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アニメーションズ、創作と評論


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        2007-10-31        愛知県立芸術大学 芸術祭

愛知県立芸術大学の芸術祭にて山村浩二、和田淳による対談&作品上映会が予定されています。なかなかめずらしい組み合わせのイベントなので、お近くの方は是非足をお運びください。

山村浩二×和田淳
日時:11月3日(土)13:00~
場所:愛知県立芸術大学 新講義棟
詳細はこちら


最近、toondraのページで過去5年間にアヌシーで公式上映された1000以上もの作品のダイジェストが見られるようになりました。もちろん山村浩二の「頭山」「年をとった鰐」「田舎医者」も入っています。抜粋とはいえかなりの数なので、全部見るにはかなり時間がかかります。僕もまだ見きれていません。日本未公開のものがほとんどなので、近年の短編アニメーションの様子をうかがうにはいい機会かなと思います。
http://www.toondra.com/animaquid/

大山
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        2007-10-29        日加ショートアニメーション・エクスチェンジ Program1@tiff (10/26)

作品の印象の列挙だけになっています。総評などはProgram2についてのエントリのときにまとめて。

"I Met the Walrus"(Josh Raskin)はちょうど同じプログラムにあった"おはなしの花"と同じタイプの作品。14歳の少年が40年前にジョン・レノンに突撃インタビューした内容を映像化。少年はマネキンのようにカタカタとしゃべるだけだがジョンの語る言葉にはもとから花が咲いていて、それを逐語的にアニメーションにしていったもの。もちろん、どういう映像を選ぶかは作家に任されているわけで、逐語的に感じるということはチョイスが間違っていないということ。インタビュアーは14歳らしくジョージ・ハリスンの名前がすぐに思い出せなかったり、ジョージが好きじゃないと言ってみたり微笑ましい。ビートルズ・ファンにはぜひおすすめしたい作品。最後の花の揺らぎはマッケイの『恐竜ガーティ』を思い出させもする。アニミズム的でもあり東洋的でもあり、狙ったのか狙ってないのかわからないがとても良いシーンとなっている。ホームページで予告編をみれます。(上映でみたやつより高画質な気がする……。)"The Interior Monologue of the Gill the Goldfish"(Jim Goodall)は3DCG+実写。金魚が悪態を尽きまくるお話。こういう音楽のセンス。こういうジョークのセンス。かわいいものがやたらと汚い言葉を吐くというギャップやかわいいものが肉欲にまみれているというギャップで笑わせようとするセンス。べったりとアメリカの同時代の空気が染み付いている。たぶんこういうのはユーモアのセンスがあるとは言わないと思う。なんとなくで笑わせようとする作品。最後、無理矢理すぎないか。"Aboriginality"(Dominique Keller)も何とも言いがたい作品。プロフィールをみたところ、監督はドキュメンタリーの実写出身のようだけれども。アニメーションは初めてかしらね。よさこいダンスを思い出した。お金の援助を受けやすそうな作品であることは確かだが、こういった作品が作品として優れている例はほとんどない。作品がうまくいっていないと、そこに込められたメッセージ性も陳腐なものに思えてしまう。結局誰にとっても得にならないのでは。"The Three Wishes"(Sheldon Cohen)はベテラン作家の作品。「ほんとにこれでいいの?」という疑念はおそらく見た人ほとんどの頭に沸き起こるはず。"New Neighbors"(Anita McGee)は新しく越してきた隣人のセックスの漏れる声にテンションが高くなる一人暮らしのおばさんの心情を、モノや印刷文字のアニメーションを実写に混ぜつつ表現する作品。下品すぎて笑ってしまった。"Paradise"(Jesse Rosensweet)はこのプログラムのカナダ側で一番秀逸な作品。決められたレール(文字通りのレール)を行ったり来たりすることしかできないブリキ人形の夫婦の平凡な日常は、実は初めからかみ合っていなかったというお話。その証拠に、妻がいなくなったとしても夫は同じルートを進みつづける。キスする先に相手はいない。たとえそこから逸脱してみようとしても、それも実は規定のルートであったりする。運命に逆らうことはできないのか。『トゥルーマン・ショー』とか『マトリックス』とかの設定が好きな人はどうぞ、とはあまり言いたくないが、そういう想像力の作品です。ブリキのおもちゃが好きな人もどうぞ。僕は好きです。人形アニメーションはその人形が愛すべきものであるならば、その時点でもうある程度成功しているのだと思う。(昔フジテレビの深夜にやっていた「よいこっち」の"たまご刑事"を一瞬思い出した。)

