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        2008-12-31        僕らは内臓のことも宇宙のことも夢見る生き物――ドン・ハーツフェルドについて(1)

 2008年を締めくくるにあたって、ドン・ハーツフェルドという作家を「発見」できたのは非常に勇気の湧くことだと言えます。DVDが届いて以来、彼の作品や発言にトリコじかけの明け暮れです。"everything will be ok"という作品は鑑賞回数を重ねて次第に内容が把握できるようになるにつれ、どんどん良くなっていきます。涙の数が増えていきます。個人的には、『話の話』や『ストリート』、『ある一日のはじまり』、『ミルク』などといった作品から受け取ったショックと近いところに位置しているかもしれないです。とにかく唖然とします。ここには「なにか」がある。
 みなさん、この円高のうちに、とりあえず彼のDVDを買いましょうよ。bitter filmsというところで売ってますから。こういうところにお金を惜しんじゃいけない。好き嫌いはあるでしょうが(個人的には好き嫌いを超えたレベルに到達していると思いますけど)、彼の作品がアメリカで絶大な人気を誇り、新作"I'm so proud of you"の上映ツアーはすべてソールド・アウト、彼自身、アニメーション作家で自分の作りたい作品だけ作ってそれでもなお副業なしで生計を立てることができている、インディペンデント・アニメーション界の一種のロールモデルを直に体験しましょう。ぶっちゃけyoutubeとかでも作品は観れますよ。でもDVDで観ると全然ちがうんですよ。画質も音質も非常に良いし、映像特典(メイキングやオーディオ・コメンタリー)も映像資料(100ページを超える制作ノート)もものすごくたくさん入っています。(DVDも自主生産みたいですが、「徹底的」であることがテーマだったらしいです。DVD-Rに作品だけぶっこむような、やっつけ仕事ではないんです。)
 ノルシュテイン・インタビューの作業と平行して(もうすぐ中編をアップします)ドンくんのインタビューも読んでいますが、「ミスター正解」とでも名付けたいくらいの至言の数々に痺れます。ノルシュテインの言葉にも負けていないかもしれない。(実際、ノルシュテイン本『草上の雪』に書いてあるのと同じことが書いてあったりする。)
 とにかく彼は本物です。そんなわけで、今年最後のエントリとしてドンくんについて少し書きはじめてみました。2~3回に分けてアップします。(一気にやろうかとも思ったんですが、最近目眩がひどくて……パソコンの画面を見続けるのに限界があるんです。)
 とりあえず彼は本物です。彼を通じて、インディペンデント・アニメーションをめぐる状況をもっと活性化できるかもしれない。そんな希望さえ抱かせてくれる作家が、同年代にいたことを喜びながら、良いお年を、と手を振っておきます。

土居


ーーー

○僕らは内臓のことも宇宙のことも夢見る生き物――ドン・ハーツフェルドについて(1)

 彼にきちんと注目するようになったのはクリス・ロビンソンが"i'm so proud of you"を今年のベスト1に選んだからだというのはまず認めないといけない。だが「一応チェックしとくか」というあまり気の進まない作業の一環だったことも認めないといけない。クリス・ロビンソンの好みというのは、もちろん一貫しているのだが、逆に北米文化を共有していない人間にとっては時にわかりにくいことがあるから。去年のオタワで山村さんがハーツフェルドの"Everything will be ok"のちょっとしたレポートを「文化の違いで笑いが阻害される」というようなかたちで書いており、実際、その当時youtubeで二、三作彼の作品を観てみたけれども、たしかにそれを覆すような印象は俺も受けなかった。今では何を観たのかも覚えていないし、特にきちんと調べようともしなかった。youtubeでの受け方を観て、調子に乗った若者が観客にゴマするようにしてなれ合いの作品を作っているのだと思い込んでいた。内容も暴力的なものばかりで、そこには特に何の信念があるようにも感じられなかった。
 しかしどうも彼の作品は"The Meaning of Life"という作品で大きく変わったらしいという評判を聞いた。"Everything will be ok"という作品は涙を流させるような作品らしい。タイトルは確かに素敵だ。だがしかし日本でも巷に溢れる「大丈夫だから!」みたいな根拠のない応援ソング的なものだとも受け取れる。微妙なところだ……

 まあとにかく、そんなこんなでDVDの到着を楽しみに待っていたわけだ。初期作品集と、everything will be okのシングルDVDが届いたので、早速"everything will be ok"の方をデッキに挿入。

 17分後、俺は頭を抱えてしまった。
 早口のナレーションがかぶさり、そのナレーションにさらに効果音がかぶさり、聞き取りにくいったらありゃしない。だから物語の内容は全然把握できなかった。グラフィックから判断できるのは、日常的な「あるある」ネタを使いながら、日常生活の深遠な側面(むしろ本質か)に届こうとしているのだろうなということだけ。すばらしいチャレンジだ。
 しかし一回目の鑑賞で何よりも驚かされたのは、音楽の使い方。音の鳴り方に驚いた。BGMというよりも、誰かの頭のなかでこびりつくようにして通底音を鳴らしているような音の使い方。それゆえにときおりバランスを欠いたかのように全面に出てきて、ナレーションをつぶしてしまう。アニメーションでこういう音の使い方をする人は例外なく素晴らしい作品を作るものだ。意識の濃淡を表現するような音楽の使い方。
 頭を抱えたのは、これほどの大衆性を獲得している短編アニメーション作品が、これほどまでに素晴らしいものであっていいのか、という衝撃ゆえのことだ。短編アニメーションにこんな可能性を開示してくれる作家がいるなんて、こういうタイプの作家がいるなんて、予想もしていなかった。コンテンポラリーでめぼしい作家はもう全部チェック済みだと高慢にも思ってしまっていたのだ。
 とにかくラスト・シーンにやられてしまった。マルチスクリーンで、真ん中に主人公がいる。周りには実写の雨の映像を映した小さなスクリーンがいくつもある。主人公はその雨をじっと見つめる。雨の音が大きくなる。音楽も大きくなる。そしてある瞬間に、主人公の男の乗ったバスは出発し、彼の姿は消える。作品は終わる。それだけ。モノローグもナレーションも何もない。でも、主人公の男に、これらの雨が新鮮な感覚を持って知覚されていたことが「わかる」。彼にとって日常が突如として新鮮でいとおしむべきものに変容したことを身体で理解したのだ……
 心の底から感激したので、この調子だと彼に関するあらゆるものが素晴らしく思えてしまうのではないかと考え、もう一枚の初期作品集は後日にとっておくことにした。しかし、こちらの方にはさらに驚かされることになったのだった。

