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        2007-11-21        ブラジルで

どうもこんばんは、和田です。プチ報告です。

この度作品「そういう眼鏡」がブラジルはリオ・デ・ジャネイロの国際短編映画祭で賞を受賞しました。Best Film of the Young Juryという賞です。ポイントは"young"です。この映画祭でのこの賞の位置づけとか、他の映画祭でもこういう賞があるのかとかはあんまりわかりませんが、ブラジルのyoungなjury(審査員)がbestfilmに選んでくれたのは嬉しいです。励みになります。しかし一体どれくらいヤングなのでしょう。。。

http://www.curtacinema.com.br/novo/pagina.php?id=28&lang=2

和田
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        2007-11-18        『カフカ 田舎医者』公開を楽しむためのちょっとしたガイド

ついに『カフカ 田舎医者』公開です

山村浩二の最新作『カフカ 田舎医者』、ついに公開が始まりました。
場所はシネカノン有楽町2丁目。できたばかりのきれいな劇場です。

今回の上映は、『カフカ 田舎医者』はもちろんのこと、『こどもの形而上学』『校長先生とクジラ』といった今年できた新作も、そして、『頭山』『年をとった鰐』といった公開済の二本も同時上映されます。この組み合わせは、山村浩二という作家の作家性を存分にわからせてくれるものです。

そのひとつの見方については、さりげないかたちでパンフレットに挿入して書かせていただいてます。(そうです、僕は「揺らめき、震える世界」というタイトルで『カフカ 田舎医者』のレビューを書かせていただいたのです。劇場にいった際には、是非チェックしてみてください。)

ここにもちょっと書いておきます。

『カフカ 田舎医者』では輪郭線の震えが特徴的ですが、その表現方法は『年をとった鰐』で準備されたものであったようにも思えます。あまり指摘されていないような気がしますが、『鰐』での震えの表現には特筆すべきものがありますよね。タコや鰐のリューマチの動きに注目してみてください。
『頭山』のラストの展開は、そのまま『カフカ 田舎医者』を準備するようなものだったように思います。鏡をみることから始まり、水面を見ることで終わるというその構成にまず注目してみてください。そして、高層ビル群の不思議な生え方に注目してみてください。そしてラストシーンに震えてください。背後に映る星空をみておそらくあなたが味わうであろう途方もない感覚は、「本当の道は(……)歩かせるためというよりむしろ、つまずかせる為のものの様に見える」という『カフカ 田舎医者』の冒頭に引かれたカフカのアフォリズムと響きあっているように思えます。

他二作品についても少し。
『校長先生とクジラ』は、山村浩二には珍しい「分業」作品です。他作品との質感の違いを感じてみてください。
『こどもの形而上学』は、できたてほやほやの新作です。短期間で楽しんで制作したものだということですが、「それでこのクオリティかよ!」と作家のみなさんは震えてください。限定された条件の中で、よくもここまでアイディアが生まれるものだなと。最近の一コマ漫画の審査・制作の成果が活かされているようにも思われますし、山村浩二の作家性はこの作品からもよくわかります。

『カフカ 田舎医者』の見所については、パンフレットに書かせたいただいた拙文をみていただければ幸いです。また、次回のAnimations会合では、『カフカ 田舎医者』についての座談会も行われる予定です。それも良いガイドになると思われます。Animationsならではの切り込み方に御期待ください。
では、まずは、今週中にでも劇場に向かっていただき、たくさん感じたり考えたりしていただき、それをふまえた上で、おそらく今月中にアップされるであろう座談会を読んでいただけるといいと思います。そこで「なるほど」と思ってもらった上で、もう一度劇場に行っていただくとさらにいいと思います。

