅後はじめてのブログ更新です。
インフォメーションをいくつか。

まず、10月17日にすでに発売済みのピクトアップ61号に、「マイナーで何が悪い!~アニメーション評論家のつぶやきと使命」という記事を1ページ書かせていただきました。ピクトアップ、素敵です。
雑誌全体もいつになく男臭いものになっていますが、書店で是非ともお手にとってみてください。あいかわらず意欲的な記事がたくさんです。

ピクトアップ#61[Amazon]

ライアン・ラーキン 路上に咲いたアニメーション」の東京上映も終盤に近づいてきました。
こちらも予想以上の大盛況!
一度来場された方ももう一度いかがでしょう?
11月1日(日)の最終回後には、僕と大山慶さんでトークします。
10月31日(土)にも朝倉世界一×おおひなたごうという豪華なメンツのトークがあります。
是非ご来場ください。
ライズXでの上映は11月6日までです!

10月29日(木)は国際アニメーション・デー東京です。
国際アニメーション協会の日本クロアチア韓国支部の会員作品に加え、ベスト・オブ・広島的プログラムもあります。
しかも入場無料です!
これは来るしかないですね。

10月31日からはヨコハマ国際映像祭がはじまります。アニメーション作品のあるプログラムがいくつかあります。
凝りすぎで異様に重くて見にくいホームページなので(恵比寿映像祭もそうでした。この傾向、なんとかならないものでしょうか。本末転倒な気がします)、まだ全貌をチェックしきれていないですけれども、
11月1日と29日の「コンペティション優秀賞作品」で大山慶『HAND SOAP』
11月7日と23日に「現代日本のアニメーション集 山村浩二セレクション
その他各種短編プログラムにもアニメーション作品が散らばっているようです。
会場はコンテンポラリー入門と同じく、藝大映像研究科の馬車道校舎です。

11月7日はまたしてもアップリンクにて注目のイベントがあります。
『読むアニメーション』創刊記念イベント
以前このブログで紹介したこともあるアニメーション総合文化研究所発行の「読むアニメーション」というリトルプレスの創刊号発売記念のイベントです。
山村浩二特集ということもあり、ゲストには山村浩二さん。
昨日の「大山慶のアニメーション」でのゲスト出演の際に、アニメーション総合文化研究所の所長、道川さんも「絶対に損はしないイベント」と断言なさっていました。
山村さんの秘蔵映像、新作予告編、またju seiという男女Dデュオのライブ、
ワンドリンクと雑誌一冊までついて2800円と破格の安さです。
楽しみです。

長編情報は伝えたり伝えなかったりと不安定で申し訳ないですが、11月28日からシネスイッチ銀座でなにかと話題の『戦場でワルツを』の劇場公開がついにはじまります。『ウェイキング・ライフ』革命がついにここまでの成果を上げたか、という感じの作品です。
おそらくアニメーションのシーン自体になんらかの美的価値を求める人にとっては、疑問符が浮かんでしまうものなのでしょうが、僕自身もそういうところに少々ひっかかりつつも、アニメーション技術を導入することによって可能になった重層的なリアリティの表現がとてもうまく機能しているところに感動しました……ってなんだかとても高みの見物的な書き方になってしまいましたが、ラストシーンの衝撃は今でも忘れられません。(イギリス版のDVDですでに観ました。)一見の価値ありです。

他にはなにかありましたっけ……?
思い出したら追加していきます。

もうちょっと暇になったら、
オタワ特集として、オタワレポ、ハーツフェルト・インタビュー、そしてオライリー「基礎アニメーション美学」の三つの記事をアップしたいと思っています。
お楽しみに!

土居

        2009-10-21        NFB iPhone App

Iphone-App_blanc_horizontal1.jpg

iPhone、iPod touchでNFB作品が見れる無料のAppが登場!
1,000本以上の作品がどこでも見られる!すごい時代になってきました。

入手はiTunes Storeから、
App Store > エンターテインメント > NFB Films
National Film Board of Canada

NFBのブログで紹介されています。

山村

        2009-10-20        オタワインターナルアニメーションフェスティバル09(5)

ドンくんたちとの会食が終わり幸せな気持ちで寝て、
晴天のなか幸せな気持ちで起きると、
ある嬉しいメールが届いており今日も良いことが起こりそうな予感。

朝ご飯は毎日、メイン会場のバイタウン・シネマのそばにある24時間営業のスーパーマーケットで買った冷凍食品。アジア麺ばかり。

11:00~ 短編コンペ3
オタワは上映待ちのあいだにスクリーンで各プログラムの見所がスライドショー形式で映し出されるけれども、このプログラムで推されていたのはデイヴィッド・オライリー。今年の話題作のひとつであることは間違いない"Please Say Something"と、そのスタイルをベースにしたU2のPV"I'll Go Crazy If I Don't Go Crazy Tonight"がこのコンペでは流れる。PSSについてはもう何度も言及しているのでいいとして(でも何度観てもやはりラストでは震えてしまう)、PVの方は観客が意識しない程度のカメラの動きによって情動をコントロールしていることに気付く。前半はずっと右(カメラが動いていないときでも、小さなレイヤーを動かしている)、それが左になると同時に、ドラマが展開しはじめる。オライリーとは実際に会って少々つるんだけれども、本当に頭が良い人間だと感じた。昔の作品は「若気の至り」的な要素が色濃く残っているけれども(彼のホームページで"Octocat"という作品を観てみてほしい……っていうかまだ24歳なんだから若いに決まってるけど)、PSSで完全に一皮むけた。今は長編を準備しているとのことで、アニメーションに新しい地平を切り開いてくれそうな予感がする。
このコンペの他の作品で気になったのは、たとえばThe Black Dog's Progress(Stephen Irwin)。でもこれも何回か語ったと思う。"The Bellows March"(Eric Dyer)。不勉強ながらこの作家のことは知らなかった。立体印刷を用いたゾートロープをデジタル技術でモンタージュした作品で、その未知の質感に圧倒された。大きなスクリーンにかぶりついて観る贅沢さをまた感じた(オタワのコンペイン作品にはそういうものが多い)。"Myth Lab"(Martha Colburn)。マーサ・コルバーンの作品は正直言って個人的にはあまりピンとこないけれども、作品全体の質が非常に高いので(アニメーションに対する考え方が違うので俺は接続しにくい)、他のどなたかに是非語ってもらいたいですよ。"The Terrible Thing of Alpha-9!!"(Jake Armstrong)。お尋ねものを退治しようとやってくる地球人とエイリアンの話。エイリアンの方はただ単に犬のように遊びたいだけなのに当然地球人の方はそうは捉えない。物語自体は他愛無いのだが、エイリアンの感情表現が良くできており、終わった後には切ない気分になる。学生作品ということを考えればたいしたものだと思う。"Gemeinschaft"(Ozlem Akin)はアヌシー以来の再見だが、やはり面白い。学生作品といえども、トップのレベルはとても高い。

13:00~ インターナショナル・ショーケース2
Partly Cloudy(Peter Son)は、『カールおじさんの空飛ぶ家』と併映されるピクサーの短編。こういうフェスティバルで他の作品と並んで観ると、改めてその異質さがわかる。映像自体が持っているテクスチャーというか重量というか、そのメジャー感が半端でない。今のピクサーは30年代のディズニーに比肩しうるほどにノリノリであるように思える。作品自体は、動物たちの赤ちゃんを作る雲とその赤ちゃんを運ぶコウノトリのお話。設定自体は嘘もいいところだけど、思わず没入してしまう。善意だけで成り立っている世界で、「シリーシンフォニー」シリーズの再来だ。日本人も大好きだろう、こういう世界は。ファミコン時代の格闘ゲームのグラフィック・スタイルとシステムである男の一生を描く"Consoul"(Lasse Gjertsen)は、途中まではものすごく面白かったのだけれども、一旦ゲームオーバーになってからは……惜しい作品だ。最後の三作品、レスチョフの新作、アヌシーでデビュー賞の"L'homme a la gordini"、カスパール・ヤンシスの新作は全部アヌシーで観ているのでパス。