(2)に続く>
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        2008-12-27        『動物農場』

ジブリの名作復刻シリーズ最新の出し物はハラス&バチュラーの『動物農場』。
ジョージ・オーウェルの著名な小説を原作として、
マイケル・ドゥドク・ドゥ・ヴィットが語っているように、
アニメーションをプロパガンダの手段として割り切っているところが素晴らしい。
支配者である人間を追い出した後、
新た支配者としてブタが君臨するところで終わるわけでもなく、
その豚に対してさらに反旗を翻すロバがさらに権力の甘い罠にとらわれてしまう(だろう)ところまでを描くのでもなく、
あくまで「立ち上がる」ところで作品を終わらせることが感じさせる決意。
CIAが製作支援したという噂もさもありなん、というようなあからさまな反社会主義的モチーフ(トロツキー、スターリンの戯画)は今となっては逆に表層的なパロディとして後景に退き、
現代の観客である私たちにダイレクトに伝わってくるのは、支配するものとされるもの、搾取するものとされるもの、という構造の普遍性。
ここからスタートして今の社会について考えはじめてもいいし、
構造を抜き出すことに長けたアニメーションの本性について思いを馳せてもいい。
余計な装飾は捨て(それでも暗闇に溶け出す動物たちの輪郭の描写は素晴らしい)、
とにかく「読まれる」「解読される」ことに専念させられた作品としてとても興味深い、
今でも充分観る価値のあるアニメーション映画。
シネマ・アンジェリカなどにて公開中。

公式サイト

土居

        2008-12-25        プリート・パルンNEWS 01

パルンさんと、クリスマスのメールでのやり取りで得た情報です。

今年"Life Without Gabriella Ferri"を仕上げたばかりのPriit&Olgaですが、はやくも次の作品に取りかかっているそうです。
また奥さんのOlgaさんとの共同監督で、"DIVERS ON THE RAIN"という15分の短編を製作中。久しぶりに短い長さ。
新しいパートナーを得て創作活動が活気づいている様です。
来年5月には完成だとか。
楽しみ。

山村

        2008-12-25        ノルシュテイン・インタビュー、アップしました

ハイホー、メリー・クリスマス!
今年一年、良い子にしてたみんなのところにサンタがやってきたよ!
プレゼントはInterviewページに置いておくから、たっぷり楽しんでね!
あまりに大きすぎるから、三つに分けて、残りは来年持ってくるから!

サンタ

        2008-12-24        FIAE 国際エロティックアニメーションフェスティバル

ブラジルから大変ユニークな映画祭のお知らせが来ていますので、ここに紹介します。
リオデジャネイロでひらかれる「第3回国際エロティックアニメーションフェスティバル」です。
日本でもゲイ&レズビアン映画祭はありますが、アニメーションフェスで性を前面にとりあげた映画祭は、僕もはじめて聞きました。

これから映画祭のエントリーのお知らせなども積極的に情報を載せていきたいと思います。
映画祭の基礎情報もWebでまとめていけたらと思っています。

山村

Merry-Xmas.jpg

Festival Internacional de Animação Erótica
visite www.fiae.com.br

        2008-12-23        大訂正

http://animationscc.blog105.fc2.com/blog-entry-180.html

このエントリで、「BS冬休みアニメ特選」についてお知らせしましたが、リンク先をよくみてみるとわかるように、僕が観ていたのは2004年度の番組表でした。というわけなので、ジャニーニ&ルザッティはやりません。すみません。そのかわり明日は『ウォレスとグルミット』がやるみたいですので。そちらをお楽しみください。
こっちが正しい番組表です。

僕の間違い、気付いた人いませんでしたか? こっそり教えてくれていいですからね? 逆ギレしたりしませんから。人見知りはすごくしますけど、基本的には温厚な人間ですから……

土居

        2008-12-20        2007-08年ベスト・ショート

いつの間にか年末ですね。年明けまでCMの仕事で忙しくしています。
年末なので、クリスさんにならって2008年に制作されたベスト・ショート・アニメーションを選ぼうと思ったのですが、あまりにいい作品が少なく、では2007年製作のものまで含めて選んでみようかと思ったら、やはり少ない。仕方なく、4本だけ、アニメーション芸術にとって意義深いと思った作品を挙げてみました。
ベスト4には選ばなかったのですが、アミ・リンドホルムの"The Year Cut My Hair"、Blueの"MUTO"、Ivana Šebestováの"Four"、Santiago 'Bou' Grassoの”The Employment"、Doug Sweetlandの"Presto"(ピクサーの短編)、Chris Williamsの「グラゴーズ・ゲスト」(Glago's Guest、ディズニーの短編)などが印象に残っています。

正直、不作の年といってもいいかもしれません。来年は国内外でいろいろと控えているので楽しみにしていますが。自分もそろそろ新作に集中したくなってきました。


My ベスト4(順不同)
"Framing"(Bert Gottschalk 独)
"Skhizein" (Jeremy clapin 仏)
"Dialogos" (Ülo Pikkov エストニア)
"The Dress"(Jelena Girlin, Mari-Liis Bassovskaja エストニア)