"走れ!"(青木純)。短篇アニメーションは規模の大きい時間をダイジェストで一気に駆け抜けることができる。"around"(加藤隆)。短篇アニメーションは日常をきれいに描き出すことができる。加藤隆は、"The Clockwork City"には納得がいかないが、この作品には納得がいく。"おはなしの花"(久保亜美香、井上精太)はICAFの際に書いたので省略。大きなスクリーンで見ると、丁寧さがよくわかる。"ゆきどけ"(大山慶)は、このサイズで観るのは初めて。一作目から自分の作品テーマが本当にしっかりとしている。各種演出も根拠があって迷いがない。改めて良さを実感。ただ、台詞がモロにラテン系の言葉の響きなのが気になってしまった。"診察室"ではきちんと改良されているけれども。"おはなしの花"のあとにこれかあ、と思わず笑ってしまったことは隠さないでおきます。"La Magistral"(山川晃)は、デジタル系のフェスなどで評価されるタイプの作品。次のプログラムの"鼻の日"(和田淳)とちょっとタイプが近かったりもするのだが、それだけにデジタルとアナログの間の深い溝いがはっきりとわかる。僕はアナログの力を信じつづける人間なので、ちょっと受けつけない。上野顕太郎の「5万節」とかエイゼンシテインの『十月』の群衆とかそういうもの方に圧倒されてしまう人間なので……つまりは過剰さに。いくらたくさんのものが動いていようとも、コピペ的作業が可能なデジタル技術でつくられてれば、それらは単純な秩序しか生み出すことができない。過剰ではないと思うのです。"或る旅人の日記「赤い実」"(加藤久仁生)は、僕のような立場の人間があれこれ言えるタイプの作品ではないです。短篇アニメーションの多ジャンル性というのはもちろん長所なのだけれども、評価を難しくしてしまったり、誤解を招いてしまったりする側面もある。"おはなしの花"以降はほんとにいろんなタイプの作品がやってくるので、頭を切り替えるのがタイヘン! "鬼"(細川晋)は実はフルで観るのは初めてのこと。映像部分のクオリティの高さは誰もが認めるところだろう。2Dとの組み合わせも素晴らしい。ただ、音の部分はこれでいいのだろうか。棒読みナレーションが作品内の時代と完全に乖離してしまっている印象。台詞でここまで説明的しすぎなくてもきちんと成立したのではないか。

Program2についてはまた後日。

土居

        2007-10-25        べビスマ

おはようございます。大山です。
みなさん、「べビスマ」という番組をご存知でしょうか。
「SMAP×SMAP」の番宣番組で、日曜深夜10分間の短い番組です。
この番組では毎週、映像クリエイターを紹介し、15秒のブリッジを制作させているのですが、次回のクリエイターとして僕を選んでいただきました。
つい先日、家を取材に来たのですが、もう、びっくりするくらいしゃべれなかったです。洗っていない食器が散らかっている流しも映ってしまったっぽいし、オンエアが怖すぎます。
そして現在、必死で制作中。終わるのか・・・。
ブリッジは翌日の「SMAP×SMAP」の中でも流れるそうです。

「べビスマ」
フジテレビ10月28日(日)深夜24時15分~
「SMAP×SMAP」
フジテレビ10月29日(月)22時~

大山

        2007-10-19        Madame Tutli-Putli

オタワで見た、Madame Tutli-PutliのDVDを夕べ見直して、いろいろと考えてしまった。
予告編が公式サイトで見れるので、ちょと分かると思いますが、>公式サイト
オタワで本人に聞いた時は、実写を使っていないと言うのですが、明らかに、目の部分は実写をはめ込んでいるのでしょう。
例えば、Animationsの大山君も実写の目や皮膚をはめ込んで作品を作っているし、ノルシュテンもよく実写を映像に組み込んでいるが、大山君やノルシュテインの場合となにか決定的な違和感があるのだが、それを明確な言葉にしきれない。
動きに関しても、いくつかのカットでは、実写のタイミングをベースにしていると思われる。(メーキングの映像を見るとコマ撮りで動きを作っているのは確かですが、タイミングをどうしたのかは、分からない。川本喜八郎さんなど伝統的な人形アニメーションでもセリフを先に撮ってそのタイミングにあわせて人形を動かす事は、よくあることで、ではこれもロトスコーピングの変形と言ってもいいのだろか?)
ペトロフの評論でもそのあたりの問題点がすこしでてきたが、アニメーション表現を純粋に追求いている物にとって、タイミングを創造しないで、実写をなぞる、モーションキャプチャーや、ロトスコーピングはちょっと「ズル」に感じて、面白くない。でも...

Madame Tutli-Putliの場合、特撮に近いのかもしれない。でもキング・コングやハリーハウゼンの例を出すまでもなく、アニメーションと特撮の違いも特に人形アニメーションの場合、曖昧で、どんな技術を使ったからといって、「ズルい」とは言われないだろう。
僕は、イメージを表現する為にどんな手を使ってもいいとは、考えているのだが、もうひとつこの作品に関して明確な言葉での評論が出来ない...
まあ、まだこの作品を見た人はいないと思いますが、アニメーションに実写を取り入れる事を皆さんはどう思いますか?