『カフカ 田舎医者』公式サイト

Animations座談会は、もうひとつ、人形アニメーションについても行われる予定です。
そちらもどうぞお楽しみに。

土居

        2007-11-05        愛知県立芸術大学芸術祭での上映とトークのこと

11月3日は文化の日ということで土曜日と祝日が重なりもったいない日だったのですが、愛知県芸の芸術祭に山村浩二と、私和田淳がお呼ばれして、上映と対談をしてきました。

結果から言うと、自分自身うまくしゃべれたとは決して言えない感じになり、対談と銘打ってはいるものの、ほとんど山村さんのお話を真横でうんうんって聞いてる人になっていました。自分の思っていることをうまく言葉にして公衆の面前でしゃべることの難しさと、アニメーションに関わらずいろんなものに対する知識の無さに自分でも苦笑いだったということを前置きとしまして、11月3日の報告を始めます。

芸祭実行委員の方の呼び込みで100人以上収容できるであろう講義室に入った僕たちの目に飛び込んできたのは、前の方に十数名座っていて、後ろにパラパラ何名かいるくらいだったらどうしようという予想を裏切り、その部屋の8割かそれ以上はいるであろうお客さんでした。正直愛知県芸は繁華街から少し離れた場所なので、お客さんが来てくれるか不安だったのですが、愛知が生んだ稀代の作家山村浩二と、実行委員の熱意ある呼び込みのおかげで、たくさん入っていただけたようです。学生さんだけでなく、子どもも大人もいました。ただその分一気にプレッシャーが増したことは言うまでもありませんが。

挨拶のあと、それぞれの作品を3つずつ上映。最初は僕から『係』、『鼻の日』、『そういう眼鏡』。いきなりの上映、しかもほとんど僕の作品を見たことがない人が多いであろう状況だったからだと頑に信じて、『係』の反応はいまひとつなし。しかし『鼻の日』『そういう眼鏡』は笑い声も聞こえてきて、場があったまってきたことにホッとしました。上映の状況やお客さんによって作品は変わらないのに、場の空気がいかようにも変わってしまうのを経験しているので、そういう意味でもいい空気でした。そして山村さんの『頭山』、『年をとった鰐』、『こどもの形而上学』を上映。『こどもの~』は公には東京国際映画祭に続いて2回目のお披露目。この時期に見られて嬉しかったし、お得感がある上映でした。僕自身初めて見て、底力がある故の自由さと発想の豊かさ、そして何より作っていて楽しそうな姿が作品から見てとれる良い作品だと思いました。まだ見られてない方はそろそろ公開の『カフカ 田舎医者』で併映されるので、そちらもご覧ください。

そして休憩をはさんだ後緊張のトークだったのですが、休憩をはさんだからか、お客さんが若干減っていました。まぁいろいろ事情があるのでしょう。そしてトークスタート。個人的な制作のきっかけや制作過程、大事にしてることをそれぞれ話したり、日本のアニメーションの現状と展望やAnimationsの結成からこれからのことまで山村さんがほんとにうまく語ってくれたりと、お客さんがどの程度アニメーションについて、見たり、知ったりしているのかはわかりませんでしたが、今アニメーションというものが抱える問題や僕たちがそれにどう関わって、どういうものを作っていきたいかは伝わる内容だったように思います。やはりそういうあたりを考えている方がいたみたいで、最後の質疑応答でも現状を打開することやAnimationsの活動について質問される方もいて、それにはビシッと山村さんが答えてくれ、何故どの作品にもサラリーマンが出てくるのかという質問には僕がビシッと答えました。

今回のイベントで山村さんが「タフな作り手があまりいなくなった」と言われていたことが、まさに自分に当てはまっていて、ズシンと心に重く響いています。タフとは制作においてもそうですが、出来たものをフィルムにしたり、音の環境にこだわったり、質のいいものにして、それをいかに見せていくか。また、それにかかるお金の工面も含めて自分の作った作品を世に出していく、そしてそれを作り続けていくタフさのことで、僕はどちらかといわれると、明らかにノンタフ側になってしまっているので、バチンッとお尻をたたかれた思いでした。これを聞いて同じように耳が痛くなった方も多いのではないでしょうか。