山村

        2008-12-19        クレア・キッソン『 『話の話』の話』

『話の話』にいたるまでのユーリー・ノルシュテインの伝記本の邦訳が出版されたようです。
原本には個人的にものすごくお世話になっているので、
日本語で簡単に読めるようになったことはうれしいです。
ノルシュテイン関連の文献は日本でたくさん出ていますが、
この本はこれまでみなさんの知らなかったいろいろな情報を提供してくれるものであると思います。
まだ翻訳本を手にしていないので、原書を読んだ記憶からの話になりますが、
たとえば、ユダヤ系であることから蒙った差別の話などは、おそらく『外套』に直接響いてくるものだと思います。理解を深めるのではないでしょうか。
あと、『話の話』の制作をめぐるいざこざとその解決の話は、個人的に、何回読んでも感動してしまいます。(来週アップする予定のノルシュテイン・インタビュー(前編)と合わせて読んでいただけると、一層楽しめるのではないでしょうか。)
ノルシュテインに少しでも興味がある人は必読の本です。

クレア・キッソン『 『話の話』の話――アニメーターの旅』[Amazon]

土居

        2008-12-18        Chris Robinson, "Canadian Animation: Looking for a Place to Happen"

またまたクリスさんの本が出ています。アマゾンで予約注文しておいたものが先日届きました。
(アマゾンのホームページでは一月発売になっていますが……)
旅行記の形式で、カナダのインディペンデント作家へのインタビューを基にした文章が並んでいます。そしてこの本は、ヘレン・ヒルに捧げられています。
アメリカを襲った巨大タイフーン「カトリーナ」については記憶もまだ新しいでしょうが、カナダ出身のインディペンデント・アニメーション作家ヘレン・ヒルは、そのタイフーンが引き起こした無法状態のなかで殺されました。(クリスさんの本のなかでこれまで何度か触れられています。いまだ未解決のままです。)

「2007年1月4日、ヘレン・ヒルは殺された。こんな書き出しにするつもりじゃなかったが、そうしないといけない。ヘレン・ヒルは善良さそのもの、喜びのために作品を作る典型のような人間だった。カナダのアニメーションについて語ることは、ヘレン・ヒルに触発された人々について語ることでもある。俺はこの本をどう始めようか、どのように展開させようか迷っていていたが、ヘレンは、その死によって、この本に生命を、導きを、行くべき道を与えてくれた。
 カナダのアニメーションは、カナダという国同様に広大だ。その産業やNFB、ノーマン・マクラレンについてはすでに多くのものが書かれている。この本はそういったものについてのものじゃない。その代わり、この本というのはヘレン・ヒルのような人々についての物語になる。少しの観客に向けて、個人的な作品を作っている人々について。何かを伝えようと、作品を作っている人々について。」

僕はもうこの書き出しだけで目が潤んでしまいました。
クロックで実感しましたが、短編アニメーション界は人と人との(必ずしもお金ではない)親密なつながりのうちに成立している世界です。その短編アニメーションの世界のあり方、そしてこのクリス・ロビンソンの態度は、ただ単にアニメーション界だけではない、もっと広い有効性を持つものだと最近漠然と思っています。

今はともかく、クリスさんが活躍できる環境にあることを心の底から喜びたいと思います。
彼の存在によって、どれだけの「知られざる」人々に、彼らに値するだけのスポットライトが当てられたことか。(ラーキンのように「当たりすぎて」しまった例もあるものの……)
Animationsでも彼に続くような活動をしていきたいものです。

Chris Robinson, "Canadian Animation: Looking for a Place to Happen"[Amazon]

土居

        2008-12-17        フォリマージュ講演会&クリスマスプレゼント的な更新の予告

今週の土曜日(20日)、フランスを代表するアニメーション・スタジオ「フォリマージュ」の講演会があるみたいです。

12/20(土)13:20-
これがフォリマージュのアニメーションだ!」@東京工芸大学中野キャンパス サンワードホール
ルノートルさんは去年の東京国際映画祭の際にも来日なさっていましたね。
今回も興味深い話がきけそうです。

さらにAnimationsの次の更新を告知しておきます(自分にプレッシャーをかける意味で)。
インタビュー起こしの作業が終わり、ようやく更新の目処がつきました。
最近来日していない、あの方のインタビューです。
クリスマス頃に、サンタみたいにも思えるヒゲを蓄えたあの方の最新インタビューをお届けします。
かの方のお言葉に飢えている方も大勢いらっしゃると思います。今回も裏切りませんよ。
お楽しみに。

土居

        2008-12-12        『WALL・E/ウォーリー』は誠に圧倒的です(メモ)

WALL・E』、先週末から公開してますが、とりあえず二回観てしまいました。大人数でお金と時間をたっぷりかけてなしうることの究極を見せつけられた気がしています。大きなスクリーンで観ることができるうちに観にいってください。個人作家の方々は、これを観てどう思うのでしょう?まったく違う世界の話とするのでしょうか、それとも何かしらの危機感を感じたりするのでしょうか。何か短文を書こうと思ったのですが、まとまらないのでまとまらないまま、上映後に取ったメモをそのまま公開します。アニメーションに関して考えるための材料をあまりに多くて提供してくれるので困ります。赤字は二回目のあとのメモです。