山村

        2007-10-17        ピクトアップ最新号&『死者の書』DVD

10/18発売のピクトアップ最新号に山村浩二インタビューが掲載されています。
さすがにお付き合いが長いだけあって、ぶっちゃけ気味の良い雰囲気のインタビュー記事になっています。
『カフカ 田舎医者』がもちろんメインですが、なんとAnimationsについても結構なスペースを割いてくれています。
嬉しい!!ありがとうピクトアップさん!(でも僕の名前は信彰ではなくて伸彰です。)
記事は新垣結衣のかわいい写真の隣に掲載されていて、席替えしたばかりのようなドキドキ感です。なんだか嬉しい気分になれます。

ピクトアップ2007年12月号[Amazon]

そのピクトアップにもミニ・レビューが載っていましたが、川本喜八郎の最新作『死者の書』のDVDが10/24に発売になります。こちらもどうぞチェックしてみてください。

死者の書[Amazon]

土居

        2007-10-16        パニック・イン・ザ・ビレッジのDVD&openArtのpodcast

10/17(水)にバカバカしいと言いようがないパペットアニメーションシリーズ「パニック・イン・ザ・ヴィレッジ」の完全版DVDが発売されるようです。
(上記サイトで一話視聴できます。)

パニック・イン・ザ・ヴィレッジ (1)[Amazon]
パニック・イン・ザ・ヴィレッジ (2)[Amazon]
パニック・イン・ザ・ヴィレッジ (3)[Amazon]
パニック・イン・ザ・ヴィレッジ DVD-BOX[Amazon]

ついでに。
openArtのポッドキャストです。
openArt short film cast
最新号では、『パニック・イン・ザ・ヴィレッジ』のステファン・オビエ&ヴァンサン・パタールと山村浩二との対談の様子がアップされています。
バックナンバーをちょっと見渡してみても、ジョルジュ・シュヴィッツゲーベル、ポール・ブッシュ、ラン・レイク、メビウス、レジーナ・ペソアなどおなじみの作家たちのインタビューをみることができます。
こちらもどうぞチェックしてみてください。

土居

        2007-10-14        東京国際映画祭関連の告知

来週土曜日から始まります東京国際映画祭では、Animations関連の上映がいくつかあります。

10/20(土)12:00-
「山村浩二『カフカ 田舎医者』ほか4作品」
オタワでのグランプリの記憶も新しい『カフカ 田舎医者』、遂に日本上陸です。
先日完成したばかりの『こどもの形而上学』、『頭山』、『年をとった鰐』とあわせての上映となります。
上映後トークあり。
(現在のところチケットは売り切れのようですが、キャンセル分がたまに出るときがあるので、午前中、こまめにぴあのサイトをチェックしてみるといいと思われます。)
なお、このプログラムは来月の公開と同じものですので、行けない方もご安心を。

10/25(木)13:30-
第4回文化庁映画週間  世界映画人会議 II シンポジウム
「世界の若手アニメーターの現状~カナダ、ドイツ、フランス、そして日本~」
副題に<日本の若手が、なぜアカデミー賞にノミネートされないか!?その原因を探る>とあります。各国のプロデューサーや作家の方々が集まり、世界の短篇アニメーションの現状を紹介します。

10/26(金)17:20-, 20:00-
「Cjax―日加ショートアニメーション・エクスチェンジ」
日本とカナダの共同企画です。両国の若手アニメーション作家の注目作品が一堂に介します。Animationsメンバーの作品も、大山慶『ゆきどけ』がProgram1、和田淳『鼻の日』荒井知恵『FRANK'S FEAST』がProgram2で上映されます。

先日の「ザクセン州」の上映会は良い催しなのに人が少なく切ない思いをしました。東京国際は宣伝もバッチリだし大丈夫だと思いたいです。短篇アニメーションに愛の手を!

土居

        2007-10-09        Animations座談会4をアップしました。

「Animations座談会4 ペトロフの理想」をアップしました。Animationsホームページを是非ご覧ください。
全体的に批判的なトーンの強いものになってしまいましたが、単に感情的に切り捨てているのではないことはわかっていただけると思います。
ファンの方には少し腹立たしく思える箇所もあるかと思われますが、
このようなふうな見方もある、ということを頭の片隅に置いてもらえると嬉しいです。

今回の座談会から、「ひとこと後記」のコーナーを設けました。
随時更新していきますので、そちらもどうぞお楽しみください。

また、近日中に、criticismのコーナーに、土居伸彰によるペトロフの批評をアップします。
基本的には座談会の延長線上にある内容となっています。
ラーキン追悼文に引き続き、アニメーションにとって一つの本質であると僕が考えることを書いています。
そちらもどうぞお楽しみに。