14:00~ ドン・ハーツフェルト・サイン会
ハーツフェルトは、一つ前の作品で獲得した賞金やDVDの売り上げをそのまま次の作品の制作費(もちろん生活費も込み)にするというかたちでお金のやりくりをしており、今年の年末から二年間、"everything will be ok"シリーズの第三章の制作に没頭するとのことなので、貢献せねばと思ってサイン会へ。しかし人があまりに多すぎて断念。(俺はなんて中途半端なんだろう。)
オタワでの彼のプログラムはどちらとも裏にコンペのオフィシャル上映があって、会場も歩いて30分以上かかるところだったので、お客さんがそんなに多くなかった。だからちょっと悲しい思いをしていたのだけれども(北米での彼の人気を実感したかったので)、このサイン会場でようやくそれを感じることができた。前日の夜、「誰も来ないんじゃないかな?」って不安げにしていたので良かった。

15:00~ 短編コンペ5
小腹が空いたのでポップコーンのスモールサイズを頼んだら日本だったから確実にエクストララージのものが来て、全部食べたら気持ち悪くなって寒気がした。ラージを頼んだらいったいどうなるんだ?
日曜日ということもあって子ども連れが多く会場に。プログラム自体も「全年齢対象」と銘打っている。北米でそういうことをきちんと明記するくらいだから、相当安全な作品ばかりが集まっているのだろうと思ったら(最後が『ウォレスとグルミット』だし)、とんでもないものが一個混ざっていた。
Runaway(Cordell Baker)はアヌシー以来の再見だけれども、やはり本当に「エンターテインメント」している。そういうタイプの作品に基本的には懐疑的な俺でもこの作品には引き込まれる。きっちり作れるという意味で貴重な存在だよなあ。Man Up(Edward Barrett)はどこかで観たことあるんだけど思い出せない。現実に疲れ果てたクレーン技師がクレーンの上で生活を始めるが街の開発が彼の高さにまで追いついてきて、追いかけっこが始まり……というプロットが嫌らしくならないのは、かなり幾何学的なスタイルでキャラクターが描かれているからだろう。Vive la Rose(Bruce Alcock)はNFB伝統の「うたもの」のひとつ。湖畔の別荘(実写)にカメラが侵入し、机の引き出しを空けると、そのなかが三つの区画に分かれている。そのうちの一面にアニメーションが、一面に歌詞が、そしてもう一面にアニメーションの内容に関係するオブジェが置かれ、相互に関係しながら展開していく。影が落ちていく様子がよくわかるので、おそらく屋外で直接コマ撮り撮影しているのだろう。「エレガンス」という言葉はこういう作品のためにあるのだなあと思った(皮肉じゃないですよ)。『ウォレスとグルミット』については、このシリーズはそういえばパロディで成り立っているんだよなあ、ということを思い出した。
……で、例の問題作というのはKitchen Dimensions(Priit Tender)事前にスチルをみた限りではどんな作品になるのか想像がつかなかったけれども、観た後になってもまだ理解できない。画面に最初に映るのは台所にひとりたたずんで、料理をしている男。窓の向こうでは木々が風に揺らぎ、静寂が支配する。男は『愛の可能性について』のポルドマを思わせるようなフォルム(ただしスラッとしている)。タルコフスキー映画を思い出してしまうほどの画面の夢見がちな緊張感。(アニメーションでは久しく味わわなかったもの。)これからいったい何が起こるのかとドキドキしていると、男が小麦粉をこぼす。そしてパンをトースターに入れる。すると窓の外の木々が変化する。食卓の机が立ち上がり、踊り、男を飲み込む。頭のなかを????????????がかけめぐると、そこから先は驚くほどにゆったりとして壮大なメタモルフォーゼが起こっていく。口をあんぐりと空けてしまって啞然とした。なんだこれ、なんだこれ、と理解するための参照項を探す。ダンスだ。舞台上のダンスだ。モダン・ダンスだ(知らないから適当に言ってるけど)。でも全然高貴じゃないよ。だって踊っているの机だし。小麦粉だし。台所だし。フィッシンガーとか『ファンタジア』を思い出してしまうほどの水準のダンスが超大きな規模で展開し、机に飲み込まれた男の姿が戻ってきて、最初のシーンに戻ってきてトースターからパンが飛び出る。この前後のスケール感の違いがバカらしすぎる……
まとめましょう。この作品のシノプシスはこうです。男が小麦粉をこぼしつつパンを焼き、新聞を読み、コーヒーを飲む。それだけ。合計で三回のその壮大なシーンは、よく考えればそれぞれの行為を表現したものなのだな、と理解できる。日常の行為を宇宙スケールで解釈する。言葉にしてみれば簡単だ。でも、普通の人はこんなふうな想像を展開しないよ? エストニア人以外には不可能。プリート・テンダーはもはやパルン・フォロワーではない。パルンだってこんなものは作ったことがない。二つ目と三つ目の壮大パートがちょっと弱いのが残念だけれども、今までに観たことがないアニメーションであるのは確か。2008年制作ということだから、他のフェスにも出しているだろうけれども、これは評価しにくいかも。あまりにおかしいから。こういうとき、オタワというフェスがあって、クリス・ロビンソンという人間がいると助かる。(スピーチでも頻繁に用いられるほど、ロビンソン=エストニア・アニメーションという連想はこのフェスでは強い。)俺もきちんと言っておこう。これは傑作です。終わった後の客席の戸惑い具合が非常に面白かった。オフィシャル上映ではなかったので、お客さんが満員でなかったのが残念。オフィシャルのときはどんな雰囲気になったんだろう? ともあれ、でかいスクリーンで最初に体験できたのでよかった。

17:00~ カナディアン・ショーケース
カナダ作品のパノラマ。ヘラジカたちに絡まれる若者たちを描いた3DCG作品Xing(Michael Naphan)は、3DCGが得意とする動きの誇張表現を、誇張的なコメディの仕草としてうまく活用した良作。アニメーションでやったから面白いのであって、実写でやってもそんなに面白くないだろうな。Debt(Mike Weiss)はあまりに不思議すぎてなんといっていいのかわからない人形アニメーション。ちょっと調べてみたらcjaxでも上映されていた『落とし穴と振り子』を作った人か。う~ん……
ランドレスの『背骨』が始まったので会場を後にする。閉会式の場所まで歩いて45分かかるから。

19:00~ 閉会式
子ども用作品コンペに入っている『ぴったんこ!』の白川さんご一行を発見し、久しぶりに日本語を使ったら、あんまりうまく発音できなかった。使う筋肉が違うのだな。
閉会式も至極シンプル。クリス・ロビンソンのスピーチと受賞作品発表のみ。北米の人はスピーチで笑いを取り続けないと死んじゃうのかな?と思うくらいに笑わせようとする。観客からもすぐに間の手が入る。
受賞作品については各自で確認していただくとして、かなり順当だったと思う。ハーツフェルトのサイン会の会場にいたクリスさんと話したときにも、「今年の審査員はかなり正しい選択をしたと思う。でも笑えるよ。」と言ってた。「笑える」というのがどういうことなのか気になっていたけれども、今回の俺のオタワ生活に彩りを与えてくれたバスティアンの『マダガスカル』が観客賞、最優秀依頼大人向け作品賞、最優秀以来作品の三タイトルをゲットして、オライリーのPlease Say Somethingが最優秀物語短編を受賞してすごく嬉しかった。実際その価値はあると思うし。
なによりも素晴らしかったのが、長編の選外佳作にMy Dog Tulipが入り、Coralineが外れたこと。(クリスさんが「アヌシーとは違ってちゃんとしてるよ」と言ってたのはこのことだと思った。Coralineは質が高いけどグランプリを取れるような作品ではなかった。)
そして、短編ナラティブの佳作にKitchen Dimentionが入ったこと。これは最高に嬉しかった。
今年の短編の審査員は、スーザン・ピット、ジム・ブラッシュフィールドに加え、このブログでも何度か紹介しているCartoon Brewという有名ブログの管理人、アミッド・アミディ。彼は俺にとってクリスさんと並んで信頼できる情報源の一人で、アカデミー賞のセレクションに対するコメントについてはこのブログでも前に紹介したことがある。だからきっと良いセレクトをしてくれるに違いないと信じていた。その期待に応えてもらえて(勝手な期待だけど)嬉しい。でもよく考えたら、ブロガーに審査員をやらせているわけだから、やはりオタワは変わっている。
ただ、短編のグランプリにはびっくりした……クリスさんが言ってた「面白いよ」というのはこれのことか。うーん……(会場もびっくりして凍り付いてました。)