土居

-----

・BNL社の広告が「スターツアーズ」の案内ビデオみたいなこと
 →プログラムによれば、「わざと」らしい。アメリカ人だと違和感なく受け止めるかもしれない。(『ジュラシック・パーク』の案内映像との比較)
・「人間」的なウォーリー:模倣者・創造者として
 (クエイ兄弟と同じくらいに、人間とのその周辺の境界線を揺らがせる・おびやかす)
 自分の部品を取り替えることができる/もしものときのために溜めておくことができる
 本来はWALL・Eたちの収納庫であったものを改造している/分類する能力も持っている/寝床を揺らすと気持ちいいことを知っている
 場面・心情にあわせてBGMを変える(つまり、作業するのにBGMを必要とするということ)
 孤独にトレーラー暮らしをする労働者と何が違うのか?
 ゴミ回収だけでなく、目に映ったものを模倣する能力があるらしい(高層ビルやイヴの似姿創造)
 →この能力があるからこそ、ひとり生き延びた?
 <?>なぜこのような能力を持つに至ったか?感情を持つのはなぜ?
    →作品の決まり事なので突っ込む必要はないor
     その方が生存しうるという判断から、進化プログラムが組まれているor
     突然変異+700年の時
 映画によって人間を学ぶ(これもまた「見つめる」モチーフ)
  →逆に言えば、「人間を学びうる」映画を観ているということ(これ重要。『ウォーリー』自体が……)
 職務を「機械」的に遂行する段階ではもはやないらしい(遊び心、好奇心。「進化」としてありうる)
・破壊者としてのイヴ(ウォーリーと逆)
 指令を厳密に遂行しようとする植物採取機
 炎を「見つめる」ことで何らかの目覚めが(宇宙船着陸の光がウォーリーの目に反射すること)
 動くものを撃つのに対し、揺らぐ炎や照明には見とれる(機械の中の動物的な部分)
・「無垢な人間」としてのロボット(動物や子どもも同様の位置でありうる)
 →世界を新たに認識し新生/復活させうる非常にアニメーション的なモチーフ
 →恋・愛というものを初めて実感する二人のキャラクター(cf.ターミネーター)
 →動物や子どもと違って、宇宙で活動可能
・appleとの癒着
 →ipodの使用、ipod的なデザインのイヴ、ウォーリーの充電完了音=アップルコンピュータの起動音
 →スティーブ・ジョブズとピクサーのつながりを知る者への目配せ
  皮肉なユーモア、腹立たしいほどの配慮:一番最後の「BNL」(=アメリカ)社のロゴ
  (すべては仕組まれたことである/すべてはパロディである、作り物であることを宣言する。ここまできちんとやっておきながら。)
・人間の機械性orクリーチャーとしてのCG人間
 人間の方こそが決められたルーティーンをこなすロボットになっている(『ウォレスとグルミット』の目覚まし機械の延長)
 創造性が皆無、与えられた選択肢を選ぶのみ、赤ちゃん化(望むものが与えられ、視野が狭い)
 「700年間同じことをしている」:unchange、normalであることを確認するだけのキャプテン
 →解放者としてのウォーリー:ルーティーンのコースから外すことで、外の世界の存在を示し、好奇心を目覚めさせる(キャプテン、ジョンのカップル)/『バグズ・ライフ』主人公との比較
 →この宇宙船が「生物」であるとすれば、ウォーリーという異物(外世界の汚染)を取り込んで、新たなシステムを生み出すはず(→unchangeを保とうとするオートパイロットたちの異物排除の原理):群衆・宇宙船という生物
 →誕生するのはおそらく人間だ:ジョンたちの持つ象徴性・ウォーリーの異物を直接吸い込むモーの変化・WALL-Rも然り(伝染・模倣)
 →自分の足で立ち、「HAL」的なものを殺すキャプテン(『2001年宇宙の旅』)
 →マザー・アースへの帰還とそれによる新生(注:『ポニョ』との酷似、大衆的なものが向かう退行と新生)
・ついに実写の人間とCGが完全に同居した
 700年かけた人間→CG製クリーチャーへの暫時的変化(歴代キャプテンの写真)
 →「本物の人間を不自然でなく描くことができないCG」への明確な意識による逆転の発想、最強。
・「見つめること」が世界を拓く
 ウォーリーにとっての『ハロー・ドリー!』
 イヴにとってのウォーリー・炎・自分の記憶映像→回復者・創造者としてのイヴの誕生、ウォーリー化、つまり「人間」化
 最終的にみながウォーリーになる(裏を返せば、ウォーリーは最初から人間であった???)
 →「さあ、人間(地球)をまた始めよう」
 「見つめる」こと、目に何かが映ること、それだけで主人公たちの内面がわき出してくる
 →「映画を観て人間のことをきちんと学びましょうね」と言われているような気がしてしまう(妄想)
・演出の見事さと不満
 [見事] 宇宙飛行・ダンス:地上における、ウォーリーの、飛行するイヴに対する眼差し/消化器/ロケットの日常的な噴射が二人を祝福するかのように思えてしまう
 [見事]無表情な際のロボットの表現豊かさ
 [どっちだ?]「手をつなぐ」「キス=電流」というモチーフ
 [不満]基盤を取り替えたウォーリーの記憶がすぐに戻ること(また最初からやり直すことが一番感動的なのではないか?)→違うかも
・壊れたロボットと精神病院
・ホワイトハウス記者会見室のようなところで話すBNLのCEO
 →わかりやすい皮肉でもこれほどの規模でやられてしまうと……(BNLの世界しか出てこない徹底ぶり)
・なぜ今の時代にこれほどまでに豊かな「映画」が作りうるのか?
・CGであることを別に意識させない映像(ついにここまで):落下の無力さ
・ラストシーンの美しさ、情感豊かなクロースアップ
 →もしあの人間型をしたクリーチャーではなくてウォーリーの方こそが人間であったとするならば、基盤だけではない身体の記憶の動員(キスの電撃をきっかけとした)によってウォーリーの記憶が蘇ることは十分にありえるはずだ。『カーズ』に感じた違和感は車が人間にしか思えないことからくるものではなかったか?人間の傍らにいるものこそ真に人間らしいということはアニメーションでは当たり前ではなかったか?ウォーリーが「人間」でなければ、ラストのクロースアップから溢れ出るあの情感は一体なんなのか?