土居

        2007-10-08        「ナッチョとポム」と湯崎夫沙子

naccio

 良いアニメーションはDVD買ったりレアな上映会行かないとみれないと思ってませんか。毎週みれるんですよ。地上波で。NHK教育のプチプチアニメで毎週木曜にやっている湯崎夫沙子の「ナッチョとポム」は要チェックです。
 湯崎さんはイタリア在住の日本人作家です。去年帰国なさった際に開催された講演会に行ったのですが、こんなエネルギッシュな人みたことない、というほどの奔放ぶりを発揮していました。
 粘土のメタモルフォーゼを特徴とする作風ですが、なぜそのようなことをするかと言えば、「私たち自身が変化しつづけているから」とのこと。「だってこの瞬間にも髪の毛が何万本も落ちているわけでしょ。みんな変形しているんですから。そのことを表現したい。だからあらゆる止まった形のものに生命を与えるものとしてアニメーションをつくっています。」(ここのインタビューから。)そうです、あまりに基本的すぎて忘れてしまっていること、みんな常に変化しつづけていることを作品にしているのです。生命の力です。でも何万本も一瞬で髪の毛落ちませんけどね。湯崎さんなら常に何万本も生え変わっている可能性ありますけど。
 基本的には注文仕事で制作をしている人ですが、本人曰く、仕事の形態はどうでもいいそうです。どんな形式だろうと、それにあわせて自分のやりたいことはできるとおっしゃっていました。たくましい……物語も形式上かぶせているだけだとか。生命の力をとにかく過剰に放出することがたぶん重要なのでしょうね。言葉ではなく形や色や動きで伝えることを主眼におきながら。なんだかライアン・ラーキンみたいだ
 動きをつくりだすとは「あるものにimpressionを与えること」だという面白い言い方もしていました。メタモルフォーゼのアニメーションは、対象が何であるかはあまり関係なく、何と何とのあいだを動いていく質が大事です。印象が大事です。WWFの仕事をしたという湯崎さんは、「あれ、なんだっけ、あの白くて黒くて動物の……」と言っていました。「パンダ」という名前が抜けてしまっていたみたいです。色の印象だけが。「何」は関係なくて、印象の方が重要なのですね。そもそも僕らもはじめから名称でおぼえるわけじゃないですしね。大人になると違うけど。
 「ナッチョとポム」はDVDが二本出ています。「ぼくらと遊ぼう!」シリーズの奔放なメタモルフォーゼの愉快痛快ぶりと残酷さが好きな方は必ずや好きになることでしょう。主人公の二匹は宇宙から毎回降ってきますが、この世にはじめてやってきた赤ん坊という設定らしいです。だから「ぼくらと遊ぼう!」よりもっと爆発的です。ワーとかギャーとかオゥーとか言っていてすごいです。(アニメーションどうぶつの僕も嬉しくなって吠えて応えたくなります。)乗り込んだ観覧車がどんどん加速して七色に溶けてしまって花火がバーンとなったり、ビリヤードの台に落っこちて跳ね回る玉に何度も何度も潰されたり(しかも苦悶の表情で)、水に溶けて土に浸透していったり。なんでもありとはこういうことを言うのでしょうね。
 メタモルフォーゼもなんでもありで、目の前にあるものにどんどん変わっていきます。でもそういえば、僕たちだって子どものとき、いろんなヒーローになりきったりしていたわけですからね。身を守るとかそういう生存の目的もなくなにかになれるっていうのはたぶん人間だけですよ。

ナッチョとポム おんがく[Amazon]
ナッチョとポム みんなまんまる[Amazon]

NHKプチプチアニメ ホームページ

土居

        2007-10-06        British Animation Awards presents "Desire & Sexuality - animating the Unconscious"(Vol.2)

先日の記事で紹介した「Desire & Sexuality」シリーズが届きました。これはかなりの名オムニバスでしょう。ICAFをお伝えしたスタイルで、いくつかの作品をピックアップして紹介します。