クロージング・パーティーでは何人かの人に挨拶して、そこそこしゃべって、でもDJの音があまりにも大きかったので声が枯れてきて、ドンくんたちからも「体調が悪いから行けない」という連絡があったので、引き上げた(大事な話があったんだけどなあ)。オットー・アルダー(良い人)とデイヴィッド・オライリー(良いヤツ)とは12月の会議で再開する約束をしつつ。オライリーについては、Please Say Somethingの日本語字幕をつけてあげる約束もしつつ……

おしまい!


土居

        2009-10-18        オタワインターナルアニメーションフェスティバル09(4)

今日はとても幸せな日だった。

昨日はあまりに体調が悪かったのでパーティーからも早めに引き上げ、
早めに寝たのが功を奏したのか、
朝ぱっちりと目が覚める。

いろいろと雑務をこなしつつ、
今日の上映は1時からだしゆっくりすればいいやともう一度寝たり。

しかし後になって11時から学生パノラマ部門をみなきゃならなかったのに気付いた。
もう遅い……

1時からはオフィスに併設のギャラリーでNFBの関連イベント。3Dアニメーションの上映。もちろんメガネをつけて観るアレ。これがもう、新しい映像体験だった。俺の少ない3D映画経験では、ほとんどの作品が文字通りの遠近法的空間を現出させる、ギミック以外のなにものでもないものが多かったが、このプログラムのいくつかの作品は全然違った。内容は他愛もないだけど、ゆったりとした運動感が未知の3D空間を体験させてくれる"Falling in Love Again"、立体メガネが抽象アニメーションに与えてくれそうな新たな可能性を感じさせてくれた"July"、セオドア・ウシェフの二作も3D化されており、しかし"Tower Bower"は平面としてきっちり完成している作品なのであまり良くなかった。それと比較すると、"Drux Frux"は平面でみたときにはピンとこなかったのに、立体バージョンはすごくよかった。立体的になるというよりも多層的になり、つまり情報量が格段に増して、迫力があった。
全体的に、単に表象的な立体空間を「展開」するのではなく、創造的・想像的な架空の3D空間を現出させていた作品が素晴らしかった。"July"もそれが最高だった。本来なら存在しないはずの空間を感じてしまうこと。

15:00~短編コンペティション4
このプログラムはかなりの粒揃いだった。
なかでもすごいと思ったのは手作業と35mmフィルムの迫力が凄まじかった二作。
"Inulshuk"(Camillelvis Thery)と"Lebensader"(Angela Steffen)。
前者は南極か北極かわからないけれども、とにかく氷の上で繰り広げられるイヌイット(?)とクマ、クジラの物語。万年筆みたいな質感をありありと残しながら、錯視を用いたキャラクターデザインで大きなものから小さなものまで、典型的ドローイング・アニメーションからマクラレンを思わせるようなフィルムへのダイレクトペインティングまで、ダイナミックなレンジを幅広く用い、それでいて明らかにナラティブであるという素晴らしさ。それぞれのメディアの質感を利用したナラティブ。
後者についてはこれが学生作品だとはとても信じられない。デザイン的に最強で、画面いっぱいに「世界のすべて」が主に動物のかたちとなってメタモルフォーゼして広がっていく。会場全体が息を呑んだ素晴らしい作品。隣の観客がcool...!ってボソりとつぶやいていました。(うげっ、この作品ここでやってたんじゃん!)
両方とも35mmフィルムで観たので3~5割増しになっていると思うが、
ある種のアニメーションが本来あるべき姿ってこうだよなあ。
会場は古い映画館だったけれども、ホールとかじゃなくて映画館だからこそ出せる迫力というものがある。
他にも気になった作品があるけどまたあとで。眠いので。

その後今年の名誉会長オットー・アルダーの「アニメーションを愛する7つの理由」のプログラムで『話の話』をフィルムで。北米の人たちと一緒に観ることで発見できたことがすごくたくさんあった。

あ、書いてる途中で寝てしまった……

簡略に。今日もまたハーツフェルトの上映にいったのだけれども、
俺のことをすごく気にかけてくれて、劇場に一緒に前乗りさせてもらい、
バックステージにまで潜入させてもらった。

パーティーの後も、食事に誘ってもらい、
非常に親密にお話しさせてもらった。
何度も言うけど、彼女さんも含めて、本当に良い人。涙が出るくらい。

良い日でした。

さて今日は最終日。
ここで出会った人たちとは今後もいろいろと関わりがありそうなので、
そんなにさみしくない。

コンペをまだ2つ観てないので逃さないようにしないと……

土居

        2009-10-17        オタワインターナルアニメーションフェスティバル09(3)

昨日は本当に飲み過ぎたので短くなったのだけれども(隣のホテルに泊まっているデイヴィット・オライリーと彼のホテルの前で別れた後10分くらい迷った。隣のホテルなのに。)"My Dog Tulip"以外にも目にとまる作品はあった。"Madagascar"は二度目に観てもやはり素晴らしいと思った。彼がマダガスカルに滞在した10ヶ月間を、すごく濃密に体験させてくれる。サザランドの新作"The Astronomer's Dream"は作品全体としてはそれほど感じ入るものがなかったが、全体的な雰囲気はすごく良かった。過去の作品にてカートゥーンの反復性にチベット仏教的輪廻を見いだした慧眼には恐れ入っていたが、そのミックスが復活してきている。

11:00~ International Show Case 1 @National Gallery
このプログラムは高校生無料になっており、そのせいで人がいっぱい。海外のフェスに行っても、現地の高校生に会うことはほとんどないからそれが新鮮だった。映画のなかでしか観たことないし。なんとも形容しがたい(というか起こっている個々の出来事はわかるけど全体としてはまったく理解できない)"Jelly Fishers"(Steven Subotnick)、スペルのミスをしすぎる男の語りをファニーに映像化していく素晴らしい作品"Missed Aches"(Joanna Priestley)が印象に残った。8人の人間へのインタビューのロトスコーピングと彼らが育った時代の映像文化がメタモルフォーゼで展開するパートが交互に繰り出される、『ウェイキング・ライフ』+ライアン・ラーキンといった趣きの意欲的な作品"Golpe de espejo"はあまりに長過ぎたのが厳しかった。すごく美しい瞬間も何度かあったのだけれども。

昼からはアニメーターズ・ピクニック。オープンルーフの二階建てバスに乗って会場へ。しかし二階にいて油断していると、木の枝が頭に直撃して危険。
ピクニックでは定番のカボチャ彫りコンテスト。しかしそれよりももっと貴重なのは、いろんな人との会話を楽しむこと。ただし俺は今日の朝から「英語がノイズとして処理されて意味に変換されない病」にかかってしまい、もどかしい思いばかりをした。しかし途中でオットー・アルダーがわざわざ話しに来てくれて、お互い英語は母語ではないのでゆっくりしたペースで会話を楽しんだ。12月のイベントにはデイヴィット・オライリーも来るらしく、ますます楽しみになってきた。ノルシュテイン、パルン、コヴァリョフ、ロビンソン……好きな人たちばかりが集まる。「来年以降もやりたいから協力してくれ」と(おそらく社交辞令でなく)言われ、嬉しくなった。英語記事を渡しておいてよかった。