非常に複雑なアニメーション映画。製作者側に迷いがないことがこちらを戸惑わせる。

        2008-12-11        相原信洋作品についての批評文をアップしました

Animationsホームページ「Criticism」コーナーに
至極当り前 相原信洋氏と行くコズミック・ジャーニー」をアップしました。
一人でも多くの方が今週末の神戸映画資料館での相原信洋特集に足を運んでくれることを願ってのものです。
関西圏の方はもちろん、その他地域の方もちょっと行ってみるといいかもしれませんよ?
告知エントリでもお伝えしたとおり、アニメーションのプログラムもありますしね。

久しぶりの長文批評です。
いつもとちょっと感じを変えて書いてみました。
下ネタが入ったりしていますが、自分としては一番自然な文章かもしれません。

土居

        2008-12-10        唐突に日本の何人かの作家について考えが(2)

12月6日になぜかふと思い浮かんだことについての謎めいた覚え書き。2つめ。

・細胞がたくさん出てくるアニメーションについて。この作家のこの作品は初めて観たのだが、前半の面白さに素直にびっくりした。チャイコフスキーの音楽にあわせて各種細胞がリズムよく脈動する姿は、フィッシンガーの一歩先(「スタディ」シリーズの彼のモチーフに有機的鳴るものを読み取る人は結構多い。その意味での一歩先)とでも言ってしまいたくなるような、現代的に充分アクチュアルなものであるように思えた。無意識に音楽に操られているかのような細胞たちは、観客である人間の身体の内部でうごめく細胞たちがおそらく自意識を持たずに本能的に動いていることと響きあって、観客である俺を貫いてくるものがある。ただ後半、それらの細胞たちが集結し一個体を形成してしまうと、どうしても作為が感じられるようになり、パワーが落ちてしまったように思う。俺の身体の細胞たちも、自分たちの仕事に戻ってしまった。(広島の座談会で山村さんが言っていた、キャラクター/前キャラクター段階の問題と通ずる気がする。)

・しかしそれにしても、多摩美というところはコンスタントに優れた作家を出してくるものだねえ。

・中年がふとしたことから小学生時代のことを思い出す、人間の皮膚をコラージュして作られたアニメーション作品について。この作品を「わからない」という人は多いが、その作品構造はかなり明確なので、それを理解してしまえば、作品の見え方は一気に変わってくるだろう。

「大人→内臓写真を見ることを引き金に子どもの頃の追想(保健室)→カーテンに区切られて見えない空間(音だけは聞こえてくる)を想像(創造)することで、現実から離れた<純粋に怖いもの>のイメージが具現化される(首のない太った女性や注射針)→子どもの頃の思い出に大人である今の恐怖が混ざってきて、グロテスクな学芸会が展開される→大人の世界に戻る(子どもの頃の痛みの記憶をひきずりながら)」

「大人」→「子ども(→怖いもの)」→「子ども/大人」→「大人(子どもを引きずりながら)」というかたちになっているということだ。この作品の凄みは、それを種明かし(というほどでもないけれども)した上でもなお、何十回もの鑑賞に堪えうるものである点にある。
あと、この作品のグロテスクさにはきちんと根拠があるので、それを考えずに脊髄反射で「気持ち悪い」と退けてしまうのはどうなのだろう。世界の見え方をより正当なものに修正し広げるチャンスだと捉えた方が生産的だ。

・おでぶな小学生が水泳をする、今年の予期せぬ嬉しい出会いのひとつだった作品について。小学校時代のプールの「あの感じ」、水に入るときの、25mを泳ぎきるときの「あの感じ」、音と映像両方を使って魅せている。おでぶの小学生はプールサイドで魚を描くことが伏線となっている。泳ぎはじめて途中で溺れて立ち上がってしまい、再度水に浸かったのち、魚が現れることによって、彼が泳ぐという行為にすっと没入したことが表現される。そのあと、プールの向こう側に辿り着くまでの静かな水中旅行は、この主人公はそこまで想像力豊かではないんじゃないかな、とちょっとだけ思ってしまうほどに豪華な魚の群れと一緒に展開される。魚のイメージが自分と共に泳いでいることを想像できたことで、少年は泳ぐことができる。魚の描写をちょっとだけやりすぎてしまっているけど、その他には特に文句のつけようがない。だが少々気になるのは、「さて、この次の作品は?」ということ。「あるある」ネタに吸収されるか(今作はきちんとそれを逃れている)、さらに広がるか。さあどちらでしょう。

12月6日にはこんなことを思ったのでした。
その帰り道、俺のコートのポケットのなかにはこんなチラシがたくさんねじ込まれていた。

laputa09

土居

        2008-12-10        文化庁メディア芸術祭

昨日、第12回文化庁メディア芸術祭の受賞作が公表されました。
http://plaza.bunka.go.jp/

アニメーションズのメンバー荒井知恵さんの『DREAMS』と、僕の『こどもの形而上学』が、アニメーション部門の優秀賞を受賞しました。ありがとうございます。そして知恵さんおめでとうございます。

またアニメーションズのメンバー関連では、審査員会推薦作品として、中田彩郁さんの『コルネリス』と僕の『校長先生とクジラ』の2本が、アニメーション部門/短編の枠で選ばれています。
『DREAMS』と『コルネリス』は今年の夏のEIZONE2008のアニメーションズイベントの上映会に向けて制作した作品で、ひとつの結果が出て嬉しいです。

