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        2009-05-30        「ヤング・パースペクティヴ2009」

みなさんお久しぶりです。
秋の某企画の原稿でくたばっている土居です。
久しぶりといえば、久しぶりに今日上映会に行ったのでした。
イメージフォーラムフェスティバルのパノラマ上映の「ヤングパースペクティヴ2009」です。
Gのアニメーションプログラムです。
印象に残った作品について少々書いておきます。

『おるすばん』(坂元友介)は造形大の修了制作ですね。『電信柱のお母さん』以来の2D作品です。お留守番のあいだに子供が展開する空想物語が断章形式で繰り広げられていました。
『東京ミンチ』(荒牧裕一朗)は「動夢」に続いて二回目。内容については一回目鑑賞時のコメントをみていただければと思うのですが、ところどころにどきりとさせられるクオリティーに感心させられると同時に、一回目の鑑賞よりもだいぶ展開が掴めましたが、逆に全体をつなぐものが見えてこなくなってしまいました。あの少女は結局なんなのだろう?
『水平線に近づく為に』(有吉達宏)は、黒坂圭太+相原信洋といった趣きの密度の濃い作品。実際に黒坂圭太さんの学生さんであるようで、クレジットでそれがわかったときにちょっと微笑んでしまいましたが、いやあ、これはなかなか素晴らしい作品だと思いました。胎内で成育していく人間、胎児から赤子から若者から老人まで。裸の人々が絡み合い、べちゃりとしたりぐちゃりとしたりします。柔らかさとポキリさが共存している不思議な質感。クロースアップになったときのマチエールが語るものもなかなか豊かで、堪能させていただきました。
『ハピー』(一瀬皓コ)は何回か観ているのですが、まだ書いてませんでしたね。夫婦の愛の物語。自分が妊娠したと思い込んでいる妻と、その思い込みを思い込みのままに保たせようとする優しい夫のお話。動いているだけでほっこりとした笑みが浮かんでしまうのは、もはやドリエセンばりの気持ちよい動きを手に入れてしまっているからでしょうか。今回観ていて思ったのですが、最後は本当に妊娠したってことなんですかね。唐突に出てきたトリとギター弾きから判断するに。完成の際にはかなりの名作になるんではないかと予想される『COSMIC』と響きあっていると仮定すると。
『ぐるぐるの性的衝動』(竹内泰人)は、『オオカミはブタを食べようと思った。』で一部で話題になっている方の実写コマ撮り作品。公園や交差点や街角を舞台にぐるぐると回ります。アクシデントがあって音無しで上映されていたのですが、一分一コマで丸一日撮影していたりして、「バカだなあ」と(もちろん良い意味で)呆れてしまって、そういうバカさ加減をほっこりと楽しむ作品なのかと思ったら、きちんと音付きで上映された二回目を観たところ、付けられた音楽から判断するにどうもそういう作品ではなかったらしいので、反応を間違えてしまったみたいです。すいません。

同じプログラムは6/13(土)15:00からもう一回あります。

土居
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        2009-05-20        ヨコハマ国際映像祭2009



「映像文化都市・横浜」の新たな取組である「ヨコハマ国際映像祭2009」が、2009.10.31-11.29まで新港ビア中心に開催されます。
「ヨコハマ国際映像祭2009」は、映画祭でも現代美術展でもない新しい形の映像フェスティバルです。

現在コンペティション作品を募集しています。私も最終審査員を担当しています。皆様方からの多数の募集をお待ちしています。

募集期間
2009年5月1日(金)~7月31日(金)
締切日: 当日消印有効

応募作品
1. 分野を特定せず、多分野から映像に関する実験的、先鋭的な作品を期待。
2. 応募作品は上映、展示の他、インターネットを使った作品、パフォーマンス、屋外プロジェクトなど形式を問わない。
3. 応募者の年齢、性別、国籍を問わない。グループでの応募も可能。
4. 2008年5月1日以降に完成した作品であること。