公園から帰ってくると(帰路の途中、ロビンソンがカボチャ彫りパーティーで使った拡声器
を使って街の人に無差別に「ハロー!」と叫んだりサイレンを鳴らしたりして暴れていたのが面白かった)、異様に疲れてしまい、一旦ホテルに帰った。すると寝てしまい、目が覚めても起きれず、結局International Showcase2とスーザン・ピットを諦めてしまった。

8時頃起きて、今回の来訪の目的であるハーツフェルトのプログラムに向かう。
フィルムで観たら力強さが全然違う。
音圧が違うし、光のきれいさが違う。
細かい部分がしっかり見える。
繰り返しの上映によって付いた汚れが味になっている。
紙やエンピツの質感がしっかり突き刺さってくる。
これまでは一人でしか観たことがなかったけれども、
大勢で(しかも北米人と)観ると全然違う。
笑いやその後に訪れる集中の感覚を共有するのは良いことだ。
回顧上映は散漫な印象を与えがちだが、筋が一本しっかりと見える。
ハーツフェルトが作品を通じて対話を行おうとしていることとも関係するだろう。

今回は、"The Meaning of Life", "Rejected", "Billy's Baloon", "Everything Will Be OK", " Intermission in the Third Dimention", "I'm so Proud of you"に加え、とあるプロジェクトのための新作も上映。親知らずを抜くというだけの作品。久しぶりのブラック・コメディ。長回しを用いて笑わせる術が格段に進歩している。(適切なタイミングで行動が起こると、ギャグの内容がどうあれ笑ってしまう。彼のコメディは絶対的なタイミングとリズムを持っていてときおり背筋が寒くなる。)

作品をみながらいろんなことを思い出し、考えた。ハーツフェルトの作品は、今までにないタイプのものだと思う。彼は「偶然絵も描くことになった映画作家」だと何度も自称しているので、彼の作品をアニメーションという範疇だけに含めていいのかどうかはわからないけれども。何が新しいかといえば、観客との関係性。彼の作品はもちろんナラティブなんだけれども、とある物語を語りながら、観客が観ているのはそれだけではない。ハーツフェルトは「観客に想像の余地を残す」ということを非常に大事にしている。しかしそれは物語の結末を委ねるだとか解釈を一義的に提示しないだとかそういう陳腐な次元の話ではない。ハーツフェルトの作品を観ていると、絶対にすべてを捉えきることができないその情報量の多さにも関わらず(それに関連していえば、ナレーションの全体を観客に理解させようとしていないということを、劇場の大音響でその繊細な音バランスをきちんと吟味して聞いて改めて感じた。アニメーションではこれも非常に珍しいことだと思う)、作品を観ながらも意識が別の次元に飛んでいく。自分の脳内に生成するイメージをも体験させる。アニメーションのほとんどは作品の内部に観客を没入させる。でも彼の作品は違う。没入ももちろんさせながら、作品自体が提示していない観客個々の内的世界にも没入させる。こんな作品はあまりない。
彼の作品の新しさについて俺はきちんと語れているだろうか? 彼の作品は北米ではじゅうぶん評価されているけれども、このような話をきちんと伝えることができたとき、アニメーションに対する新しい考え方を打ち立てた人物として記憶されることもなるんじゃないかと思う。それは俺の仕事だろうとも思う。

しかし本当に適切に言語化することが難しい作家だなあ。

パーティーでは、今年のフィルムセンターでの上映で来日していたシネマテーク・ケベコワーズのマルコさんに挨拶に行き、するとマルコさんが(今日ハーツフェルトのプログラムで対談相手をしていた)「”日本から僕に会いにきた人がいる”ってドンが話してたけど、君かい?」と言ってきて当然俺なのでびっくりするとともにドンくんがそんなに気にかけてくれていたことに嬉しく思った。そしてマルコさんとちょっと話していると、誰かに肩を叩かれて、そしたらドンくんだった。わざわざ話に来てくれたことにまたしても感激。(感激ばかりして気持ち悪いですか?)しかし俺は「英語がノイズにしか聞こえない病」にかかっているので、ほんとに断片的にしか話が理解できず、歯がゆい思いをした。

それにしてもドンくんは本当に優しい人だ。俺を含めてどんな相手にも、相手の目をしっかりと覗き込んで、身体を小刻みに揺らしながら、全身を使って誠実に話してくれる。

俺にとってはノルシュテインと並ぶくらいに大切な作家になってきている。

明日は昼までゆっくり寝て、それからコンペを二つみる。
その後はオットー・アルダーのプログラムに行きクラシックな作品を観て、
スタン・バンダービークの回顧上映を観て、
そしてもう一度ドンくんの上映を観にいこう。

土居

        2009-10-16        オタワインターナルアニメーションフェスティバル09(2)

今日に限っていえば、"My Dog Tulip"だけで充分だと思います。
本当に長い間アニメーションの世界に携わってきた人だからこそ可能なこの「適当」具合。
すごく地味な映画だけれども、ほんとうに「映画」しているし、
こんなにゴージャスな「アニメーション」体験も滅多にないような素晴らしい映画でした。
本当に感動しました。
これってすごく日本人にうけると思うので、
ラピュタかジブリのみなさん、上映しませんかね?
これほんとに良い映画だと思いました。幸せになりました。
少なくとも犬好きはみんな気に入ると思います。
涙が出るほどに素晴らしかったです。


ほんとに日本人がいなくて、やさぐれた心になっていたところで、
偶然デイヴィット・オライリーと『マダガスカル』のバスティアンに偶然会って、
そのおかげで夜中まで楽しく過ごせました。
今日のパーティーはSalon de Refusesという面白い名前のものだったので、
(パノラマにも入らなかった作品の上映が会場の一角でやっている)
ギャラリーなので規模も大きくなかったので、
マルコム・サザランド、スティーヴン・ウォロシェン、"Doxology"のマイケル・ランガンなどなど、好きな作家に囲まれて(酒にも囲まれて)非常に幸せな気分になりました。
ドンくんにもようやく会えました。
インタビューは彼の母親も気に入ってくれたみたいで、非常に嬉しいです。
明日はオタワ来訪の一番の理由、ドンくんのレトロスペクティブがあるので、
ほんとうに楽しみです。

明日はピクニックもありますし、寝ます。

ほんとオタワに来てよかったです。

土居

        2009-10-15        オタワインターナルアニメーションフェスティバル09(1)

アヌシーに続いて速報的旅行記を「インターナル」バージョンで。

昼ごろ、とりあえずフェスティバル事務局に行ってプログラム等をピックアップ。
なぜかフリスビーが入っている(笑)。
プログラムはアヌシーとも広島とも違う感じ。
コンペが端の方に追いやられてオマケ程度になっており、
特集上映が前面に押し出されている。
そしてそれぞれの特集上映に寄稿者がいて、読み物として面白い。(これがオタワの特徴。)

歩いたら疲れてしまったので(近くのショッピングモールで迷った)、
とりあえず部屋に帰ってきて寝て、
六時頃に起きてまた会場へ。
バイタウンシネマという映画館が今日の舞台。

ottawa200901
(バイタウンシネマ)

映画館自体はものすごくレトロな感じで、ポップコーンが名物らしい。
二階席まであるのだけれども作りとしては珍しい。(写真撮りわすれた。)
そして椅子の座り心地が良い。

19:00~ 長編コンペ1 『Mary and Max
クリス・ロビンソンが今年のオープニングとして選んだのは『Mary and Max』。アヌシーでもみたけれども、英語の聞き取りの練習のためにも再見。二回目なのでいくつかの粗が目についたものの(数シーンで、ナレーションの素晴らしさに映像がついていっていない)、最後はやはり泣いてしまった。トンデモなエピソードがたくさん詰め込まれているけれども、人生で本当にありうることや人間の本当の性質を誇張して描いているので、どれも胸に刺さる。素晴らしい作品であることは変わりないので東京国際映画祭での上映には是非足を運んでみてください。22日の方はまだ空席があるみたいですので……