"We Lived in Grass"(1995, Andreas Hykade)は少年の成長物語。ヒュカーデの三作品にはすべてこのテーマが共通しています。しかし、この後の作品では、作品テーマと作品内容の間の齟齬が消えていき、面白みのないものになっていきます。この処女作が一番のカオス。齟齬がダイナミズムを生んでいます。この作品についてはとても短文で振り返ることはできないので、現在レビューを準備中です。大傑作。"Bird in the Window"(1996, Igor Kovaryov)は、"Hen, His Wife", "Andrei Svislotsky"に続くコヴァリョフ初期三部作の最終章。久しぶりに家に戻った夫と妻と子どもと庭師とホモの中国人二人のあいだの決して交わらない物語。彼らのあいだの反発力が、それぞれの運動の動力となっているかのよう。コヴァリョフ作品はどれも大傑作なのでこれも当然大傑作。コヴァリョフについてはクリス・ロビンソンの批評も是非。"The Hat"(1999, Michele Cournoyer)は性的虐待の痛ましさが見事なメタモルフォーゼによって表現されていく。現代の名作。"Never Like the first Time"(2006, Jonas Odell)は『リボルバー』でもおなじみのオデルの新作。性別や年代の違う四人の初体験を彼らのナレーションにあわせて、話の内容にあったスタイルで、映像化したもの。コミカルなもの、思春期真っ盛りのもの、犯罪の匂い漂う痛ましいもの、古き良きもの……同じ肉体的行為が国や性別や年代によってこうも違うものなのか、と少々唖然とさせられてしまう。最近は実写映画でも追想シーンをよくアニメーションでやっていますね。思い出を語るという行為は本人が意識しているにせよしていないにせよ恣意的に選ばれた要素で構成されるわけなので、アニメーションでやるというのは理にかなっていると思われます。"ことば、ことば、ことば"(1991、ミハエラ・パヴラートヴァ)は、具体的なことばがなくとも、すべてを動作と絵と音で表現することができることを証明する短篇アニメーションのお手本のような作品。「~のような」の選択の絶妙さ。名作です。"反復"(1995、ミハエラ・パヴラートヴァ)は、短篇アニメーションは反復と断絶でできていることを証明する作品。(Animationsでこれまで書いた二本のレビューも、この二つのテーマに着目して書いています。)短篇アニメーションの教科書に間違いなく入るような素晴らしい作品。しかし、パヴラートヴァは、せっかく組み合わさったパズルのピースを、いとも簡単に崩してしまうのがすごい。今日『ショートバス』をみてきたのですが、あの作品は、ささいなすれちがいが解消されてみなが溶け合っていく様子を描いて大カタルシスを与えてくれましたが、パヴラートヴァは「その後」の現実もきちんと語ってしまうのがすごい。これもまた傑作です。"His Passionate Bride"(2004, Monika Forsberg)も、パズルのピースの形容がぴったりの作品。かみ合うようで噛み合ない登場人物どうしの関係が、最後ぴたっとはまる快感。短篇にはこういったスピード感も必要ですね。構成のダイナミズムが生み出すもの。

後ほどまたきちんとしたかたちで書き直してAnimationsのページの方に移す予定です。

購入はこちら→baa!
パヴラートヴァ作品は80~90s 2D傑作アニメーション『カフェ』他[Amazon]でもみれます。

土居

        2007-10-04        ICAFに参加して(あくまで個人的な希望)

今年ははじめてICAFにきちんと参加しました。
一日中イスの上に縛り付けられるわけなので、当然つらいし疲れます。
それでもできるかぎりたくさんの作品を観ようとするのは、アニメーションの研究に携わる身であるからという理由ももちろんありますが、それよりも強く思うのは、たった一つの作品でも、一生突き刺さってくるような衝撃を与えてくれるようなものに出会えれば、ということです。

ここからは、僕がどのような学生作品を観たいと願うかという、完全に個人的な願望です。

個人的なことを言わせてもらえば、独り言のような作品がみたいのです。誰に伝えようとするのでもなく、ただ自分の体内だけに響くようなものが。それをぼそりとつぶやくと、どうしても涙がこぼれてしまうようなものが。作りたいと思うものではなく、作らざるをえないものが。学生作品なのだし、制作費を回収できずとも誰に迷惑かけるわけではないのだから、ただ自分のため「だけ」に作るのがいいのではないのでしょうか。先生や友人や批評家たちの評価など気にすることなく、あなたが一番大事に思っている人の評価さえも気にせずに。誰にも目配せすることなく、ただただ自分のためだけに積み重ねられていく、そのようなコマの感触を感じたいと僕は願っています。とても残念なことだけど、僕とあなたは違う世界を体験しています。言葉や記号などで一応了解をとっているから、「わかりあえた」という気分になることはあるけれど、基本的にはそれはまやかしです。だから、安心して自分のためだけに作っていいのです。どうせきちんとは伝わらないのだから。(それは僕のICAF評を読めばわかるでしょう?)理論武装も二の次にして、あなたがこの途方もない世界を相手に暮らしてきて、どのように呆然としたか。どのようなことばを思わず呟いてしまったか。それをかたちにしてほしいと願います。誰かの真似をしようとすることもなく、かっこつけようとするのでもなく、自分にとって自然だと思えるやり方で。そのようにしてできあがった作品は、あなたのなかだけで響いている声なのだから、それが意味する本当のところは他の人からしたらわからないでしょう。もしかしたら、表面的に読み取れる意味は、あなたが独り言としてつぶやきたかったものとは正反対のものなのかもしれません。でも、そういうつぶやきを含む作品には、「なにか」があるのです。僕は偶然その声を耳にして、なにかがひっかかって、その声がいったいどういうことなのか、あれこれと考えるのが好きなのです。


……あ、でも、その声はきちんとした音質で録音するようにしましょうね。フィルムとかテープとかアナログメディアなら別にそんなに気にすることないですけど。

土居

        2007-10-03        ザクセン州とアニメーション映画への情熱(2)