審査員
一次審査員:
宇川直宏(映像作家、グラフィックデザイナー、現代美術家、VJ、京都造形芸術大学教授)
千房けん輔(アーティスト、「エキソニモ」メンバー)
土屋 豊(映画監督、ビデオアクト主宰)
最終審査員:
浅井 隆(アップリンク社長、プロデューサー、webDICE編集長)
欧寧[オウ・ニン](映像作家、アートディレクター、評論家)
四方幸子(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC] 特別学芸員)
諏訪敦彦 審査委員長(映画監督、東京造形大学学長)
山村浩二 (アニメーション作家、国際アニメーションフィルム協会日本支部理事、東京藝術大学教授)
その他の方を予定 以上敬称略、50音順

詳しくは公式サイトをご覧ください。
CREAM
ヨコハマ国際映像祭2009
http://ifamy.jp/top.php

        2009-05-16        5~6月前半の上映情報&ゴーゴリ『外套』

ゴールデンウィークの忙しさはどこへやら、という感じで、しばらく上映もあまりないようです。(秋にすごいピークがやってきますよ……!)

全然知らなかったのですが、
岸辺のふたり』が新宿武蔵野館にて12月まで毎日10:00からモーニングショーでやっています。500円です。迷作『アロマ・オブ・ティー』も同時上映。

5/17(土)、6/6(土)~7/3(金)「ロシア革命アニメーション1924-79/ロシア・アヴァンギャルドからプロパガンダへ」@UPLINK FACTORY
→6月からロシアのプロパガンダものがやるのは知っていたのですが、明日(今日)先行上映があるみたいですね。面白いと思いますよ。

5/30(土)15:00~、6/13(土)15:00~「ヤング・パースペクティブ2009 プログラムG アニメーション」@イメージフォーラムシネマテーク
→毎年恒例のイメージフォーラムのパノラマプログラム。おなじみの名前もちらほらと並んでいます。

六月後半にもいくつかありますが、それはまた追ってお伝えします。
そしてアヌシー初参戦まで一ヶ月切ってしまいました。
今年のコンペ、中堅~大物揃いで面白そうです。

そして、全然しらなかったのですが、ゴーゴリ『外套』が児島宏子さん訳、ヤールブソワによる絵コンテつきの構成で出版されていました。解説には、ノルシュテインが寄稿しています。
『草上の雪』の『外套』に対するコメントと結構内容がかぶっていますので、いつか出るであろう(たぶん)完全翻訳が出るまで待ちきれない方は手にとってみてはいかがでしょうか。

ゴーゴリ『外套』[Amazon]

『草上の雪』については、来月末に神戸工科大学が開催されるアニメーション学会の全国大会でその概要について発表したいと思っています。(6/28です。)
学会員でない方でも、学生ならばタダなので、興味のある方は是非。
一般の方も5000円払えば・・・・・・ってハードル高すぎですよね。

ちなみに来週、『草上の雪』の内容をふまえつつドン・ハーツフェルド作品についてSCMSという学会で発表する予定だったのですが、豚インフルエンザの影響で中止になってしまいました……
残念。

土居

        2009-05-08        Please Say Something (David OReilly)

Please Say Something - Full Length from David OReilly on Vimeo.



22歳のCGアニメーション作家デイヴィット・オライリーはVectorpunk Animationと題された小品の冒頭でこう言っている。「アニメーション作家がなぜアニメーションを作るのかと質問されたときによくある答えはこうだ。”アニメーションならなんでもできるし、想像力を存分に発揮することができるからね!”僕にとっては逆だ。アニメーションは、自分に制限をかけたときにこそ、より面白くなる。色、運動、かたちを可能な限りに制限したときに。」