21:15~ 開会式&短編コンペ1
休憩時間を利用して近くにあるでかいスーパーでホテルの部屋用の食材を購入。その後映画館に舞い戻り、開会式。広島に比べるとものすごくシンプルな開会式。カナディアン・フィルム・インスティテュートの代表者と誰か(誰なのかわからなかった)、クリス・ロビンソンと今回の名誉会長オットー・アルダー(例の12月のイベントの主催者です)が短く(そしてファニーに)スピーチをするのみ。とってもフランク。無駄がなくていいと思う。
短編コンペ1はものすごくユニークだった。概観すれば、ヴィジュアル的には必ずしも素晴らしいものではないが、生々しい質感を持ったものばかり。その映像面の(あえて言えば)質の悪さゆえに、逆にアニメーションについて考えるにあたって示唆を与えてくれる作品が多かった。さらにいえば、ほとんどの作品は、死、喪失、失うことの恐れについて扱ったものばかり。ロビンソンは去年親友を亡くしており、そのショックから立ち直っていない。(その経験を元にしてこんな本も自費出版している。)オープニング・スピーチでもそのことを話していたが、セレクションにもそれが色濃く反映されている。その是非はどうなのかは人によって違ってくるだろうけれども、俺はそれでいいと思った。

ottawa200902
(開会挨拶中のクリス・ロビンソン)

今日のプログラム作品はすべて面白かった。
"The Paper Prince"(Hamish Lambert、高校生部門)は、仕事はできるが友達はおらず、唯一の趣味は折り紙を折ることだけというビジネスマンが主人公。技術はもちろん拙いが、ストーリーテリングがものすごくしっかりしていて驚いた。
"Love on the Line"(G. Melissa Graziano、卒業制作部門)は19世紀を舞台にした恋愛劇。切り絵アニメーション。親たちの目を盗んで電報の信号で愛を伝えあう物語。両者のメッセージはサイレント期の映画のような字幕と同時に、グラフィカルにいろいろなかたちをとる信号によってもかわされていく。次第にテレフォンセックスならぬ電報信号セックスにまで発展していき……オチは読めるがそんなこと気にならないくらいに面白い作品だった。
"The Seed"(Johnny Kelly、依頼作品部門)は折り紙めいた紙製の立体を用いた切り絵アニメーション。リンゴの種が辿る連鎖を図解的に映像化。完成度が高かった。
"Birth"(Signe Baumane、ナラティブ短編部門)はアヌシーでも観た作品。感想は繰り返しになってしまうけれども、ほんとにこの時代に作られたとは思えないなんともいえないグラフィックなスタイルで、幼くして妊娠してしまった少女の感じる不安や恐れを、センシティブであることなどおかまい無しのメタファーで映像化する。なんだかすごく異形な作品だけれども、やはり非常に力はあると思う。
"Sarah"(Caroline Attia、依頼作品部門)は、銃によるDVを抑制するためのキャンペーン映像。とある女の子の人生を、誕生からその非業の死まで丁寧に映像化。
"Vaihdokas(Changeling)"(Leena Jääskeläinen、ナラティブ短編部門)は(おそらく)パルンの元生徒の作品。育児ノイローゼに陥った母親が感じる娘への愛憎(後者が断然強い)の気持ちと彼女を失ってしまうのではないかという根拠のない恐れが、「取り替えっ子」の寓話とパラレルに語られていく。実写を含めいろいろな手法を使いつつも、正直言ってどのシーンも映像としてみたら力がない。しかし、"Birth"と同じく、その拙さがものすごく機能する瞬間があり、ゾクリとさせられた。生々しい作品。
"Q&A"(Mike Rauch &Time Rauch、ナラティブ短編部門)もアヌシーで観た(あれ、何も書いてないぞ……)。アスペルガー症候群の12歳の少年が母親と交わした実際の会話を台本として、それを映像化。これもグラフィック自体の質が悪いけれども、ナレーション&元の素材が達者であるがゆえにパワフル。
"MGMT "Kids""(Christy Karacas & Ray Tintori、ミュージック・ビデオ部門)は、子どもが世界に感じる恐れを主に着ぐるみを使って映像化。「アニメーションじゃないじゃん」と途中まで思っていたけれども、後半はエストニアのアニメーションのような奇妙な動きで子どもが動き回るので笑ってしまった。
"Daniel's Journey"(Luis Zamora Pueyo, ナラティブ短編)は今日一番良かった作品。父親と、父親に愛されていないと感じている息子の物語。一時の心の誤りで父親が娘(主人公の少年にとっては妹)を傷つけ、それが遠因となって妻(少年にとっての母)と娘が交通事故で死んでしまった後の二人の心の葛藤の物語。妹の幽霊も少年に取り憑くかのようにして何度も登場し、その存在がさらなる誤解を招き、悲劇的な結末へと向かって突き進んでいく。現実的な空間設計なのに、明らかに象徴的な空間にもなっており(その点で言うと『岸辺のふたり』に近い)、非常に巧み。数カ所のミス(というふうに俺には思えた)がなければ、傑作と呼んでいいようなレベルに達していたような素晴らしい作品。とにかく恐ろしく感じた。作者は商業アニメーションの分野に関わっており(『ぽこよ』などに関わっているらしい)、2005年あたりから個人的な作品を作りはじめたようだが、近い将来すごい作品をつくりうるポテンシャルをもっているように思った。
"True Confessions"(Ian Miller, 学生部門[※卒業制作部門とは違います。在学中の作品です])は、ドラック中毒の女性が掛けてきた実際の電話を元にしてアニメーションを作った作品。(そういう作品多いな。)ぐちゃぐちゃとした描線をもった、息抜きとして素晴らしい、笑える作品。
"Dried Up"(Isaiah Powers, Stuart Bury & Jeremy Casper, 学生部門)は、このプログラム唯一の人形アニメーション。荒廃した世界で、ある一人の中年男性が必死にガラクタを集めていく。なんだかナルシストな感じで嫌だなあ、とちょびっとだけ気を抜いてみてたら、びっくりした。男が最後に鳴らすオルガンの音がめちゃくちゃ大きい。あたかも「失われたものを取り戻したい」「みなに希望を取り戻したい」と言わんばかりのエモーションがこもった音で、すごくびっくりした。このプログラムの他の作品との相乗効果がなせる業だろうか。圧倒された。
"The Passenger"(Julie Zammarchi, ナラティブ短編)は、近く死を迎えることが確実にわかっている女性の精神世界への旅を描く作品。スーザン・ピットに影響を受けているのは間違いないゴツゴツとした動きのアニメーションのパートと、マントラ的なパート、そしてディズニーの影響が色濃い時代のソ連アニメーションを思わせる絵柄での動物のチェイスが組みあわされた、なんとも言えぬ奇妙な作品。最初から最後まで、捉えきることができない本当にユニークな作品だった。もしかしたら大したことない作品なのかもしれないけれども、印象に残った。リンク先のトレイラーだけみたら面白くなさそうでしょ? でも全体でみるととても奇妙。変な作品だ……
"The Art of Drowning"(Diego Maclean, 学生部門)は、ビリー・コリンズ『溺れる技術』の詩をアニメーションにした作品。ロトスコープを用いているのだが、それなのにこのアニメーション的な快感はなんなのだろう。おそらくスローモーションが効いているのだと思う。紙にガシッと刻まれたペン筆跡が素晴らしい。内容自体は言ってしまえば死ぬ直前の走馬灯で、ここにもまた死の影が。ヴィジュアル的には拙い作品が多いと書いたけれども、この作品はとっっても質が高かった。
"Git Gob"(Philip Eddolls, ナラティブ短編)はNFBの若手育成プログラムHothouseの一編。二匹の奇妙な生物が、地面に開いている穴をみて「なんだろう」と考える作品。みてもらった方が早いですよ、と書くと気に入ってないように思えてしまうかもしれないけれども、この作品に関しては逆。かなり笑えた。生物たちの意味をなしていないようでなしている鳴き声が有効に機能。