今日は昨日に引き続き「ザクセン州とアニメーション映画への情熱」に行ってきました。今日はDVDプレゼントありませんでしたね。それを期待して来た方がいたらすいませんでした。

前半はドレスデン短篇映画祭の受賞アニメーション集。なかなかの好プログラムでした。"狂人と心と目"(2006、アネッテ・ユング)は最初の5秒くらいで駄作とわかるタイプの作品。奇怪なことをやればいいというわけではない。"Obras"(2004, Hendrick Dusollier)は3Dで構築された街の壁や窓に街中の活動や人間の影が映写されているなかをコンピュータで動きをつけられた滑らかなカメラが動いていくという作品。毒にも薬にもならない作品。本物の建物使って同じことやったらだいぶ違うと思うんですが。obrasってロシア語だとimageなんですけど他の言葉でも似たようなものなのでしょうか。"Father and Daughter"(2001, Michael Dudok de Wit)は邦題『岸辺のふたり』でおなじみのアレです。こういうプログラムの中にポンと入ると、名作といわれる所以がわかってくるものです。構えて観ていても乗せられてしまいます。"サウンドミニチュア"(2004, ヨハネス・ブラウン)は20-30年代のアヴァンギャルド映画にありそうなタイプの作品。円盤が回転し、いつしか抽象的な模様となっていく。光を反射して強く輝いたりもする。動くもの、回るもの、光るものに対する感慨というものはおそらく生命誕生以来から続くものだろう。動物でも反応するだろう。動物は観念には反応しない。アニメーションを作るときには動物を相手にすることも考えてみていいかもしれない。Animationsの和田淳作品には猫を釘付けにしたものがある。アニメーションにとっては結構大事なことだと思いますよ。"Caracas"(2006, Anna Blaszczyk)。「アニメーションには人間なんてでてこなければいいのに」と思ってしまうときがある。そう思ってしまう作品。"Fast Film"(2003, Virgil Widrich)はおなじみの作品。莫大な数のハリウッド映画からとってきたフッテージをプリントして折り紙にするというきちがいじみた作品。揺れて震えて破れる。皺が寄る。それだけで気持ちがいい。ワーとかギャーとかキャーとかが多いのも動物にはもってこい。様々な映画のシーンにメタモルフォーゼしながら、その平均値として一本の物語がある。これってまるでハリウッド映画じゃないか。……お、結構批評性の高い作品じゃないか、と今気付いた。どうかしてるね。"Une histoire vertebrale"(2004, Jeremy Clapin)は去年の広島では「バックボーン・テール」として上映された作品。足りないものを補いあうというのは基本ですよね。陰陽とか。男女とか。"Flat Life"(2004, Jonas Geirnaert)は四面同時展開の作品。この作品は最初の5秒くらいで名作だとわかりました。今日の発見ナンバーワン作品。四つの部屋は当然お互いに関係しあっている。昨日書いたスラップスティック系の作品と一見似ているのだけれども、実は全然違う。AだからBしてBだからCして……という構造ではなく、「私は猫です」から「これは本です」に変わるような構造。後ろに隠れた「~はーです」という独自のロジックを展開していく。わかりにくいか。違う部屋に映るテレビの画面が入れ替わったり混ざりあったりするということ。最後に部屋の構成要素を変えてもう一度始まりそうになるということ。現実のロジックとか違うが、独自のロジックとして一貫している。平面かと思ったらいきなり立体の動きが入ってそれがやけにきもちいい。「あ、そうなんだ」という快感。同じリズムが反復されることの快感。今日は「きもちいい」ことばかり書いていますね。僕はアニメーション動物です。