"Please Say Something"は、8ビット的な制限を加えたCGを用いた状世界で展開されるネズミとネコの夫婦の物語だ。平均25秒の細かいエピソードが計23個、次々と連ねられていく構造をしているが、その構造にあわせるかのように、二人の関係性・心の機微もまた変わっていく。夢も空想も現実もごたまぜになっていて、物語は必ずしも時間軸の直線上で整合性を持つわけではない。それどころか、枝分かれしたままで放っておかれている印象さえある。ときに時間は登場人物の意志にあわせて戻りもする。死んだはずのものが何の不思議も感じさせず生き返っている。しかし、そんな分裂的な構造が、この世界では恐るべきリアリティを持ってしまっている。

制限の加わったグラフィックは、適切に用いられれば逆に、描きすぎるよりも豊かなイメージを観客に想起させる。滑らかに、描きすぎるほどに描くことによって、風、炎といった自然のエレメントの表現を突き詰めたのはかつてのディズニーだった。しかしアニメーションにはその逆の可能性もまたある。この作品の風や炎の表現は、かつてのディズニーに負けないほどのリアリティを持っている。マッチ棒スタイルを用いることで近作二作で「人生の意味」の表現を目指したドン・ハーツフェルドの実践からも明らかだが、制限することはアニメーションにとっては豊かさであり、描かれている世界を通じて無限に作品世界を広げる可能性を持っている。補完する、というよりも喚起する、と言った方が正しいか。人間は映画やアニメーションを観ているとき、映画やアニメーションを観ているだけではない。それを知覚し理解しようとする作用が観客には働いている。空想して夢想して、作品から離れてしまうことさえある。シンプルな作品は、観客のそんな力を喚起する。観客をフルに活用し活気づける。

先日のイメージフォーラムフェスティバルで観た"Please Say Something"のショート・ヴァージョンには、「21世紀のカートゥーン」というサブタイトルが入っていたような気がした。確かにこの作品はカートゥーンの伝統に則っている。ネコとネズミ。二人のあいだの暴力的でパラノイアな関係性。いや待ってくれ、ここに描かれているのは、そんなもんじゃない、現代のごく日常的なカップルの関係性なんじゃないのか、という反論があるかもしれないが、それも正しい。特定の性格と外見によって認識され、不変のまま永遠に存在しつづけるカートゥーンのキャラクターは、ある時期から、現実世界の深淵な認識としても機能しうるようになっている。(チャック・ジョーンズの「ロードランナーとワイリーコヨーテ」、もしくは「牧羊犬サム」のシリーズを観て、あまりにリアルすぎて笑えない人はきっと多いだろう。俺もそのひとりだ。)同じ性質であることから逃れられない二人のあいだでは、同じ関係性が永遠に繰り返されていく、ということだ。

"Please Say Something"は、カートゥーン的制限の表現と人間存在へのある種の認識がマッチしたところに成立する作品である。だからこそ、この恐るべきリアリティが達成されるのだ。ネコとネズミは、一方で彼らの個別的かつ現実的な生を生きている。しかしまた一方で、他者においても反復可能なものが彼らに取り憑いている。彼らの送る人生は、リアルで実体的でありながら、映画館やテレビにおいて繰り返し演じられてきたものの変奏でもある。その彼らの姿は、スクリーンのこちら側にいる存在のあり方とも響き合う。おそらくそれゆえに、ハッピーエンドのようなものについに辿り着いたあと、観客に向かって丁寧に頭を下げて喝采を浴びるネコとネズミの姿に俺は戦慄とやるせなさを同時におぼえてしまうし、その後なにごともなかったように、自分たちの日常的な生を過ごしはじめる彼らの姿によってその感情はさらに強められてしまう。