その後はパーティーへ。
本当に日本人が見当たらず、先日来日していたエレーヌ・タンゲさんの一団に加わってパーティー会場へ。
パーティーでクリス・ロビンソンと話したら、今日のプログラムに死や喪失を主題にした作品が多いことを認めつつも、「自分では気付かなかったけど、今日観てみて、人間の人生を辿っているような構成になっていた」と言っていた。"Love on the Line"でのセックスから、出産、育児、子ども、死、そしてあの世という順番をたどっているということらしい。俺もそれには気付いていて、だからプログラム全体として物語のようにして見れた。つまり非常にユニークだということ。(他のプログラムは別にそうではないらしい。)
あとはオットー・アルダーと挨拶させてもらった。12月にルツェルンに行くこと、ノルシュテインが研究テーマだということを言うと、非常に喜んでくれた。怖い人かと思っていたけど、すごく良い人だった。(クリス・ロビンソンもルツェルンには行くらしい。オタワ以上にアウェイになると思っていたのでちょっと安心。)
他には本当に知り合いがいなくてやばいと思ったので、思い切って何人かに突撃。アヌシーで衝撃的だった"Madagascar"の作者Bastien Duboisと一番多く話した(というか話を聞くだけだったけど)。手法もいろいろだし、手もこんでいたので、スタッフワークで作られたものなのかと思ったら、スキャンなどの雑用を除いてすべて一人でやったということなのでびっくりした。
あとはデイヴィット・オライリーとCartoon Brewのアミッド・アミディが話し込んでいたところに割り込んでいき、オライリーに記事を翻訳させてくれるお礼に日本茶をプレゼントした。すごく喜んでくれたので嬉しかった。庵野秀明の作品が実写も含めて大好きだという話を皮切りに、今敏、湯浅政明(というか『マインド・ゲーム』)、あと実写だと石井克人の『茶の味』が好きなんだよと畳み掛けるように話していた。彼の好みがなんとなくわかる気がする。

あとはハーツフェルトを見つけて挨拶しようと思ったけれども、どうもまだオタワに来ていない様子なので、ホテルに帰ってきた。

長いな!
書くのに1時間半くらいかかっちゃったよ!
面白い作品が多かったからしょうがないね。

明日はジム・ハーシュフィールドの特集と長編3本(『My Dog Tulip』『Coraline』『ガブリエラ』)、短編コンペ2を観る予定。
まだ時差ボケが治っていない&腹壊したという条件下で耐えられるかどうかが不安。

土居

        2009-10-14        オタワ到着

日本のみなさんどうもこんにちは、今オタワに来ています。
13日の15時に成田を発ったのに、
オタワに着いたのが同じく13日の19時だったのが不思議な感じです。
非常にグッタリしましたが、ぐっすり寝たらだいぶ直りました。
あとは時差ボケが到来しないことを願うのみです。

思えば北米大陸は初上陸です。本場の人の英語は早口でついていけません。
今日の夕方からフェスティバルが始まります。
良い作品との出会いを期待します。
フェスのアーティスティック・ディレクター、クリス・ロビンソンのブログを読むに、期待できそうです。(友人の死のショックが色濃く反映されているプログラムになっている、という話なので、「期待する」とは変な表現ですが。)

The Animation Pimp: OIAF, Dylan and Things Changed

出来る限り毎日速報していきたいと思っています。
一日目は長編コンペ1『メアリー・アンド・マックス』と短編コンペ1のみです。
(短編コンペの方は知らない名前ばかりですが、パルンの元学生などもいるので楽しみです。)
しかし深夜二時までオープニング・パーティーがあります。

それにしてもこちらは非常に寒いです。今日の最高気温は5℃、最低気温は-4℃です。
ちょっと不安です。

そんなわけでまた後ほど。

土居

        2009-10-12        ウロ・ピッコフのインタビューをアップしました&さらなる予告

またしてもノルシュテインについてではありません。すいません。

大変長らくお待たせしました!アヌシーでのウロ・ピッコフへのインタビュー記事を掲載しました。Interviewページからどうぞ。ところどころに冗談が混じっているので、どこまで信じていいのか分かりませんが、面白いものになっていると思います。(サッカー選手よりアニメーション作家の方が有名、というのは確実に嘘だと思います。)

次にお知らせです。去年のベルリンの短編部門グランプリを筆頭に、今年のアヌシーでの特別優秀賞、ヨーロッパのナンバーワン作品を決めるCartoon d'Orやアニマドリードでのグランプリなど、今ノリにのっている若手CGアニメーション作家デイヴィッド・オライリーの「基礎アニメーション美学」という講演原稿をCriticismに翻訳してアップする予定です。際限ない自由が逆に障壁になりがちなCGアニメーションにおいてどのように優れた作品を作るのかについて、「あえて制約を設けること」を技術的テーマとして制作された傑作"Please Say Something"を例としながら、一貫性や単純化といったトピックを中心に語っており、非常に面白いです。

余談です。翻訳の掲載については、ご本人にすでに快諾していただきましたが、その際に「ヤマムラさんは僕のヒーローだよ!」とも言ってました。PSSはオタワのコンペにも入っていますが、ここでもかなり良い線いくのではないと思います。審査員の一人がCartoon Brewの管理人の片割れなのですが、かなり早い時点からオライリーに注目しているというのがその理由です。(審査とは直接関係ないですけどクリス・ロビンソンも「すごく面白い」と言ってました。)

最近、vimeoで自分の作品をアップしている作家が多いですが、オライリーもその一人。リンクしときます。(先日のコンテンポラリー入門で取り上げたサザランドもほぼ全作品をアップしています。)

翻訳記事については、オタワ特集として、先日お伝えしたハーツフェルト(ドじゃなくてトの方が正しいことにいまさら気付いたのでこれからはこう書きます)のインタビューやオタワのレポと共にアップしようと思っています。

そんなわけで明日からオタワに行ってきます!

土居

        2009-10-11        ハーツフェルドにインタビュー(ただし英語)&ウロ・ピッコフのインタビューは明日掲載

ノルシュテインの話じゃないっす。すいません。
先日ちょっと話に出しましたが、ドン・ハーツフェルドにメールでインタビューしました。
Animations本ページに載るより先に本人の公式ページにアップされてますので、英語の堪能な方は邦訳アップの一足お先にどうぞ! アニメーションについて結構本質的なことを話してもらえたと思っています。

bitter films interview archive(上から二番目)

ウロ・ピッコフのインタビューは、明日アップします!
(今度こそ本当です。)

土居

        2009-10-04        コンテンポラリー・アニメーション入門第二回終了

コンテンポラリーアニメーション入門第二回「マクラレンの新しい後継者、クリス・ヒントンとマルコム・サザーランド」が終了しました。前回以上にたくさんのお客さんに来ていただき、非常にありがたく思います。(席がきちんとなかった方、すいません。)
今日は前説と最後のトークを担当させてもらいました。
前説はすごく緊張しました。窒息しそうになりました。
最後のトークは言いたいことをだいたい言えましたが、20パーセントくらいは言えなかったかもしれません。しかもちょっと早口だったかもしれません。
なので話そうと思ったことの要点だけまとめておきます。

○ヒントンに関して:「アニメーションにおいて重要なのはHuman Error」と公言するヒントンは、かつてのマクラレン同様に、抽象と具象の間で揺れ動く(つまり観客の知覚を不思議に揺さぶる)領域で作品を作ることに専念しており、たとえばライムント・クルメなどの数少ない例外を除き、今のアニメーション界では結構珍しい作家。アニメーションはそもそも知覚の間違いによって成立するという根本を思い出させる。フィッシンガーなどの抽象と違って、なんだかお茶目でコミカルな感じがするのも、そのHuman Errorの領域で作品を成立させているからなのではないか。(フィッシンガーの純粋抽象とは種類が違う。)「観客が作品をどう受け止めるか」という強い意識もマクラレン的。