後半はDOKライプツィヒの特集。ドイツものばかり。"Jam Session"(2005, Izabela Plucinska)はクレイ作品。すごくつまらないのだけど、そのつまらなさが見所。クレイを使いながら「太っててドアに挟まる」とか「ズボンが入らない」とかデブネタをやるのってすごく勇気のいることだと思うんですよ。粘土だから伸び縮みするし。でもそういうことをなにも考えていないんだと思う。そういうつまらなさが面白い。これがもしドローイング作品だったらスッと流してしまうんだけれども。素材感をもったものを使う作品ってやっぱりその素材の特性も考えないといけないと思うんですよ。"Close your eyes and do not breathe"(2006, Vuk Jevremovic)は新世代のアレクサンドル・ペトロフ。油絵ではないですけどね。これもまた「人間が出てこなければいいのに」と思ってしまう作品。"線を引く"(2006, ヒェークン・ユング)は、線を引いてそこからはみだすものを切り取る人のお話。なぜ線を引くのかがよくわからなかったが、作者が韓国人だとわかって一気に解決。主人公の顔も朝鮮半島の形だったしね。一気にファンタジー消滅。単に「神経質な人」という設定だけではだめだったのだろうか。"Lucia"(2004, Felix Gonnert)はよくわかりませんでした。"いかだ"(2004, ヤン・チューリング)はひどい作品。実写と人形が混ざるのですけど、その調和に気をつかえないようならば最初からつくらないでほしい。勝手にシチュエーションをでっちあげて勝手に人間の愚かさを設定した内容にも吐き気がする。"雪片の戯れIV"(2004, ベルベル・ノイバウアー)は前半の"サウンドミニチュア"とは正反対の抽象アニメーション。3DCGで抽象をやる意味ってどこにあるのだろう、スクリーンセーバーで出てくるうにょうにょとどこが違うんだろうとアニメーション動物は思ってしまいます。"Come on Strange"(2005, Gabriela Gruber)は広島で上映されましたね。相変わらず最初の3秒と最後の2秒だけ傑作でした。真ん中の部分はエフェクト的映像でしかないような。"配達"(2005、ティル・ノヴァック)は、タイトルの入り方、エンド・クレジットの流し方からしてもう勘弁してほしいと思ってしまう。長編アクション劇映画みたいなことしてるけどさ、あなたの作ってるのは短篇アニメーションですよ。3DCG世代の悪い癖。自分の作りたいものだけ作って。都合の良い世界をでっちあげて悦に入って。そういうのもう禁止。"Our Man in Nirvana"(2005, Jan Koester)は今日の不思議ちゃん作品ナンバーワン。とにかく変な作品。上映中何度も「なんだこれ(笑)」という文字列が頭の中に。ホームページみてください。作者の若者、良い顔してるでしょう?トレイラーみてください。なんだか楽しそうでしょう?独自ロジックに満ちた作品なんだけれども、どこまで本気なのかわからないのが怖い。"Morir de Amor"(2004, Gil Alkabetz)はおなじみアルカベッツの"愛のために死す"。去年の広島から数えてもう5回以上観ている。『岸辺のふたり』同様、何度みてものせられてしまうということはやはりかなり出来がいいんですよね。抗いきれないなにかが。この作品でもそうですし、"Travel to China"という作品でもそうなんですが、騙し絵的なものを使うんですよね。ちがうわかっているけどそうみえてしまう、みたいな。生理的に抗えない。アニメーションが動いているようにみえるのも生理的なものですし。音とかもいちいち気持ちいいんですよね。頭だけでなく、身体に訴えかけてくる。アニメーション動物も納得の作品です。

今日でアニメーション上映会続きも一段落。
作品名表記がアルファベットだったり日本語だったりするのは、どうでもいい作品は調べるのがめんどくさかったからです。"サウンドミニチュア"以外。これは良い作品でした。
それにしても素晴らしい二日間でした。ザクセン州ありがとう。プログラムが始まる前に30分近くもいろいろな人の挨拶やクラシックコンサートの宣伝とかがあってもまったく気になりませんでした。世の中そううまい話はあるもんじゃないですし。タダでコピーできるのも裏に広告が入っているからですしね。

『岸辺のふたり』[Amazon]
「知られざるアニメーション vol.1」(愛のために死す 収録)[Amazon]
「openArt Short Film Selection #1 Party」(Flat Life 収録)[Amazon]
「国際アートアニメーションインデックス Vol.1」(Fast Film 収録)[Amazon]

土居

        2007-10-02        ザクセン州とアニメーション映画への情熱(1)

今日はドイツ文化会館での「ザクセン州とアニメーション映画への情熱」に行ってきました。

お客さんは全然入っておらず寂しい限り。ICAFの盛況とかイメージフォーラムフェスのアニメーションプログラムの大入り具合は一体なんなのでしょう。無料で貴重な短篇アニメーションが観れるのに。しかもDVDまでもらえちゃいましたよ。わたし二枚ももらっちゃいましたよ。アニメーションのDVDを。いいでしょ。みんな来ないから。もう。しかし、国や自治体が絡むとお金がたくさん出るのですなあと実感しました。ドイツ・アニメーション研究所も公営で短篇アニメーションのアーカイブとか作ってますからね。日本もつくりなさいよ。短篇作家を支援しなさいよ。上っ面だけアニメーションアニメーション言って。もう。一方でこんな素晴らしいイベントを開いてくれるなんて、ザクセン州は最高だね!ザクセン州とザクセン州がアニメーション映画に賭ける情熱は素晴らしいです!ザクセン州ありがとう!