以下、アニメーション部門の受賞作です。

■アニメーション部門
大賞
 『つみきのいえ』 加藤久仁生

優秀賞
 『カイバ』 湯浅政明
 『DREAMS』 荒井知恵
 『KUDAN』 木村卓
 『こどもの形而上学』 山村浩二

奨励賞
 『ALGOL』 岡本憲昭

受賞作品展は来年、下記の要領で開催されます。
日時:2009年2月4日(水)~2月15日(日) ※2月10日(火)は休館
会場:国立新美術館(港区・六本木) 入場無料

山村

        2008-12-09        唐突に日本の何人かの作家について考えが

別に何があったってわけでもないんですが、12月6日、日本の若手作家たちの作品についてふと思うところがあったので謎めいたかたちでメモしておきます。

9.11秒の長さを持ったある人形作品で気になってしまうのは、あたかも長編映画のクライマックス、ラスト20分ほどだけを見せられているような気分になってしまうこと。でも実際には9.11の長さしかないわけで、少々息苦しくなってしまうこと。短編には短編なりの、その長さが要求する語り方があるのではないか、と思ってしまう。ダイジェストを観ているような気分にもなるのは、あまりに急展開すぎるモンタージュのつなぎだろうか、と思ったりもしたが、そのときふと杉井ギサブロー氏の「カット割りは情感の長さの表現だ」という言葉がどこからか降ってきて、なるほど、と納得。

・立体作品の多くに共通する思想があると思う。「+」で考えるやり方。どういうことかといえば、アニメーションが「無」からの創造だとして、その虚構の世界を構築するのに、ヴォリューム感を持つ物体を「+」していくことのみで世界を作り上げるやり方。そういう作品は大抵、その「+」された部分以外の世界が存在しない。外側のない箱庭のような息苦しさが漂うことになる。(ある種の人形アニメーションが時にデジタル技術の3Dアニメーションと同じような雰囲気を持ち、「それならもう3Dでやればいいじゃん」と思ってしまうのは、この「外部のなさ」に一因があるのではないかとふと考える。)だが別にそれは必ずしも悪いことではなくて、その作品世界にきちんと没入させることができるのであれば、「この世界は関係ないや」と観客に感じさせるのでなければ、その作品は成功を収めるのだと思う。
アニメーションは二次元と三次元で根本的に違う。その違いをきちんと認識しないといけない。
二次元作品は、白紙を相手にするがゆえに、空白という「-」の部分に対して必然的に向き合う必要がある。そして、その「ー」を活かした作品がいくらでもある。空白を空白としてエナジーを充溢させるような。
三次元ものの場合、立体空間はわざわざ作り出さずとも所与のものとして存在する。「ー」の思想が抜け落ちがちになる。その点、ポヤルの『ナイトエンジェル』は本当に素晴らしい。人形アニメーションで世界の生成を表現するもの(「+」と「-」を共存させる例)として、カチャーノフ『ミトン』『ママ』と並んで例外的な作品。(『チェブラーシカ』シリーズは「+」しかないのであんまり面白くない。)

・この「+」「-」という考え方については、エイゼンシュテインの「ロダンとリルケ」という論文に多くを負っているのだが、残念ながら邦訳は出ていない。(いつか出ると思うけど。)エイゼンシュテインの著作にはアニメーションを作るうえで重要なことがたくさん書いているのだが、これまでの日本での紹介のされ方では残念ながらそのことは見えてきにくい。ノルシュテインを用いつつそこらへんをきちんと論じるのは、おそらく俺の使命だろう。

・それに関連して。どうしても気になってしまうのは、アニメーション作品に付けられた音楽。特に日本の学生作品に多いのだが、まったく空白のない(静寂のない)音楽をベタばりで使用しているものが多い。「+」の音楽。俗にエレクトロニカとよばれうるようなジャンルだったり、もしくはピアノを利用した作品に特に多い印象がある。これもまた息苦しい。そして大抵の場合、音楽が映像のリズムと合っていない。もしくは、映像が音楽と一緒にその息苦しい空間のなかに閉じこもっていく。当然ながら、映像自体にもリズムは内在されているわけで(それに気づいていない人は結構多い気がする)、音楽のリズムにきちんと従属させるか、映像のリズムを顕在化させるように音楽を付けるか、どちらかの道を意識的に選ぶ必要がある。

・つまり問題とすべきなのは、作品のなかにどういう要素が投入されるかについて考えるのではなく、作品のなかに投入された要素が観客のなかでどのような反応を起こすのかということ。クロックにて山村さんがロシアのメディアのインタビューに答えて、「ロシアのアニメーションの伝統は、観客の反応を考えていること」だと言っていた。その話は、ノルシュテインが言う「追体験」というタームに当然つながってくるし(『Foolish Girl』をノルシュテインが褒めたのもうなずける話だ)、そして彼の理論的師匠であるエイゼンシュテインの話にも、そしてエイゼンシュテインの映画を観て表現手段としてのフィルムを発見したマクラレンが言うあの有名な「コマの上ではなく、コマの間」という話にもつながってくる。
これは、メッセージを伝える、云々という話ではなく、きちんとしたアニメーションとして成立するかしないか、その根本的な次元に関わる話。アニメーションは本質的に没入と共創造(スクリーンと観客との)があって成立する。そもそも静止画を動かすためにはその二つが必要になる。仮にそうでない作品をアニメーションと認めるにせよ、つまらないアニメーションになる。(大部分の電子切り絵や現代美術作家のビデオ作品のなかにあるアニメーション技法。大雑把なくくりですみません。例外はたくさんあります。)

・珍しい素材(やり方)を用いることは構わないのだが、その素材(やり方)を用いていることが限界であったり制約であったり欠点を感じさせてしまうのはやはりまずいのだと思う。「この素材(やり方)でやってるから、しょうがないのかな」と納得はすれど、やはりもどかしく思ってしまう。(まさに『MUTO』に感じるものなのだが。)