○サザランドに関して:ときおり恐怖さえ覚えてしまうほどの実直さでもって自分に染み付いたスタイルを破壊し、本当の意味での自分の声を見つけ出そうとしているヒントンと比べると、サザランドはそもそもの最初から「自分」があり、逆に言うと「自分」しかない。彼は抽象の他にも具象や実写実験など多種の作品を作っているが、そのどれもが、「自分の好奇心を刺激するエキゾチックなもの」の吸収という過程を経て成立している。それゆえに、野生の動物などの外部世界のものを描き出す場合でも、本当の意味での外部ではなく、サザランドに内面化された元外部のようなものが目撃されるだけ。(彼にとっては、物理的な外部も、ノスタルジックな過去やSF作品宇宙といった観念的な外部も、どちらも同じである。)すべてが「自分」。それには長所と短所がある。〔長所〕あらゆる作品(テスト作品でも)のどの部分を切ってもサザランドらしさしか見当たらない。〔短所〕本当の意味での外部がない。(アウトドア派の人が『バードコールズ』を見たら「あまっちょろい」と怒るのではないか。)彼は世界各地に点在する「天然系」作家の一人であり、想像力の持ち方として、おそらくイワン・マクシーモフが一番近い。外部のなさと心地よさという意味で、チェコのものとも近いかもしれない。日本人に受けるのもわかる気がする。

二人を比較すると、師弟関係であるにも関わらず、作家としての態度がかなり違う。それはそのまま、世代間の差異なのかもしれない。ヒントンはかなりモダニスト。サザランドは、その善し悪しは別にして、ポスト国営大スタジオ時代のかなり「現代的な」個人作家のあり方のある種の典型である。

こんなところです。

三回目はこれに参加するため日本にいませんので出席できないのがとても残念です。代わりに今回以上に配布資料を充実させようと思います。(トッカフォンド自体、あんまり資料がないのでちょっと困っていますが……)

アンケート用紙に書きわすれてしまった感想などもまだまだお待ちしております。

それではまた来週、ノルシュテイン週間にてお会いしましょう、さようなら!

土居

        2009-10-03        水江未来『DEVOUR DINNER』がアニマドリードで準グランプリ受賞

最近いくつかのメジャーフェスティバルの今年の結果をアップしましたが、そんななか、非常に素晴らしい知らせが。水江未来『DEVOUR DINNER』がアニマドリードで第二位を受賞したようです!

WINNER 2009

水江くんとは今年のアヌシーで行動を共にさせてもらいましたが、自分の作品を観てもらおうとする懸命な努力を目の当たりにしました。行きの飛行機の時点で預け荷物が30キロ近くあり(よくペナルティ取られなかったもんです)、その重さの原因はといえば、自分の作品のフライヤーとサンプルDVD……パノラマでの上映でしたが、終わった後には会場の外でフライヤー配り……

水江未来という名前が世界中のフェスでちらほら耳にされるようになったのは『LOST UTOPIA』の時でした。聞くところによると、一ヶ月くらいかけて、送れるだけのフェスティバルに送ったそうです。

こういった努力は確実に成果が出ています。今回このような素晴らしい結果になったのは、名前と作品(そもそもスタイルは世界的にみても独特ですから)を覚えてもらえてきたことも一因になっていると思います。先日は海外の有名なアニメーション系サイトで取り上げられたりもしていました。

ここでドン・ハーツフェルドのインタビューから一部抜粋です。(余談ですが、彼には先日メールで質問を送り、回答を快諾してもらったので、オタワ終了後にインタビュー記事をアップできると思います。その際には過去のインタビューからもいくつか抜粋して同時に掲載するつもりです。)

――「大きな」アニメーション・フェスティバルが他のフェスティバルに比べてあなたの作品を受け入れないような状況になったら気にしますか?

うーん、映画ってのは大衆向けのメディアなんだ。映画を作る理由ってのは、それをみんなに観てもらうこと。音楽みたいにね。誰かが観てくれないと、映画っていうのは存在しない。自分の作品を、一番大きな、「最重要の」映画祭にしかエントリーしないやつらにはうんざりだよ。高慢な態度だと思うね。彼らの目的は、より多くの人たちと自分の作品を共有しようとすることじゃなくて、できるだけ迅速に作品を売ってお金を儲けることなんだ。観てくれる観客は誰だってありがたいよ。どんなマヌケだってカメラを持って映画を撮れるこの時代には特にね。いろんなメディアが頭のなかをぐるぐると飛び回る時代に僕らは生きてる。映画を作るのは簡単になった。でも、人を引きつけるのはこれまで以上に難しくなった。だから映画祭にエントリーするときは、どんなフェスティバルも差別しないようにしているんだ。トレドだろうがカンヌだろうが一緒。世界にはエリート主義者が多すぎるよね。最良の観客は、小さな街にだっているんだから。


ハーツフェルドは観客のことを信頼しています。自信のあるものを作ったんだから、誰かしらは気に入ってくれるはず。そしてその観客は世界のどこにだっているはずだし、観てもらいたい。彼の膨大な受賞リストも、水江くん同様の「観てもらう努力」によって成り立っているものです。

私見ですが、ただでさえ狭い短編アニメーションの世界なのに、日本の作家の方々はそれを活用できていない印象があります。先日来日していたNFBの方々も、「なぜこの作品が海外の映画祭で流れていないのか?」という感想を抱く機会が多々あったそうです。僕自身、ICAFなどをみても、(ブログでは辛辣なことを書いたりしていますが、)「エントリすればコンペインするでしょ?」と思うような出来のものにはしばしば出くわします。

現在、日本のインディペンデント・アニメーションについての本を準備中のクリス・ロビンソンも、大山慶さんや和田淳さんの作品を観て、「なぜ彼らは今までオタワにエントリしなかったんだ?」と言っています。まあ、和田さんは「出したことあるよ」とボソッと言ってもいましたが……でもこれだって、和田さんの存在やスタイルを覚えていたとしたら、結果は違っていたことでしょう。作家として存在を認知されるか否かというのは、コンペに入るか入らないかを左右する重要なことなのです。そして、ノーウィッチのグランプリなどによって、次第に存在を認知されつつあります。次の作品は大きな賞を取る可能性があると思います。(もちろん出来次第ですけど。素地は整いつつあります。)

水江くんは積極的に海外の映画祭に参加したり、その際に観た作品をブログで紹介するなど、世界のアニメーションをきちんと意識した活動をしています。年齢も同じですし、個人的には同志のような存在だと(勝手に)思っています。なので、水江くんがこういった地道な努力をして、それがこのようなかたちで報われたことが、僕としてもすごく嬉しいです。

このブログは若い作家の方々にも読んでいただけているようですから、この機会を借りて言っておきたいです。

みんな、海外のフェスにどんどんエントリしようよ! しかも何作品か続けて! 

……今年のオタワ、せっかく行くのに、日本作品のコンペインが二作だけなのが寂しいです。

あと、評論をしている人間なので、受賞する機会がありません。(当たり前ですけど。)でも、もし日本作品が受賞すれば、そしてそのフェスに僕が居合わせれば、代わりに壇上に上がれることだってあるかもしれません。そしてそれは自分のことのように嬉しいことに違いありません。だから、

みんな、海外のフェスにどんどんエントリしようよ! しかも何作品か続けて!