前半はドイツ・アニメーション研究所のコレクションからメルヘン特集。"赤ずきん"(1976、オットー・ザッハー)は切り絵アニメーション。もっさりしたグラフィックスタイルの暖かみと単純なパーツでしっかり本質を掴んでいるデザインが魅力的。小さいものが動くときに感じてしまう愛おしさに溢れた作品。基本的な引きと、キャラクターの思い切ったアップの繰り返しが根源的なリズムを作り出す。それにしても赤ずきんって変なお話ですね。"灰かぶり姫"(1985、ホルスト・タッペルト)は影絵アニメーション。ドイツで影絵といえば当然ライニガーの名前があがるけれども、ライニガーよりももっとむっちりした影絵。デザイン性は異様に高く、手の形やポーズの優美さには吐き気を覚えるほど。お妃を探すには異常に幼すぎるように思える造型の王子様とそれには釣り合っているシンデレラ。なんだか変な気分になりました。"美女と野獣"(1976、カティア・ゲオルギー)は人形アニメーション。野獣のデザインが「怪奇象人間」という感じのグロさ。毛が中途半端に生えたりしていて本当に気持ち悪い。モノの動き具合は、さすがポルターガイストの国ドイツと言ってしまいたいほど。チェコみたいな温かさは微塵もなし。美女もアンドロイドのように地面を滑るように平行移動する。だが光や水のきらめきには息を呑む。原作でも指輪を使って瞬間移動とかするのだろうか。不思議展開満載。"ルンペルスティルツヒェン"(1985、ペーター・ワシンスキー)は日本では「がたがたの竹馬小僧」で知られたお話です。知らないですよね。これは人形劇。数人の聴衆が何かに導かれるようにしてゾンビのように生気を失って歩いていくと変な若者が草原と森の境あたりで人形を携えてお話を語りはじめる。なんだかすごいオープニングだなあと思ったら中身もすごかった。光と影の表現が凄い。カメラワークも緩急自在。人形劇がエモーショナルなのは常に浮いているからでしょうか。自分で動いている感じと明らかに吊るされている感じが微妙なバランスで、動いていなくてもハラハラする。話の内容も凄いが、長くなりすぎそうなのでプリート・パルン論を書くときにでも。

後半のプログラムはドイツ短篇映画協会選。
"子ウサギ"(2006、アンドレアス・ヒュカーデ)はなんとも評価しがたい出来。高品質なんだけど、"We lived in grass"で圧倒的だった手描きによる背景や質感のアニメートがコンピュータに任せられている。弾力や重さの表現や、ウサギが肉になっていく描写が暴力的なまでに無駄がないところは素晴らしいのだが……前二作とテーマは変わらないと思うが、モチーフの象徴性に遊びがなくなった印象。そういう意味では、まるでパルンの近作のようでもある。"We lived in grass"の各種モチーフには過剰さがあった。裏読みしないでも納得させられてしまっていた。それでも本プログラム一番の良作であったことは間違いない。"窓の絵"(2007、ベルト・ゴットシャルク)は8mmフィルムがアニメートされていく実験映画文脈寄りの作品。窓を映すフィルムが何本も重なって、一つの風景を作り出す。夜の訪れがわかる。窓の奥には何らかの行為を行う人間の手が。"氷欲する人"(2003、アッラ・チュリコヴァ)は砂・木炭画を使っているらしいが、せっかく可塑性ある素材を安易にデジタル処理していて台無し。運動に対する感性に欠けている。止め絵をヴァーチャル・カメラの滑らかな動きでズームしたりズーム・アウトしたりするの禁止。ソフトで動きをオートマチックに付けてしまう人の多さには辟易する。「アナログ原理主義か」とか言うなよ。あらゆる作品に同じ質の動きが現れてしまう気持ち悪さにもっと敏感になった方がよい。人はそれぞれ固有のリズムをもっているのだから。動くものに対する感性を失うことは、世界に対する感性を失うこと。動けばいいという考え方はやめましょう。"ビデオ3000"(2006)や"僕は全て"(2005)みたいな「~という点で現代社会を告発しているのである」という作品も禁止。クリシェを繰り返しているだけなので。"ベルントと彼の人生"(2006、ヤン・ペーター・マイヤー)はおおらかなユーモア感覚にあふれたピクシレーション作品。学生作品プログラムに一本あると嬉しいタイプの作品。何も考えずともニヤケてしまう。"458nm"(2006)はもう見飽きた。諸悪の根源のような作品。有機体と機械を融合するネタはもう禁止。いつの時代の感覚だよ。変なシリアス音楽も禁止。"ミスターシュヴァルツ、ミスターヘイゼンとミスターホルロッカー"(2005、シュテファン・ミュラー)は偶然の重なりでカオスな展開になる系統のスラップスティック・アニメーション。この系統って、ダイナミックになるように思えて実は予定調和的なものが多い。すべてが厳密な因果関係で成り立っているから。この作品はドラッグのラリッた描写の過剰さでそこから抜け出している。自然と『ダンボ』の「ピンクの象」が思い出される。つまりある種の本質をついているということ。

文体が乱れていてすいません。試行錯誤中なんです。一人称に何を使うかも含めて。

明日もありますからお暇な方はどうぞ。

京都のICAFの特別プログラムはこの特集からの傑作選なんでしょうねきっと。

土居

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