最後に、愛知県芸は特にアニメーションを作っている人がいっぱいいるわけでもないなかで、このように芸術祭でアニメーションの上映を組み、ゲストを呼ぶという、一見接点が見当たらないように思えるイベントですが、山村さんや僕の作品をみんなに見てもらいたい、知ってもらいたいという情熱で、きちんとイベントという形までつくりあげ、実際観客の入りもよく、盛況といえるくらいまでもっていった実行委員の大林さんをはじめ、協力してくださったみなさんには頭が下がる思いです。いろいろ苦労もされたことだろうと思います。この場を借りてお礼申し上げます。本当にお世話になりました。

和田

        2007-11-01        日加ショートアニメーション・エクスチェンジ Program2@tiffと総評 (10/26)

"The Stone of Folly"(Jesse Rosensweet)は、Program1の"Paradise"の作家の初監督作品。精神病院を舞台とした、ヒエロムニス・ボッシュの"愚者の石"からインスパイヤされた作品。"Paradise"のスタイリッシュな感じとは異なり、見た目は「普通の」人形アニメーション。愚者の頭の中には石が入っていて、それが頭のおかしな人の原因なので取ってあげないといけない。そして、取った石はゴリゴリと粉にして、赤ん坊たちに飲ませてあげないといけない。将来またうちの病院に治療に来てくれますように!……そういうお話。とにかくよくできている作品。"Paradise"と比べれば、作家性は弱いけれども、これだけよくできていれば言うことないのではないでしょうか。よくできているなあ。"Flutter"(Howie Shia)は2D作品。スチールを見る限りはジョナス・オデルの"リヴォルヴァー"っぽくて期待をしていたのだけれども、極めてアジア的な描線が僕の期待とは違う方向へと向けられていってしまった。ちょっと調べてみると、日本のアニメから影響を受けているとのこと。なるほど。顔をどういう風に描くかというのは、なぜかその作家の方向性を雄弁に語ってくれる。当たり前か。ある程度の水準にある作品なので、好きな人は好きなのではないでしょうか。こういう系統にしては、珍しく音のセンスがそれほど悪くない。東京国際アニメフェアのグランプリ。"Vissi d'arte: An Opera in 3D"(John Mark Seck)は……まあいいや。タイトル("3Dオペラ:歌に生き")で大体どんな作品かわかるでしょ。プッチーニのオペラ「トスカ」に着想を得たそうです。決まり文句の集積のような作品。"Flutter"のような作品が評価される場というのはわかるのだけど、こういう作品はどういうところで評価されるのでしょうか。想像がつかない。"Drift"(Veronica Verkley)は、「ザクセン州(2)」のエントリで書いたので省略。……と思ったら違う作品でした。あまり記憶に残っていないのですが、「アニメーションはその人のセンスが画面の角から角にまで出るなあ」とメモには残っています。字幕やクレジットでもその作品の良し悪しはだいたいわかりますよね。そういうデザインのセンスだけ良い作品もありますけど。"Montrose Avenue"(Marek Colek, Pat Shewchuck)は、2Dのデジタルなアニメーション。動き出した瞬間にどういう種類のアニメーションかわかります。がっかりです。特にユーモアも何もなく、ただ淡々と日常を描いていくという珍しい(褒め言葉ではないです)作品。"The Pit and the Pendulum"(Marc Lougee)はパペット・アニメーション。ポーの「落とし穴と振り子」が原作。といえば、当然思い出されるのはシュヴァンクマイエルの同名の作品。それと比べると、全編に漂うダイジェスト感が異常。セットでご覧ください。"レイ・ハリーハウゼン・プレゼンツ"というプロジェクトの最初の作品らしいです。そういえば、TIFFのハリーハウゼン特集にもいきました。カラー版は世界初上映とのことで、上映に入るために荷物検査と金属探知が必要でしたよ。撮影されたりストリーミングされたりしないようにという配慮らしいですが……と思わず思考を散歩させたくなりました。