・幼児虐待をひとつのモチーフとしたアニメーション作品について。この作品の作者は、「-」の重要性をよくわかっている。描かれない空間で起きることが、きちんと観客にも伝わることをわかっている。
それゆえにある一定の水準はきちんと超えているので、ここから先は、その作家の作家性への意見ということになる。(つまり対等な話し相手として。ブログだから一方的だけど。)
生身の身体に行われる暴力は、徹頭徹尾、画面の外の空間で起こる。それは、ラスト近辺における虐待が画面の中央で起きることと対をなし、後者の暴力性をいっそう高めることになる。この演出は見事だと思う。(観客の体はその暴力性をかなり直接的に受け止めることとなる。)だが、虐待の場面において、殴られる子ども自体の姿が映されないこと、そして、ラストに付けたしのようにして、子どもが成長して立派な大人になった姿が見せられること。このような救いの描写はいったい何のために行われているというのか。もしかして観客のため、観客の救いのためのものなのではないのか。そう考えた瞬間、幼児虐待というテーマはエンタテインメントのためにのみ、無責任に扱われているとしか考えられなくなり、倫理的に受け付けられなくなる。
先日、鈴木志保のトークを聞いた。彼女が、超大傑作『船を建てる』を描いていたころのこと。かわいいキャラクターたちがあまりに残酷な運命を迎える羽目になったとき、作家本人は「やめてー」と思いながらも、何かの力(本人はジョジョに倣って「スタンド」と呼んでいた)によって結局止められなかったという話をしていた。作品(やそのテーマ)が要求する本当のことは、やはり作者の都合の良いように歪められてはいけないのではないか。

長くなったので、この謎めいたメモは第二回に続きます。

        2008-12-08        12月中旬ごろのアニメーション関連イベント

2008年12月中旬のアニメーション関連イベントの告知です。

12月13日~29日
桜映画社特集~桜映画はしなやかである」@ポレポレ東中野
→ユニークな作品群を提供しつづける桜映画社の特集がありますが、「岡本忠成特集」、「川本喜八郎特集」、「杉井ギサブローと大塚康生」、「海外合作アニメーションと民俗学映画で生活設計を考える」といったプログラムでアニメーションが上映されます。14日(日)に行くと上記4プログラムをすべて総なめにできますが……

12月14日(日)
デジタルアニメーションの現在形(アニメーション理論の観点から)」@桑沢デザイン研究所1階ホール 
→僕が所属するアニメーション学会主催のシンポジウムがその14日にあるのですよね。僕は研究教育委員会の一員としてこちらのイベントに一枚噛んでますのでこちらに行きます。Animationsとして紹介するには少々異色に思えるかもしれませんが、アニメーションについて真剣に考えるためにはデジタル技術について看過することはできません。「現場」にいらっしゃる方々の生の声を聞ける非常に貴重な機会ですので、是非ご参加ください。「桜映画社特集」のアニメーション上映は他の日もありますしね。こっちは無料ですしね。詳細については上記リンクを辿ってみてください。

12月13日(土)
ドローイング日和」@KINEATTIC
→11月上旬に「みんなで育てるアニメーション」という非常に意欲の高いイベントを組織されましたAnimation Tapesさん主催のイベントがあります。女性作家によるグループ上映会のようです。名古屋パートはすでに終わってしまいました。告知が遅れてすみません。

一方そのころ神戸では……
12月13日、14日(土、日)
アニメーションの歴史相原信洋特集上映」@神戸映画資料館
→先月の連休に関西遠征に行ってきたのですが、その目的のひとつが相原信洋特集でした。
三回にわたって開催されたこのイベント、今回が最終回です。前回の上映に触発されて現在Animations用の批評文を執筆中です。なんとかこの上映の前までに間に合わせて、少しでも多くの人に足を運んでもらいたい……今回は特集上映の前のプログラムとして、トルンカのドキュメンタリー、オブライエンの『ロスト・ワールド』、そしてマッケイの『ルシタニア号の沈没』といった大物だらけの上映があります。なんと素晴らしい……関西圏の方々は行かないわけにいきません。

WALL・E』の公開もようやく始まりましたね。
12月20日からは、
お上品なアニメーションの名作を紹介する貴重な仕事をしているシネマ・アンジェリカにて『動物農場』、
アニメーションに関して寛容なユーロスペースのレイトにて『チェコ人形アニメーションの巨匠たち』(ポヤルの日本初公開開作品『リンゴのお姫様』とバルタの『ゴーレム』パイロット版も併せて上映)の上映が始まります。ポヤル大好き!

また、「BS冬休みアニメ特選」という特別プログラム内では、12月24日(金)10:21:50~10:49:40(秒刻み……)にBS2にて、ジャニーニ&ルザッティが手がけた作品群がオンエアされます。未見の方は絶対観てください。約束してください。絶対です。広島での特集上映はほんとうに素晴らしかったですよね。
オフィスHさんのブログによれば、フランスのスタジオ、フォリマージュ製作の『冬のレオン』という作品も12/23(木)9:30から放送されるらしいのですが、NHKのページにはみあたらないですね。アードマン・スタジオ製作のものもやるみたいですが。

いろいろありますね。他にもあるのかな。

土居

        2008-12-08        スペインの砂アニメーション

今朝、スペインのCesar Diazさんから、砂アニメーションで制作されたMusic Videoclipのお知らせが届きました。
いい仕事されているので、皆さんもよかったら見てあげて下さい。

http://www.dailymotion.com/video/x7flfg_no-corras-tanto-sand-animation_creation

山村

        2008-12-05        クリス・ロビンソンが選ぶ今年のベスト・ショート集

クリス・ロビンソンのブログがあるのはお伝えしてましたっけ?

http://animationpimp.animationblogspot.com/

最近はそれほど更新がないですが、たまに面白い記事が載ります。
今回のエントリでは、08年のベストが選定されています。
(矢印の先は土居のコメントです。)