限りない断片から世界を紡ぐのが生きるということなのだとすれば、この作品世界の体験は、それに類することなのかも、とまでいったら言い過ぎなのかもしれない…

土居

        2009-05-04        『メイキング・オブ・ピクサー』とイメージフォーラムフェスティバル

今日、『メイキング・オブ・ピクサー』を読み終わりました。「すげえサクセス・ストーリーだなあ」と感心しながら読みすすめていたのですが、ジョン・ラセターのところに宮崎駿が訪問するシーン、宮崎駿の短篇にピクサーの面々が爆笑と大喝采を送った、という場面で少々しっくりこないものを感じました。なぜだろう、と頭をひねっていたのですが、その直後にふと思い浮かんだのが、ドン・ハーツフェルドの"I'm So Proud of You"(夏にDVDが出るようです)に対するクリス・ロビンソン評でした。以前も紹介しましたが、もう一度。

「クソッタレなほどに傑作だ。この作品については考えをまとめはじめることさえできないが、とにかく震えてしまって、上映の後にはパーティーに出席することができなかった。一人になる必要があったんだ。他の人たちにも、そんな影響を与えたと思う。美しくて、悲劇的で、不条理な、驚くべき作品だ。」

笑いながら「良かったよ!」と言葉を交わしあうのももちろん素晴らしい鑑賞体験ですが、このクリスさんの評のように、ひとりになりたい、ひとりにさせてくれ、と思わず願ってしまうようなタイプの経験もまた、アニメーションに限らずありえますし、必要だとも思います。……と唐突に書いておきます。
個人的には、そんなふうな作品の方をこそ必要としています。なので、観客と情緒的に一体化することを願うような作品ばかりじゃ困ります。アニメーションにはそういう作品しかないと思っている輩は、単に無知なだけです。

『メイキング・オブ・ピクサー――創造力をつくった人々』[Amazon]
邦題の副題が意味不明ですが、面白い本でした。

以上の話は、ここから先の話とはまったく関係ありません。
イメージフォーラムフェスティバルに今日も行ってきました。一作品だけ。
『family』(山田園子)は、リンゴを剥く行為を淡々と描き出す作品なのですが、みてほしいところ、注目すべきところの見せ方が非常にうまいと思いました。最初の頃は「なんだか画面が散漫だなあ」と思ったりもしたのですが、リンゴを剥く作業が進展するにつれ、リンゴにしか目がいかなくなります。リンゴにはあらかじめ切れ目が入っているのですが、そのことが逆に観客の予期を助けてくれて、没入を容易にしています。アニメーションは実写と違って画面全体になにかが映っていなくてもいいですし、観客の方も画面全部に注目しなくてもいいわけですが、そういう点において非常にアニメーション的な濃密体験を提供してくれていたように思います。さらに素晴らしいのは、そうやってリンゴに注意をグッと惹き付けておきながら、最後にフッとその視線を遠くへと解放してしまうところです。その視線注意の濃淡のドラマが、作品の展開とパラレルになってとても効果を上げていて、見終わったあと、なんだか非常に切ない気持ちになりました。

土居

        2009-05-03        「イメージフォーラムフェスティバル H、Iプログラム」&「ブルガリア映画特集 8」

3月末のイベントについて書けないままにこの時期になってしまいました。マクラレンについてきっちり書いておきたかったんですが……まあ、今年の秋くらいに、Animationsで大きく取り上げていてマクラレンと関係しないこともない、とあるアニメーション作家について、とても面白いことが起こるかもしれず、その準備もあって少々忙しいのでご勘弁を……
あと、5/21にアメリカの映画&メディア研究の大きな学会の会合が城西大学でありまして、そこで発表させてもらうので、それもちょっと忙しいんです。ドン・ハーツフェルドの話を、エイゼンシュテインの芸術理論やノルシュテインのアニメーション論と絡めながら、します。おそらく一般の方もご来場いただけると思うので、興味ある方は是非。詳細はまだ今度。