日本側のプログラムは"Hai and Low"(森下征治)から。静止画でみると期待させるのですが……デザイン性が高い、ということでいいでしょうか。"nakedyouth"(宍戸幸次郎)は、今年の学生CGコンテストの最優秀賞受賞の作品なのでご覧になったことがある方も多いのではないでしょうか。メディア芸術祭で観たときよりも画質が粗く、背景が出来のよくない3DCGみたいなつるつる感を持っていたのが少し残念なところ。作家さん自身がやりたいことはきちんとできていると思うので、僕自身の評価は必ずしも悪いものではないのですが、やはり本質的な方向性として相容れないなあ、という気持ちがあります。雰囲気づくりに貢献している雨も湯気も、「モノ」として描かれているところが気になってしまいます。僕自身としては、そういった自然のエレメントは境界線をもたないものだと思うので。3次元空間は創出されているものの、登場人物、背景、湯気などがそれぞれ分離して存在していて、そういった「モノ」たちがいる空間以外には何もないように思えます。光線も、モノに映る反映や影(モノが作る光のネガ)でしか表現されていないような気がします。空間を突き抜けている感じがありません。僕はアニメーションから現実を濃密に感じたい人間であり、なにもない空間になにかの存在を感じたい人間なので、そういうところがちょっと居心地悪いのです。しかしながら、骨のある作品であることは確か。是非みなさんの感想もきいてみたいところです。"さよならばいばい、またあした。さよんらばいばい、げんきでね。"(藤田純平)は、水彩画のアニメーション。とても「気持ちいい」作品です。とても失礼な言い方かもしれませんが、「商品」として秀逸だなあ、と思います。上映中は「この作家さんは芸大に違いない」と勝手な思い込みをしていたのですが(ほんとは多摩美)、たぶんそれがその理由です。という流れで"コタツネコ"(青木純)。技術レベルの高い、細かいネタをたくさん散りばめた一発ギャグ人形アニメーション。商品として秀逸だなあ、というのはこの作家さんの場合間違いなく褒め言葉になるでしょう。"かなしい朝ごはん"(一瀬皓コ)は、"ウシニチ"がICAFで僕に好評だった作家の作品。見せ方のエコノミー。最小限で最大限の効果。散りばめられたいくつかの小道具が連関しあっていく。基本的にはカメラは動かないままで、小さな別画面や鏡(見事!)を使ってその制約が補われていく。"ウシニチ"のラスト近辺でも目立っていたダイナミックで(良い意味で)暴力的なカメラワークはこの作品でも力を発揮しています。……が、画質が粗く、ドットが見えている。上映の問題なのか、そもそも大画面で上映するように作っていないのか。フィルムでは起こりようのないこの状況は、非常に問題含みではないでしょうか。画面に粗いドットが出てしまうと、もはやその画面に映っていて観客が認識できるもの以外には、その作品が何も持っていないことが露呈されてしまいます。このことは"nakedyouth"のところでも書いたけれど、デジタルの限界だと思います。作られたもの以外のものが何もないという。ドットの背後には、真の意味での無が広がっている。とても恐ろしい。アニメーションの話とは直接的には関係しないですが、mp3音質でばかり音楽を聴いていると耳がバカになるのと同じことが起こるのではないでしょうか。「人間には聴こえないから」という理由で勝手にカットされているわけでしょう。聴くものを勝手に削られて選ばれているわけでしょう。ああ、恐ろしい。"FRANK'S FEAST"(荒井知恵)は、ハイクオリティなドローイング作品。ハイレベルなアニメートだけでなく、音のセンスも抜群ですが、さすがにちょっと音が大きくなりすぎかも……いやになっちゃうくらいに音が大きくなる必然性はあるのですけれどもね。良い作品です。tatamistudioというスタジオ名が出たその次の作品は、畳的な描線を持つ"鼻の日"(和田淳)。なんだか技術レベルの異様に高い作品が続くこのプログラムのなかで唯一と言っていいほどに、ローファイさを誇っています。しかしそれだけに、人間の手の力というものを感じさせてくれます。それはまるで職人の手のようなゴツゴツとした感触。"La Magistral"ほどに多いわけではないが、それでも多めに登場する人間たちが動くととても気持ちいい。子宮的空間の中をぬめぬめ動くその動きは、和田作品の特徴の平面性を裏切っていきなり三次元を感じさせる。このぬるぬるぬめぬめ感溢れる動きだけが異様にハイクオリティー。原始から現代に到るまで人間や動物に共通しつづけてきた感覚をきちんと保った作品。紅潮する頬、ほんわかピンク。"蒲公英の姉"(坂元友介)については、ICAFの時に書いたので省略します。