ベスト1は
"I am so Proud of you" (Don Hertzfeldt)
→北米で大人気(らしい)のドン・ハーツフェルドの新作。
ネットで検索をかけてみると、短編アニメーション作家としては例外的なほどに若者カルチャー誌のインタビュー記事が多いです。
彼はこの作品を引っさげて(22分と長尺)、上映+トークの全米ツアー中。
上にリンクを貼った公式サイトで前作"Everything is OK"までのDVDは売ってます。
(恥ずかしながら未見だったので、早速注文しました。)

その他には……
"Chainsaw" (Dennis Tupicoff)
→今年のオタワ・グランプリですね。この作品も25分と長いです。観れるのはいつになることやら……

"Letter to Colleen" (Andy/Carolyn London)
stashの50号に収録されるみたいです。

"Drux Flux" (Theodore Ushev)
→もはやおなじみセオドア・ウシェフの新作。"Tower Bawher"に続く、芸術と政治の関係性の探求シリーズの第二作。哲学者ヘルベルト・マルクーゼが提唱した一次元的人間(高度技術社会によって操られる個)をフィーチャーしたもののようです。スチールをみるかぎり、えらく面白そうです。

"Skhizein" (Jeremy clapin)
→前回の広島で「バック・ボーン・テイル」がコンペインしていましたね。ローファイ感漂っていたあの作品と違い、今回はバリバリです。

"Seemannstreue" (Anna Kalis)
→これは不明ですね……

"Cattle Call" (Mike Maryniuk and Matt Rankin)
→ピクシレーションを用いた、牛の競りのドキュメンタリーだそうです。どういうことだ?

"Presto" (Doug Sweetland)
→ピクサーの短編です。広島でそういえば上映されていましたね。観てないですけど。『Wall・E』と併映とのことですので、すぐにみれますね。

"Muto" (Blu)
→最近話題の作品。グラフィティ(とは違うか)が動きだす力作です。リンクから飛べば全編視聴できます。カメラが動きまくるので(なぜその必要が?)体調悪い方は観ない方がいいです。外に対して開かれすぎて露悪的さえあるように思えるので個人的には好きにはなれません。身体のなかに悪いものが溜まっていく感じがします。もう一度言うけど、なんでこんなにカメラがぐらぐらしてるの?

"The Comic that Frenches the Mind" (Bruce Bickford)
→ああ、大好きなビックフォード……今回はドローイングみたいです。このDVDに入ってるみたいなんで注文しました。いっときますけど、描かれている内容に反して、ビックフォードの作品はまったく露悪的ではないですからね。先日知り合いに感想を求めたところ、「嘘がないよね」と言っていました。まったくその通り。これが素なんだからしょうがない。ビックフォードは観ていると逆に身体のなかの悪いものが消えていく感じがします。相原さんの作品と同じで、鑑賞体験が森林浴に近い。アニメーションの立派な可能性、ひとつの醍醐味です。

"KFJG No 5" (Alexei Alexiev)
→これも入ってるのか。意外な気がしました。本人はすごく良い方でした。

クリス氏も2009年には期待しているようです。
「2009年はクリス・ランドレス、ウェンディ・ティルビー&アマンダ・フォービス、プリート・パルン、その他大物の新作が期待できる興味深い年になるだろう。もちろん、全部クソってこともありえるけど。」

それにしても、観たことない作品が多いです。来年はアヌシーとかザグレブとかオタワあたりに行ってみたいなあ。


土居

        2008-12-03        ピクトアップにて広島アニメーションフェスティバル小特集

現在発売中の毎度おなじみピクトアップ55号にて、「広島国際アニメーションフェスティバル訪問記」という2ページの記事が掲載されています。
しかもそのうち1ページはAnimations@広島のイベントレポート、さらに僕のインタビュー(僕ですいません)で占められいます。相変わらずの素晴らしさです。
少々告知が遅くなってしまいましたが、全国の書店でまだまだ買えます。
どうぞ!

「ピクトアップ #55」[Amazon]

土居

        2008-12-01        またしてもノルシュテイン『外套』に関するちょっとした話

著名な記号学者ユーリー・ロトマンと映画学者ユーリー・ツィヴィアンの共著『スクリーンとの対話』から、ノルシュテインの『外套』について触れた箇所を紹介します。

「この作品で観客たちを驚かせるものとして、アカーキィ・アカーキエヴィッチが持つ書記用のなんてことはない紙から放たれる、乳白色で不透明な、謎めいた輝きを挙げることができる。1987年、タルトゥで開かれた映画言語についてのセミナーで、ユーリー・ノルシュテインは質問を受けた。“あの輝きはどういう意味をもつのですか? ゴーゴリの原作に、それに相当するものはありますか?”それに対する答えは、予期せぬものだった。ノルシュテインは、黒澤明の『七人の侍』(1954)にある、自分にとって驚きだったシーンについて語ったのだ。激しい戦いが行われている。晩秋、土砂降りの雨のなかのこと。侍たちは村の周辺をテリトリーとする山賊たちと戦い、彼らは打ち倒されてぬかるみに沈んでいく。主人公のひとりが死ぬ。黒澤がカメラを死にゆく侍のむきだしの足に向けると、観客が目にすることとなるのは雨が次第に泥を洗い流していく様子であり、侍の足はきれいでまっしろに、あたかも大理石のようになっていくのだ。 "わたしにとって、黒澤のこのシーンは、最も印象的な死の表現です。かつて映画は、これほどの高みにまで上っていたのです。" (……)ノルシュテインはここで、これまでの『外套』の映画化が則っていたロシア文学の伝統を離れ、造形的イメージを豊かなものにするために日本映画の伝統へと遡っていったのだ。」(Юрий Лотман и Юрий Цивьян, "Диалог с экраном", p.193)

土居

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