そんなこんなでてんやわんやなのですが、GWというのもまた上映イベント目白押しなんですよね。

イメージフォーラムフェスティバル、今年からコンペティション・プログラムが公開審査(?)のようなかたちになりまして、一観客としては、賞の行方をあーだこーだ言って楽しめるようになったので良かったです。とりあえずHとIだけ観てきました。アニメーションがそれぞれ一作品ずつ。
『ABU』(丹下友希)は、紙上の線画の生成アニメーションが突如として切り取られていき、生命体の息づく自然空間へと変容していく作品。紙から立体空間、虫などの生命の登場、さらに照明が暴れだす……といくつかの超次元行為が起こるという展開は少々予想外だったので驚きました。素材自体のマチエール感を感じさせつつ、同時に変容もしているという。技術的には拙いですが、それだけにプリミティブな感情がどっと押し寄せるような作品でした。
『チケット売り場の桜井さん』(金東薫)は、風景のピクシレーション。物語(筋らしいものはほとんどないですが)を掴み損ねてしまったのですが、そんなことお構いなしに、電線、雲、夕日を含む街の光景が、カメラの移動とともにとてもダイナミックに変容していく様子がとても迫力ありました。大きな会場で、真っ暗な環境で観れてよかったと思える作品。かなりおすすめです。

アニメーションではないのですが、『ニコトコ島』(大力拓哉+三浦崇志)が実に素晴らしかったです。男三人が船に乗ってどこかの島に行き、あとは広大な山や森のなかを歩き回るだけの映画です。設定的にというか絵的に、タルコフスキー『ストーカー』やガス・ヴァン・サント『ジェリー』を思い出し、でもオフビートで、しかしとても本質的な話をしようとしているそんな方向性が奇跡的なバランスで併存していると思いました。大きなスケールでものを考えると、確かなものなど実は何もないのだ、という至極当たり前のことなのにすぐに忘れ去れてしまうことを描いています。人間という位相が揺さぶられます。といいつつ、基本的にはとても笑えます。画面の力がすごく滾ってします。映画全体を見終わってみると、三人仲良く一緒に、というわけではないことが最初から徹底されていたことに気がついて、少々寂しい気持ちになったりもします。うーむ、素晴らしい。

フィルムセンターで開催中のブルガリア映画特集、「プログラム8」を観てきました。すべてフィルム上映で、非常に綺麗です。嬉しくなってきます。エロスな詩人ピエール・ルイスの詩のアニメーション化した『青白き月』(ペンチョ・クンチェフ)はエロ全開です。原作の詩を読んだことはありませんが、見るものすべてがエロいものに思えてしまう的想像力が存分に発揮された佳作です。形態が似ていることによるメタモルフォーゼやモンタージュは、性器などをそのまま映さないことによって余計エロくて卑猥なイメージを喚起します。ごめんなさい、ルース・リングフォードの作品を観るときみたいに、あまりにあからさまに卑猥なので、かなり爆笑してしまいました。だっていちいち下品なんだもん!
『A+E』(ツヴェトミラ・ニコロヴァ)は、強風吹く街で、男女の洗濯物がいちゃいちゃする作品。内容に辿り着く前に、半透明で澄んだ人間のデザインや、リアリティや遠近感が多数交錯してかなり不思議な空間になっている背景に目を奪われてしまいました。
『襤褸(ぼろ)』(アンリ・クネフ)にも強風が吹き荒れます。ぼろ切れが個人の記憶を通じてブルガリアの集団的な歴史を振り返らせます。あんまりちゃんとおぼえていないですが。

アニメーションではないですが、精神病院のエネルギッシュで空想がちな院長の尽きせぬ夢を明らかにするドキュメンタリー『ゲオルギと蝶々』もまた素晴らしかったです。精神病院の環境を改善しようと、カタツムリや小動物、蚕などの繁殖をしようとしてその都度失敗し、でもそれにこりずまた新しい挑戦を初めてしまうゲオルギ院長。彼も含め、また障害者の方々の素直で素敵な笑顔も含め、みんなそれぞれ違っていて、それぞれ気になったどうしようもないことを持っているのだと、なんだか人間の愛おしさが伝わってきます。この悠久の時間感覚は、ドニョ・ドネフの作品を思わせるとこもあり、ブルガリアの全体的なユーモア感というものを知った気がします。

土居

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