今回のイベント、カナダ側の作品は、NFBとBravo!Factという民間財団の共同作品から選ばれたわけで、日本側のセレクションとはやはり傾向が違いました。前回のエントリでも書きましたが、カナダ側にはある程度の統一感があり、日本側は実に多彩でした。良い意味でも悪い意味でも。セレクションのメンバーの人選からして、当然の結果なのですが。
上映中に僕が考えていたのは、「なぜ山村浩二推薦作品は他の推薦人とかぶるのか?」ということでした。
ものすごく大雑把な区分をしますと、現在のところ、アニメーションに関しては(商業)アニメ系、アート・アニメーション系、メディア・アート系、ファンタジー系、実験映画/現代美術系というような区分があると思います。
(この区分は、商業アニメ系は東京国際アニメフェスなど、メディア・アート系はメディア芸術祭やアルス・エレクトロニカなど、ファンタジー系は飛騨メルヘン映画祭など、実験映画・現代美術系はイメージフォーラム・フェスティバルなどが好んで取り上げるような作品を想定しています。アート・アニメーション系は一番得体が知れないですね。それはたぶん実態がないからです。)
で、どうもAnimations的に面白いと思えるのは、これらの区分から漏れてしまう作品であり、もしくはこれらの区分を超えてあちこちに顔を出しそうな作品であるように思います。例えば、大山慶であれば、メディア系や実験映画/現代美術系で評価されていますが、逆にいえば、どのフェスティバルでもしっくりこない。作品全体を包括的に評価してもらえる場がないように感じます。
で、Animationsの最初の座談会の内容を思い出していただきたいのです。(勝手に設定しといてなんですが)これらの区分を超えたところにどうも、いかなる枕詞もつかない「アニメーション」としか名付けようのない作品群がある予感がするわけです。だからグループ名がAnimationsなわけです。なぜ山村浩二のセレクションが他の推薦人とかぶるのか。それは、「アニメーション」という領域を見据えているから、なのかもしれません。そんなことを考えていました。雑多な日本の状況というのは、逆に考えれば、特にヨーロッパの学生作品に感じてしまうようなモノトーンな感じよりも健康的とも考えられるわけです。(外のお金がからんでいないことの証明にもなりますが。)ここから未知の未来が生まれてくる可能性に溢れているわけです。(何も生まれてこない可能性であるともいえますが。)日本の現状の雑多さ、それを確認できただけでもこのイベントに参加したことには意義がありました。来年二月にもありますので、今回行けなかった方々は是非どうぞ。日本の現状がよくわかります。

(次回のエントリは、この前日に開催された文化庁映画週間シンポジウムのレポートです。ある意味でこのエントリの続きになるような内容です。)

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Cjax 予告編

長くなりすぎました。それだけ文字を費やす甲斐のあるイベントだったということで。

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NFBプロデューサーのマイケル・フクシマ氏(左)と来場した作家達 写真提供:一瀬皓コ

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