土居

        2009-10-02        カナダ・アニメーション・フェスティバル10 A, B, (C)プログラム

カナダ・アニメーション・フェスティバル10に行ってきました。

今日はいろいろと自分に不具合があって作品となかなか良い関係を結べず……

Aプログラム「マーケッター タンゲ セレクション」の一本目にマクラレンの『線と色の即興詩』が上映されたので、自然と頭が今週末のコンテンポラリー入門の方へ……(ちょびっとだけしゃべる予定です。)アニメーションにおいて自明とされがちなところを自明としないで、しかも観客に喜びを与えるという意味で、この作品は相当なものです。ブランクがあってもきちんと動きを読みとってしまう人間の知覚の不思議と、その不思議さとうまく混ざりあう抽象と具象のばらけ具合が本当に素敵な作品です。人間としての能力をなぜか伸ばしてくれるような気がしてしまいます。
すいません、ぶっちゃけていいですか? 『風』(ロン・チュニス)、何度も観る機会がありましたが、あまり良い作品に思えないんですけど……正直ラーキンのエピゴーネンにしか……ちかちか光ってるし、技法的にもテーマ的にもインパクトありますけど、チカチカしてブワブワしているだけで特に大したことは起こってないような……「風が吹いてる」という記号表現はあれど、本当に風が吹いていると思えないような。どなたか今度この作品の楽しみ方を教えてください。
『がちょうと結婚したふくろう』は相変わらず素晴らしいです。リーフの恐ろしいまでのポテンシャルが垣間見える作品。後の作品を貫くテーマともばっちり合致してますし。本質的に異質で疎外しあってしまうものが、一緒になれると思ってしまうことが持つかなしみ……なぜか(理由は明白ですけど)"Please Say Something"を思い出したり。
『エブリ・チャイルド』(ユージーン・フェドレンコ)、こんなに有名な作品なのに、僕、初めてでした。観るの。スチルだけ何度も見ていたので観た気になってました。このプログラム、音が全部声で付けられている作品が三つもあったんですが、『がちょう』に続いて二つ目。(三つ目は『スーフィー』です。)残酷な赤ん坊のたらい回しがおっさんたちの口真似効果音でファニーなものに。面白いですよ。(ああ、やっぱ今日ダメだ……)
『練習開始!』(リチャード・コンディ)は、身につまされすぎます。……が、実はこの作品もそれほど好きじゃないんです。アイディアをそのままわかりやすく展開しすぎというか、長いというか……
しかし、これほど作品との間に断絶を感じてしまう日でも、『ある一日のはじまり』には引き込まれます。歌詞に字幕がついていたのはよかった。DVDだとついてないしね……

続いてBプログラム「NFB最新作集 No.1」。
『めんどり母さん』(タリ)は、ニワトリの親子のいざこざの話。わがままな息子が反省し矯正されるまで。セリフがすべてコケなのと意志をもってるんだかもってないんだかわからない(褒め言葉です)ニワトリたちの動きが滑稽で、(まさかタリの作品とこの作品を比較するなんてという感じですが)『いつもの日曜日』(大山慶)を思い出しました。そんなこんなで3/4くらいはものすごく楽しめたものです。ただし、『いつもの日曜日』と違って、こっちはきちんとオチをつけてきますから(そして想定内のオチですから)、『練習開始!』と同じく「あまりにもそのまんますぎないか?」とヘナヘナしてしまったりもしました。
『フォーミングゲーム』(マルコム・サザランド)は相変わらず素晴らしいです。土曜日のコンテンポラリー入門でも話題になることでしょうから、まあそのときまで。ただ、最後の赤ん坊は、辻褄はあっているのですが、納得できない。観るたびに評価がかわります。(おそらく『バードコールズ』の終盤と同じく、あんまり何も考えずに適当に考えついたエンディングなんじゃないかと僕は思ってますけど。)
『ハングゥ』と『劇作家ジョン・マレル』は、目的ありきの作品で、内容がおろそかになっていました。必然性が感じられない短編というのは結構厳しいです。
『にわか雨で』(ダヴィド・コッカーダッソー)は、結構問題含みの作品なんじゃないかとアヌシーに続いて二回目の鑑賞で思いました。今までの考え方では理解できずこぼれおちてしまうものがあるような。前情報なしで観たら、アジアの人の作品?って思ってしまうんじゃないでしょうか。にわか雨によって、都市の人間たちの活動が止まり、ゆったりとしたものになる。それだけの作品なんですが……なんだかしょぼくもみえるし、すごく濃密にもみえる……実写ベースを用いているところもある背景と、人間たちのリアリティのギャップも狙っているのかそうじゃないのかわからない感じです。この作品についてはまだちょっと保留です。
セリフ多すぎな『背骨』(クリス・ランドレス)は、意外なことにアヌシーでの初見時と印象がまったく変わりませんでした。長編のダイジェストみたいです。この人の作品に出てくる人間キャラクターはアイディアの具現化でしかないですね……間違っても人間そのものではないです。

プログラムCの作品についてはマクラレンと『トゥトゥリ・プトゥリ』の作品はアヌシーのエントリで書いているので適当に検索してみてください。『リタッチ』も『大暴走列車』も面白かったですよ。

DとEについてはまた後日。


土居

        2009-10-01        マイナーなんだからわからなくていいじゃないか

10月17日発売の「ピクトアップ」に、ちょっとした文章(白黒1ページ)を書かせてもらった。テーマをおおまかに言ってしまえば、短編アニメーションを紹介・評論することの意義について。短編アニメーションが「マイナー」であることを積極的に肯定する文章を書いた。

詳しい内容については雑誌の発売を待って読んでいただくことにして、そこで僕が肯定したのとはまったく逆の事態について少しだけ。

アヌシーに行ってものすごく気になったことがある。観客の反応だ。アヌシーの観客は一言で言ってクレイジーだ。大雑把に言ってしまえば、「わかりやすいもの」「笑えるもの」に対する反応が凄まじい。一方で、パルンの上映の前に多くの人が帰ったことを言った。「長いから」という理由で、観ることが最初から放棄されるという現象が起きているのだ。(もちろん、途中でも帰る人は続出した。)クリス・ロビンソンは、アヌシーで抽象アニメーション作品にブーイングが起こったという話をかつて書いていた。

もうひとつ気になることがある。「言葉がないアニメーションは世界中の人が理解できる」というような言説。セリフ満載であることがひとつの悪としてみなされる向きがあるような気がする。

この「国境を越えようぜ」感は、危険も伴っているような気がする。「マイナーであること」が「馴れ合い」の方に傾きうるんじゃないか。短編アニメーションの世界はみな仲良しだ。これは世界的にそうだと思う。それはもちろんいいことだ。時には互いに守りあわないといけない。

でも、作品の善し悪しを判断するレベルで(もしくはそもそも作品が作られるレベルで)、馴れ合いのようなものが起こってしまったらまずいよなあ、とも思う。

マイナーである短編アニメーションは、主流派に対してオルタナティブであることによって、ようやく意味を持ちうるんじゃないか。主流派の論理の縮小再生産ではいけないんだと思う。そもそも、少人数で作られる(作りうる)短編アニメーションなんだから、もっと孤独なヴィジョン(それでいて筋が通っているもの)が追求されてもいいんじゃないか。

別に、わからなくていいじゃん、と思う。得体が知れなくていいじゃん、と思う。言葉もどんどん使えばいいと思う。(ナレーションを極めて効果的に活用しているハーツフェルドの近作を観て改めてそう思った。もちろんアダム・エリオットの作品もそうだ。)一度で伝わらないこと作品の鑑賞体験は、それ自体で特別で、美徳さえ持っていると思う。クリス・ロビンソンは、自分に本当の意味で衝撃を与えた作品(クルメ『クロスロード』、パルン『1895』、最近だと『カフカ 田舎医者』やハーツフェルド"I'm So Proud of You")について、素直に「わからない」と言っている。

……こんなことを書いているのも、予想を裏切るようなものがもっとみたいなあ、というだけですけども。もちろん、現状でもたくさんありますよ。このブログの僕のエントリで好意的に書かれている作家の作品は、だいたいみなそうです。最近のものが全部ダメ、なんて一言も言ってないですよ。ただ、短編アニメーションには、メディア自体の構造とか立ち位置を考えても、もっとそういう「わからない」ものがたくさん生まれていてもいいのになあ、とは思います。

もっとたくさんの異質な世界に耳を澄ませたいんです。わからない方が、わからないものをわかろうとする方が、面白いじゃないですか。

ブログなんで唐突に書いてみました。

土居

 | HOME | 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。